PROMISE




 鈍色の船体が空を裂き、疾駆する。
 シルバーノアの名を持つ、その空飛ぶ船の中。
 照明を落とした室内で、唯僅かに入る夜空の星の瞬きのみが室内に人影が在ることを物語る。
 人影は、陶器で出来た特異な形をした入れ物から、時折杯に何やら注ぎ口元に運んでいたが、逆さに引っ繰り返しても、僅かな滴が滴る程度にしか既に中身は無いようである。
「ち…ッ、もう空かい…」
 ポツリと呟いた後、どうしたものかと思案に暮れていると、唐突に扉が開いた。
 外廊の照明が逆光となっていて、その人物の顔は本来はまるで判明しない。が、部屋の主が口許に淡い笑みを象った。
「アーク…こんな時刻に未だ起きてたのかい?」
「トッシュの酒瓶の中身、そろそろ無くなるころだろうと思ってね」
 音も無く歩み寄りその横に腰を下ろすと、トッシュがつい寸前に傾けても何も出なかったものと同じタイプの瓶を差し出す。
「お、気が利いてるねぇ…」
 ホクホクと満面に笑みを浮かべてアークの差し出した瓶を受け取り、トッシュは杯に新たに酒を注いだ。
「なぁトッシュ…」
 芳醇な香りを楽しむ暇も無く一息にそれを喉の奥に流し込むトッシュへ、アークが静かに囁く。
「…俺にも一杯、貰えるかな…?」
 途端。
 トッシュの手が止まる。
 それは、酷く耳慣れしない言葉を聞いたためだった。
「お、お前さんが、かい?」
 俄には信じられないのだろうトッシュの言葉に、アークは小さく頷いた。
 珍しいこともあるものだ、と感心半分でトッシュがアークを見つめれば。
「飲みたい気分なんだ…」
 俯き気味にアークは床に視線を向けたまま、先程と同じくらいに小さな声音で応えを返した。
「…ま、たまにはってトコかい…」
「ああ…」
 応えるアークに、トッシュは苦い笑みを零し、杯に並々と注いだばかりのそれを口に含むと、アークの顎に手を掛け上を向かせると薄紅の唇に己のそれを重ねる。
 その酒が普段ならば、到底アークが飲める強さのものではない事は十分に承知しているつもりだったのだが。
 口移しで与えられる酒の、強さと苦さは決して不快では無い。
 それは、与えてくれる者がトッシュだから。
 アークがこの世で唯一人、己の背面の全てを託せるに至る人物であり、最も信頼する存在であり、そして。
 誰よりも、愛しい人だから。
 愛しい人の口づけと、強い酒との重なりが、忽ちアークを酔わせて行く。
「ん…ッ…」
 飲み下せない微かな滴りが、重ねられた唇の隙間から零れ顎から喉へと流れ落ちる。
 唇を離したトッシュの目が、そんな様のアークを見つめて目を細めた。
「…色っぽいねぇ…」
 態とらしく生唾など飲み込む仕草でアークの耳朶に囁くトッシュへ、酔いも手伝ってか面を真っ赤に染めたままに目線だけでは在るけれど微かな抗議を投げ付ける。
 だが、トッシュはそれを軽く受け流してニヤリと口許を歪めるとアーマーを装着してはいないアークの着衣の襟元から手を差し入れ、抗議を簡単に封じてしまう。
「う…んぁ…」
 スルリ、と滑り込んだトッシュの熱い指先が、アークの素肌を滑り確かな快楽を齎した。
 何時からだろう。
