DearMyOnlyYou
序.

 広大なイスマス城内部の庭園を、ぼんやりと眺めながらかつてはバルハル族の女戦士として名を馳せた現イスマス公夫人であるシフが、何げなくに手元の大輪を誇示する美麗な薔薇を手折る。
「…暇だ…」
 などとこっそり呟くが、実際に本当に暇なのでは無い。
 断言するなら、つまらないだけだ。
「もう、一週間だよ…? ったく…」
 彼女が全てを賭けて慈しむ、穏やかな微笑みを端正な面に浮かべるイスマスの城主の姿が、既に七日も見えない事女を億劫な気分にさせているだけの事だ。
「…すぐ帰って来るって言って、ホントにすぐ帰って来たためしがないんだからねぇ、あのボーヤは」
 それが、仕方の無い事であると十分に理解して尚、シフの唇から文句がついて出る。
 ローザリアが大陸制覇に乗り出している現在、あちらこちらでキナ臭い事態が繰り返されている中、軍部に於いて絶対的な発言力と行動力を示せる存在がイスマス公アルベルト、つまりは彼女の夫なのだ。
 一旦王都クリスタルシティに出向いたら、ローザリア皇帝ナイトハルトの右腕とさえ呼ばれるイスマス公が、簡単には帰って来れないのは無理の無い事である。
 放って置かれている訳では無いのだが、如何せん退屈な日々を過ごすのも飽きていた。
 出来る事ならばシフもアルベルトと一緒に戦場なり何なりに出向きたい所だが、そうも行かない現実が重い。
 仮にも公爵夫人が、大剣を構え、その身に甲冑を纏って走り回る訳には行かないのだ。
 美しいドレスに身を包み、花を愛で、淑やかに日々を過ごすのが一般的なローザリアの貴婦人であるが、蛮族の女戦士として生きて来た彼女には、その繰り返しが退屈で億劫でもあった。
 だが、そんな退屈な日々であろうとも、傍らにアルベルトが在るならば十分に幸福な筈だった。
 だのに、もう既に七日。
 緊急の呼び出しとやらで出掛けて一週間にもなろうとしている。
「まったく…何かって言やぁアルを呼び出すんだから、たいしたもんだね…」
 深いため息と同時の呟きは、ローザリア皇帝への辛辣な皮肉であった。
 何時迄もブツブツと文句を言っていても始まらない、とシフが苦笑いを零したその時。
 異様な気配を察知して彼女はハッと振り返った。
 しかし、振り向き身構えたシフの視線の先に在ったのは、淡い微笑みを浮かべる存在だった。
「い、一体何時帰ってきたんだい? アル…」
 苦笑し緊張を解すと、シフは待ち望んでいた存在へ困惑の声を掛ける。
 淡い笑みを浮かべ、静かに気配も無く佇んでいたその人は、シフのその声に応えるかの如くにゆっくりと歩み寄って来る。
 だが、常の彼にしては随分と冷淡な笑みを面に張り付かせている事に微かな疑問が不意に心に広がり、シフは怪訝な視線を向ける。
「アルベルト…?」
 懐疑が胸中を駆け巡り、我知らず震える声音で既に吐息が届く程の距離に迫ったその人の名を呟いた瞬間だった。
 彼女の腹部に重い衝撃が走ったのは。
「 !? 」
 余りの事態に驚愕が脳裏を駆け抜ける。
 苦悶に身を屈め、けれど羞恥に全身を赤く染め、シフが己の鳩尾に拳を叩き入れた存在へ怒りに据えられた瞳を投げつけた時、その存在の姿が不意にブレて、アルベルトと全く別の、けれど彼女の知る人物の姿を表した。
「あ、あんたは…」
 けれど、その存在の名をシフが言うことは出来なかった。
 鳩尾に与えられた以上の衝撃が、彼女の首に落ちた為に。
(くッ…迂闊だった、アル、すまない…)
 掠れる意識の最後に浮かんだのは、愛しい存在への謝罪の言葉だった。





1.