 共に戦う最強の剣士と、こんな関係になったのは。
 最初は拒んでいた筈なのに。
 今ではこの男がいないと、時には眠ることさえ出来なくなった自分、になってしまった。
 同じ性別、と言う禁忌も手伝ってかトッシュの齎す行為はアークをいやがおうでも高めてしまう。
 アークの着衣は乱れ、呼吸も同様に荒々しい。
 いかなる戦いでも滅多に胸を大きく上下させる程には至らないと言うのに、唯トッシュの指先が僅かに滑るだけでアークの全身には電流が走ったかの如くビクビクと特殊な感覚が募っていくのだ。
「ぁ…は…んッ」
 はだけた着衣から晒される白い肌の中でそこだけ彩りの濃い、胸部を彩るふたつの尖りにトッシュの指が絡み付いた時。アークは思わず高めの嬌声を漏らす。
 クスクスと笑いを零すトッシュの唇がそこに降り、ぬめる舌先が残る尖りに吸い付いた。
「ホント…相変わらず敏感だな、アーク…」
 漏れ出るトッシュの吐息も、常より粗い。
 言われる囁きの内容に顔から火が出てしまいそうだが、応える余裕は彼には無かった。
 感覚という感覚全てが、そこに集中してしまっていて何を言う事も出来なかったのだ。
 だからかわりにトッシュの肩に頭を委ね、アークはギュッと目を瞑る。
 抵抗する気持ちなど最初から皆無。
 今、自身がこの場に在るのは、トッシュに己の総てを託し、そして甘える為なのだから。
「あ…ッ!」
 不意に、しなだれかかっていたアークの喉から幾分高めの声が漏れ出たその直後。
 少年の喉が、ビクリと反った。
 身体の中心で猛烈な熱を花っている彼自身へ、残るトッシュの掌が絡み付いてきたからだ。
 ビクビクとアークの全身が痙攣する。
 言葉にならない悦楽が体内を壮絶な勢いを持って駆け巡る所為で。
 自ら溺れぬように心に定めたトッシュとの睦み合い故に、久しく与えられる事の無かった行為はアークを激しく感じさせ、忽ち解放が齎された。
 脱力していく感覚は、地の底に落ちるそれに似て否なるもの。
 牡の本能が齎す快感の果てに、アークは乱れるに任せた呼吸を無理に整える事も無かった。
「…いいのかい?」
 常の豪胆なる最強の剣士からは想像も付かない程の、優しい呟きがアークの耳朶を擽るように囁かれる。
「…うん…」
 肯定の応えを返しながら、僅かながら億劫気に瞼を開いたアークの整い過ぎるほどに整った面を覗き込むトッシュの、喉がゴクリと鳴った。
 刹那。
 アークはトッシュの下にと組み敷かれ、大きく足が開かれる。
 気恥ずかしさに再び目を瞑ろうとしたアークの、潤む視界に飛び込むトッシュの、穏やかで優しい眼差しに、緊張故に強張った身は弛緩した。
「…トッシュ…」
 優しい、誰よりも優しいトッシュの眼差しは、今、唯アークのみを映し出している。
 アークだけ、を。
 今、この瞬間、史上最強と謳われる剣士はアークだけのもの。
 目許を赤く染めたアークの、両の腕がトッシュに伸ばされ逞しい背にと廻された。
「アーク…全部、晒しな…」
 この俺の前でだけは。
 囁きは、真摯の言葉。
「うん」
 応えてニコリ、と笑みを唇が象った直後。
 とてつもない圧迫と、激しい熱がアークを覆い尽くすのだった。





 朧に霞む、世界。
 絶望と空しさに、心と身体が同時に切り裂かれる。
 何故、自分なのか。
 確かに戦いに身を踊らせることを望んだのは、自身では在ったけれど、こんなにも切なく苦しい思いをしなくてはならなくなるなんて思いも因らなかった。
 父は無く、母も奪われ、心許した者たちは追い詰められ。
 共に在った少女と別離を強いられ。
 それでも、自身は前に進まなくてはならないなど、なんて苛酷で残酷な運命だろうか。

 『選ばれし勇者』

 たったそれだけの言葉の齎す果てしない意味。
 だのに、切り裂かれる心が悲鳴を上げる。
 そんな時だった。
「ひとりっきり、だなんて思うな」
 誰にも求められない救いが、唐突に向けられたのは。
「何時でもお前が望むときに俺が、この俺が側にいて遣る…約束してやるから…だから、泣くな」
 縋り付けと怒ったような言葉と共に、差し伸べられた大きな腕。
 どうしてそれが拒めよう。
 甘えていいのかと僅かに躊躇する間も与えず、彼は己を抱き締めたのだった。
 まるで誓いを立てるかの如き、深い深い口づけを与えながら。





 ぽっかり。
 そんな言葉がピタリと当てはまるように、アークは目覚めた。
 覚醒は、爽快とも言える状態だ。
 身の奥が微かに鈍い痛みを訴えてはいたが、そんな事は些細に過ぎない程に、気持ちは落ち着いている。
 傍らのトッシュの寝顔へ視線を向けて、アークの面は緩む。
 今も彼は傍らに在ってくれる。
 あの約束を、決して破らずに。
 凄く、身勝手な自身の願いを叶えてくれている。
 優しくて強い、アークだけの存在として。
 それが嬉しくて、アークはトッシュの胸に頬を擦り寄せる。
「ずっと…側にいてくれるんだよな、トッシュ…」
 ポソリと零れる呟きに、
「当たり前だろ…」
 直ぐに返る応え。
 見上げれば、片目を瞑ったトッシュの笑みが間近に在る。
「うん」
 アークの応えに満足したのか、トッシュの唇がアークのそれに降りてくる。
 それは、触れるか否かの、淡い口づけ。
 心地よくて、先程飲んだ酒よりも、酔いそうだった。
 けれどアークは何時迄も快い感覚に浸りはしなかった。
「…もう、いいのかい?」
 己の腕の中から身を起こそうと身じろぎするアークに、トッシュ
の声が掛けられる。
「ああ、もう大丈夫だ」
 鮮やかな笑みを口許に乗せて応えるアークは、常の彼らの指揮官そのものだ。
 静かな嘆息を吐き出し、トッシュの腕がアークからゆるりと離れる。その緩慢な動きが明らかに名残惜し気なものだと言う事を識っていて尚、アークは身支度を整える。
「トッシュ…」
「あん?」
 すっかりいつもの彼に戻ったアークが、トッシュを見つめる。
「…ありがと…」
 微かに潤む瞳で言われて、トッシュは頭を軽く掻く。
「ば〜か…」
 遠慮なんて、するな。
 これからだって何時だって、お前は甘えてもいいんだから。
 この俺の前で、だけは。
 それらの総てを引っくるめた、トッシュの呟きにアークは微笑む。
「…そろそろシルバーノアの船体修復も終わった頃だろう。お前はブリッジに戻って指揮に専念しろや…」
 アークの持って来た酒瓶に再び手を伸ばし、やはり常の彼に戻ったトッシュの言葉にアークは真顔で頷いた。
「そうする」
 ゆっくりと立ち上がり、アークは出入り口に歩み寄り、扉の前に辿り着いた時不意に歩を止め振り返る。
「…きっと何時かは、あの子にも解って貰える…よね?」
 シルバーノアにダメージを与えた炎の子供の事を募らせるアークに、トッシュが苦笑を零す。
「お前が信じていれば…信じ続けていれば、な」
 だから、諦めるな。
 たったそれだけの言葉が、アークに安心感を齎す。
「そうだね」
 ニコリ、ともう一度笑みを浮かべた直後。
 毅然としたものがアークの面を覆い尽くす。
 そうして今度こそ、アークはトッシュの部屋を後にした。





 戦いは未だ終わりが見えず。
 なれど。
 待っているのがどれ程に苛酷で熾烈な運命であろうと、彼は立ち止まる事は無いだろう。
 唯一人との約束が有る限り。
 決して。





《 FIN 》




駄文

今も好き好き、アークシリーズ。
っちゅーか、トッシュ×アーク。
依頼されて有頂天になって書き上げた記憶が蘇ります。
また書きたいな〜


初出/炎のアーク(発行:BD様) 依頼原稿 1998.08