「怒ってるだろうな…きっと…」 
 白い駿馬から降り、厩番にたずなを渡すと、焦ったように歩きだし彼は呟いた。
「…いや、多分、拗ねてる…かな?」
 苦笑交じりにこっそりと呟いて、彼は己の城の庭園にと足早に向かう。
 と、そんな彼の足が突然止まった。
 彼の視線の先に、長身の男が一人立っているのを見かけたからだった。
「アルベルト」
 彼の視線に気づき、男が低くその名を呼んだ。
「グレイ、何時いらしたんですか?」
 彼、イスマス公アルベルトの穏やかな微笑みが、しかし言葉を掛けた直後強ばった。
「直ぐに支度をしろ」
 幾分緊張を含んだ声音でグレイが言った瞬間。
 常ならぬ何事かが起きたことを理解し、アルベルトは頷いて、
「少し待っていて下さい」
 言い置き、踵を返した。
「急げ」
 出来る限り。
 組んでいた腕を腰の大剣の柄に添え直し、歴戦の戦士は密やかに呟いた。
 グレイの呟きが届くか否かの間際に、アルベルトの足は既に駆け出すに至っていた。
(何が起きたんだ? グレイ…貴方の腰の大剣は…、あれは…)
 かつて、邪神との戦いで帯剣していた、氷の魔法を帯びた大剣ではないか。
 それを下げ、急げと言うからには徒事ではあるまい。
 アルベルトは己の寝室に、そして更にその奥の扉に手を掛け飛び込むと、厳しい葛籠の蓋を焦ったように開いた。
 途端、光が薄暗い室内に走った。
 鞘に収まっているにも拘わらず、きっちりと封をして尚、光を零すのは、邪神をも倒した神々の剣だった。
 アルベルトは一瞬躊躇し、けれどその包みの隣りで間も無く初夏に成ろうと言う季節にも拘わらず、僅かに霜を浮かべている、グレイが帯剣していたものと同じ大剣、アイスソードを手に取った。
 そして、着替えもせずに再び飛び出して行く。
「お待たせしました」
「ならば行くぞ」
 少し乱れた息で声を掛けると、グレイは端的にそう応え身を翻した。
「あ、待って下さい!」
「まだ、何か有るのか?」
 苛々とした口調で問うグレイに、微かに頬を染め、アルベルトは言った。
「シフに行き先だけでも…」
 一旦止まったグレイの足が再び早まる。
 彼は振り返りもせず、低く、常以上に低く言い放った。
「そのシフの居る所に向かう、嫌ならついてくるな」
「 ! 」
 アルベルトの面が、そしてその全身が次の瞬間硬直した。
「解ったなら、急ぐぞ」
「行き先は解ってるんですか?」
 グレイに歩調を合わせ、アルベルトが鋭く問いかける。
「バファルだ」
 苦々しげに、グレイは応えた。
 何故、とアルベルトは問いかけなかった。
 予想通りの返答であったことと、恐らくはグレイが道々語ってくれるに違いないと、理解っているからだった。
 先程出て来たばかりの厩が間近に迫る。
 穏やかなるイスマス公の仮面を被り、厩番に馬を出させるアルベルトの、その内面の激情を気づき、グレイは黙ってそれを見遣っていた。
「さあ、行きましょう」
 案内を頼みます。
 振り向いたアルベルトの、湖水のような瞳に、憎悪にも似た煌めきが浮かび上がっている。
「飛ばすぞ」
 ヒラリと己の黒馬に跨がり言い放つグレイに、
「お願いします」
 丁寧な口調で純白の駿馬に跨がったアルベルトが頭を下げた。
 直後、二頭は正に疾風の如くに駆け出す。
 先ず目指すは、ローバーン。
 アルベルトの視線が彼方を射る。
(シフ…!)
 許さない。
 自分から愛しい存在を奪おうとするものは。
 決して。
 ただでは済まさない。
 邪神すらも凌駕した「ローザリアの白騎士」と呼ばれる存在が、ギリッと唇を噛み締めた。





2.

 ローバーンの関所を何事も無くに通過し―無論、それはバファル皇女クローディアの夫であるグレイが先導してくれたおかげではであるが―アルベルトはバファルの広大なベイル平原に突入していた。
 既に陽は陰り、辺りに闇が迫り始めた頃、グレイは休憩を提案した。
 それを拒否するつもりだったが、アルベルトは懸命に堪えた。
 アルベルトが疲弊している事をグレイが見切れぬ訳が無いからだった。
「今、お前は何に拘わっているんだ?」
 暮れなずむ平原の中、焚き火の照り返しを受けたグレイの横顔に視線を向けアルベルトは苦笑を漏らした。
「応えられると思っておいでですか?」
「愚問だったな」
 ローザリアの軍部で、アルベルトの占める位置は大きい。
 それを語れぬのは致し方無いだろう。
 だが、その為にシフが危機に陥るとなれば話は別だろう。
 だから敢えてグレイは尋ねたのだ。
「…ローバーン攻略、ですよ」
 それが解っているから、アルベルトは応えた。
 酷くあっさりと。
「やはりな」
 目を伏せグレイは呟く。
「本気で遣るつもりなのか、ナイトハルトは…」
 そして、お前は。
「それを止めるために、奔走していたんですけどね」
 クローディアや貴方と戦いたくは無いですから。
 アルベルトは己の膝に頭を置き、静かに囁いた。
「…解ってくれない奴らばかりだからな…」
 バファルは。
 そして、ローザリアのものたちは。
「…火に油注いでどうするつもりなのか…」
 無論、この場合「火」はアルベルト、「油」はシフの事である。
「もしもの事が在ったら、もう止めませんよ」
 思わずグレイが顔を上げる程、そのアルベルトの言葉は冷たかった。
「それより、どうしてシフがバファルに居ると?」
 そして、何者が彼女を拉致したのか?
 アルベルトの冷たい声音が続く。
「放って在る《草》が、今回の下らない事態の情報を手に入れてな。急いでイスマスに来たが…」 
 遅かった。
 グレイの言葉が途切れる。
 その「草」は、クローディアの為に放ってあるものだろう。
 彼も又、唯一人の女の為に、全てを賭けているのだ。
「今回の、この事態は…お前を本気にさせる為に、仕組まれたものだ」
 顔をアルベルトへ向け、グレイは真摯の瞳で彼を見た。
 アルベルトの表情が焚き火の明滅の中ではっきりと解る程に青ざめ、整った眉が一瞬寄せられた直後、奇麗に跳ね上がった。
「何者の、手によって、です?」
 努めて冷静に言葉を紡ごうとするが、結局は感情的な声音が漏れ出てしまうが、それでもアルベルトは鋭い眼差しでグレイに問う。
「聞けば、嫌になるぞ」
 何もかもが。
 それでもいいのか?
 グレイのさの呟きに、アルベルトは一瞬にして理解してしまった。
 彼の最も大切な存在を、彼から奪い取ってしまった者たちが何者で有るのかを。
 しかし、それでも確証は持てない。
 アルベルトはグレイから視線を外すこと無く、きっぱりと頷いた。
「構いません、言って下さい」
「画策の首謀者は二人だ。一人はバファル帝国軍ローバーン方面軍副指揮官ロストス伯。今一人は―」
 一旦言葉を切り、グレイは端的に言い捨てる。
「―ローザリア陸軍指令補佐官、フォルトだ」
 言われた途端、アルベルトの面が驚愕に引きつった。
「な、ぜ…!?」
 どうしてローザリアの指揮官が、自分を陥れようとするのか 
言われた名前にアルベルトが信じられないのか幾度も首を横に振る。
「ロストスは、ローバーン公と言う切れ者の傍らに有るがため、うだつの上がらない政治屋だ。故に、フォルトの策に乗った唯の俗物。だがフォルトは純粋にナイトハルトの信奉者。ようするに、皇帝の命令に従わないばかりか、バファルの肩を持つお前に、動いて貰いたいが為に、シフを拉致したと言う訳だな」
 深い嘆息を漏らし、言い捨てるグレイの視線を真っ向から受け止め、アルベルトが自嘲気味な笑いを浮かべる。
「馬鹿げてるッ!」
 思わず言葉を吐き捨てる。
 どうして自軍の者に足を掬われねばならないのか。
 アルベルトは拳を地に叩きつけた。
 あまりの衝撃に、拳は手首まで地にめり込んだ。
「お前を急がせた事には、幾つものの意味が有った、殊更に言うが、解るな?」
 アルベルトは沈黙したままに頷いた。
 シフを大至急、救出するのがひとつ。
 何も知らずにイスマスにいたら、間違い無くアルベルトは動きを封じられていただろう。
 そして、すべてを理解したグレイと行動を共にして、画策してくれたものを封じる、否、仕留める事がひとつ。
都合ふたつを一気に片付けねばならないのだ。
過ぎるに越したことは無いだろうと、グレイがアルベルトを急がせた訳である。
「フォルトは、今、どうしていると思う?」
「彼は…誰にも怪しまれずイスマス城に入れるのですから、多分シフを拉致したのは彼でしょう」
 となれば、一緒に居ることはまず間違い無かろう。
 ローバーンの執政官の裏工作が有るなら、バファルに入り込むのも容易い。
「僕を…本気にさせる為に、シフを拉致した事を、思い知らせて遣る…」
 アルベルトらしからぬ低い呟きを耳にし、グレイが目を伏せた。
 グレイの脳裏に、怒りに身を震わすアルベルトと、自分の姿が重なる。
 今のアルベルトの姿は、そう遠く無い未来の自分になるかもしれないのだ。
 何よりも愛しいクローディアを、もしも拉致されたなら、多分自分はアルベルトと同じく、いやそれ以上に相手を憎悪するだろう。
 そして如何なる場所に逃げ込もうと、必ず八つ裂きにするに違いない。
「グレイ」
 アルベルトが立ち上がり、彼を見下ろした。
 もはや、誰も彼を止めることは出来ない。
 そして、グレイはアルベルトを止めるつもりなど毛頭も無かった。
 唇の端を歪めた苦い笑みを浮かべグレイもまた立ち上がった。





3.

「畜生」
 幾度目になるのか、もがくように身を捩り、けれど終に観念したかのように詰るような呻きと共に、シフは言葉を吐き出した。
 そのシフの陽に焼けた薄い金色の、乱れた長い髪を整った指で撫で上げて遣りながら、
「仮にもイスマス公夫人の言葉では有りませんね?」
 男が苦笑交じりに囁いた。
「その、イスマス公夫人を攫ってこんな所に閉じ込めるなんて、仮にもローザリアの貴族が遣るこっちゃあないね、フォルト陸軍指令補佐官殿」
 あからさまな嫌みの言葉を吐き捨てるシフを、名指しで呼ばれたフォルトが忌ま忌ましげに睨み付ける。
「それも、手足を縛り付けるなんざ、紳氏の風上にも置けやしないよ」
「言わせて置けば!」
 詰られた事にカッと面を羞恥に赤く染め、思わず手を振り上げるフォルトへ、シフが更に追い打ちを掛ける。
「その上抵抗出来ない者に暴力かい? 大したお貴族様だよ、全く」
 シフの辛辣な言葉に被さって、周囲に派手な音が鳴り響いた。
「自分の立場を考えてものを言うのだな!」
 肩で息を乱したフォルトへ、シフは鋭い視線を投げ付けた。
 その頬は赤く晴れ上がり、唇の端から一筋の血潮が零れ落としている。
 だが、だからこそ余計にシフの表情には凄みが有った。
 射るような彼女の瞳に、フォルトはたじろぎ数歩後退ってしまい、それをごまかすかのように、
「も、元はといえば、イスマス公が、ナイトハルト陛下のご命令を撥ね付けるからこうなるのだ。恨むなら、頑なな夫君を恨むのだな!」
 言い置き、足早にシフの前から立ち去った。
 その後ろ姿に、唾を吐き掛けて遣りたかったが、それを懸命に堪えて彼女は代わりに低く呟いた。
「それがどうしたっていうのさ…」
 己の姿を他人に見せかけると言う幻影草とやらを使い、アルベルトに成り済まして自分に接近してきただけでも許せないと言うのに、あの男はよりにもよって自分をアルベルトの枷にしようと言うのだ。
 それも、戦を起こさせる為に。
 シフの脳裏に、アルベルトが常日頃グレイとクローディアの居るバファルとは戦いたくはないと言って苦悩して居た姿が蘇る。
「フフ…もう十分、あたしはあんたの枷になっちまってるね…」
 自嘲気味に表情を歪め、口惜しげにシフは唇を噛み締め項垂れたのも束の間。
 彼女は再び身を捩り始めた。
(…何としても此処から脱出して城に戻らなければ!)
 今頃、フォルトの使いから己の命が惜しければ、バファル進攻を開始しろと言った、ふざけた手紙を受け取って居るに違いないアルベルトを想い、シフは必死に我が身を縛り付けて居る戒めを解き放ちにかかっていた。
(早まるんじゃ無いよ、アル…!)
 お願いだから。
 けれど、その願いが空しい事に、彼女は気が付いていた。


「配置と警備体制は万全でしょうね? ロストス伯」
 イスマス公夫人を拉致し、軟禁するためにのみ設えた厳重な扉を閉め、フォルトが扉前で作戦を練っていたロストスに問いかける。
「勿論です、フォルト様」
 揉み手でもしかねない対応で、ロストスが応えた。
「我が配下選り抜きの戦士たちと、貴方様の騎士の方々を配置しております。如何なる剛の者でも易々と突破する事は出来ますまい」
「ならば良い」
 示された椅子に腰を下ろし、フォルトが吐息を漏らす。
「それより、イスマス公は指示通りに動きますかな? 私目は、それが何より心配でなりません。何せ、あのお方は、邪神サルーインさえ討ち滅ぼした、神々の選びし光の騎士であられますからな」
 神々に選ばれし光の騎士。
 邪神を打ち倒し生還を果たし、新たな伝説を世界に知らしめた存在。
 一度戦場に現れれば、如何な屈強の戦士らであろうと、その名を、その姿を耳に、目にした途端、戦意を失わせるとまで言わしめて来た若き騎士。
 それが、イスマス公アルベルトである。
 彼が戦の先陣を切れば、必ず勝利を皇帝ナイトハルトに献上する事だろう。
 バファルを凌駕すれば、名実共に、このマルディアスの霸者はナイトハルトと成る。
 そのために、この度の策略を高じたのだ。
 例え、己が如何なる汚名を着ようとも、敬愛するナイトハルトに、世界を手にして戴きたかった。
 それこそが、フォルトの本意だった。
(イスマス公が、ナイトハルト陛下のご勅命に従ってさえ下さっていたら何も、このような手段に出ることも無かったのだ)
 悪いのは、貴方なのだ。
 フォルトは目前で、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている男を冷たい視線で見遣った。
 金と、そしてバファル陥落の際に相応の権力を与えると言った途端に釣り上がった欲の亡者。
 無論、全てが終わったなら、真っ先に始末される事などロストスは知る由も無かった。





4.

 ベイル高原を駆け抜け、後小一時間も馬を走らせれば、バファルの金脈であるゴールドマインに辿り着くと言う位置に差しかかった頃。
 突然グレイが馬の足を止めた。
「グレイ?」
 彼方まで続く高原を背後に、そして、金脈を誇示する連峰を前面に歩を止めたグレイを、アルベルトは怪訝な表情で見遣った。
「着いたぞ」
 馬から飛び降り、手近な木にたずなを括り着けるグレイの言葉に、アルベルトの表情が引き締まる。
「気張れよ」
「言われなくても」
 ニヤリと不敵な笑みで返し、アルベルトはアイスソードを鞘から抜き放った。
「行くぞ」
「はい」
 気配を殺し、足音さえも潜めて、二人の歴戦の戦士が駆け出す。
 地平線の彼方が、微かに明るさを示し出した時刻。
 疾風と化した男たちは、数分後、金を掘り尽くし既に廃坑と成ってしまった場所にと辿り着いた。
 グレイの《草》からの報告がなければ、辿り着くのにさぞかし時間がかかった事だろう。それ程そこは人から忘れ去られた場所だった。
 だが、報告に間違いは無かった。
 ひとのいるはずの無い、以前はその入り口を土で塗り込められていた筈のそこには、幾人かの人影が在ったのだ。
 薄闇の中でも、それらの人影が甲冑に身を包み、何時でも戦える紛れも無く正規の訓練を受けた騎士や戦士らで在ることが伺える。
「どう出る?」
 一応、グレイがアルベルトに問いかけてみた。
「最初から決まっていますよ」
 遠慮の必要の無い人達ですからね。
「だったな」
 納得の声を漏らし、グレイはアイスソードに秘められた力を、己の会得した技に反応させ、直後人影の前に飛び出した。
「迸れ!」
 凜、と言い放つのと、アイスソードを中心にして、周囲を猛吹雪が荒れ狂ったのは、ほぼ同時であった。
 見張りを命じられていたバファルの兵士たちは、突然現れたグレイに抵抗する事なく、その命を散らしたのだ。
 アイスソードの力を熟知した者のみが放てる必殺技のひとつ《冬の嵐》の威力によって。
「恐らく、シフは坑道の一番奥に捕らわれている筈だ」
 入り口前に立ち、グレイが冷ややかな声音を向けて来る。
「坑道の状況は?」
「地下三階まで唯の一本道だ」
「では強行突破と行きますか」
 現時刻の地上より、更に深い闇の広がる坑道へ飛び込みながらにしては些か不謹慎な程、あっさりとアルベルトが言い捨てた。
「賛成した」
 入り口を入って直ぐに、点在する松明の明かりに目を慣らした二人の侵入者へ、内部に在った兵士らが襲い来る。
「ほう、なかなかに多勢だな?」
 少しも緊張感や危機感を感じさせないグレイの声が、坑内に響く。
「時間、稼いで下さい」
 アルベルトの端的な応えに頷くと、グレイは走った。
 必殺技を使うでなく、唯の一合と切り結ぶ事無くに、グレイの大剣の錆と化し骸となって行くものたちの、更にその奥に在ったその他大勢は、アルベルトの一言を耳にした。
「―スターライトウェブ―」
 直後、薄暗い坑道一帯に閃光が迸った。
「随分早かったな?」
「高速詠唱です。威力は半減してしまうのが難点ですが、こんな時は重宝ですね」
 それに、魔物ならいざ知らず、相手が抗魔法の力を持たない以上十分過ぎるほどに十分であろう。
 その証拠に、彼らの周囲で、アルベルトとグレイ以外に生きる者は誰一人無かったのだから。
 本来なら、奪うべきでない命だが、今回の事を表ざたにしないためには、誰ひとり生き残らせてはならないと言うのが、ここに来る前にグレイと話し合って出た結論だ。
 だから、遠慮は必要では無い。
 何れ闇から闇に葬られる事になるのなら、いっそ自分の手で、と言い出したのは外ならぬアルベルトだった。
 だが、未だ逆上するには至って無いつもりだ。
 出来る限り苦しませる事なく、葬って遣るのも時には情なのである。
 グレイは言うに及ばず、アルベルトもまたナイトハルトと共に巡ったこの五年の日々で、理解するに至った。
 戦いは悲しくて空しい。
 だから、これ以上はならない。
 バファルとローザリアが本気で戦をしてしまったら、世界は暗黒に飲まれて仕舞う事だろう。
 その時、再び邪神が蘇らぬ保証もまた無いのだ。
 それが理解ってくれない者たちが、余りに多いのも事実だった。
 兎に角、先ず自分が遣らなければならないのは、愛する人を救出する事。
 そして、その序でに、邪まな考えを持つものを屠ってしまう事なのである。
「行くぞ、アルベルト」
 無言で頷き、倒れ伏したものたちにささやかな黙祷を捧げた後、アルベルトは踵を返した。





5.

 廃坑の最も深い位置で、夢想を胸に抱き僅かな眠りに身を委ねていたフォルトとロストスは、酷く焦った様子で飛び込んで来た見張りの兵士に叩き起こされ、不機嫌な表情を露にした。
「何事だ、騒々しいぞ」
「た、大変です―侵入者がこちらに向かって来ております」
「侵入者?」
 このような場所に?
 フォルトとロストスが思わず顔を見合わせる。
「何者か」
「は、はい―」
 兵士が表情を歪め、口篭もるのを苛々とフォルトが怒鳴りつけた。
「はっきりと言わぬか!」
「ハッ! 侵入者は2名。ひとりはバファルの神聖騎士グレイ、今ひとりはイスマス公です!」
 兵士が必死に声を振り絞り、侵入者の正体を申告した。
「な、なんだと!?」
「馬鹿な!」
 ロストスとフォルトは同時に声を張り上げた。
「何故ここが判ったのだ!?」
 計画は綿密に立てた筈だ、なのに何故。
「ど、どう致します!? フォルト様…」
 脅えたような、震える声をロストスが向けて来る。
「未だ、私たちには切り札が在る事を忘れてはならぬ」
 驚愕する己の心を叱咤し、フォルトは視線を出入り口とは別の扉に向けた。
「そう、でしたな」
 ロストスが安堵の息を吐き出す。
「兎に角今は脱出を第一に考えるべきですな」
 イスマス公夫人を楯にしてでも。
 ロストスが言うなり扉に手を掛けた。
 その時だった。
 扉が内側から勢い開いたのは。
 あまりの状況と事態に、ロストスは吹っ飛ばされてしまい唖然とした表情で扉と、そしてその扉から飛び出して来た人物を見るしかなかった。
「な、何が!?」
「あちゃあ、最悪のタイミングだねぇ」
 苦笑を漏らし、右肩を左手で摩りながら、縛り上げ閉じ込めて有った筈の、イスマス公夫人が頭を掻きぼやき声を漏らした。
 自力で縄を解き、あまつさえ体当たりで扉を開いた豪胆さにフォルトは驚愕を越え、感銘さえ感じ取って仕舞った。
しかし、彼は我に返るのも早かった。
 腰の獲物を素早く引き抜き、彼女の喉元に当てながら、彼は囁いた。
「全くです」
 シフは脱力して深い溜め息を漏らした。
「折角、旨く行ったってのに、残念だよ」
 また一からやり直しかい。
 シフが無念に表情を歪めた時だった。
 轟音を鳴り響かせて、出入り口の扉が砕け散ったのは。
「ミ、ミスリルで仕上げた抗魔法の扉が…」
 その頃になってやっと立ち上がったロストスが、悲鳴じみた声を上げた。
「こ、これは…」
 シフは土埃の向こうを目を凝らして見遣った。
 彼女が識る限り、こんな芸当の出来る人物は、この世にたった三人しか居ない。
 自分と、グレイと、そして―。
 視界が広がったその時、彼女は思わず叫んで居た。
「アルベルトーッ!!」
 果たして、そこに在ったのは、正しく彼女の呼んだ名の主の姿だった。
「シ…」
 アルベルトもまた、彼女の姿を見付け出し、狂喜の声を振り絞る。
「シフさんッッ!!」
 無意識の呼び掛けの直後、何か鈍い音がしたのは気のせいでは無いだろう。
「な…んで、感動の再会に、自分の女房《さん》付けで呼ぶんだ、お前は…」
 力の抜け切った声音にアルベルトが振り返ると、坑道の壁面に懐いているグレイの姿が在った。
「あれ、グレイ…どうしました?」
 緊迫感が音を立てて崩れて行きかけるアルベルトの声に、グレイは言葉を失い、シフは自分の今の状況も忘れて盛大に笑った。
 そのシフの様子に、どうやら無事と一瞬安堵の息を吐き掛けたアルベルトの目が、直後見開かれた。
 シフの姿を見た瞬間に。
「き、貴様ッ!」
 よくも僕の大切なシフを!
 怒りに打ち震えるアルベルトを察し、シフは声を張り上た。
「アルッ! あたしに剣を!!」
 一瞬の躊躇も無く、アルベルトは己の手にして居たアイスソードをシフへと投げ渡し、間髪入れずに高速詠唱で光の術法最大奥義を完成させた。
 シフがアイスソードを受け取るのと、アルベルトが光の剣を呼び出したのはほぼ同時であった。
 光の粒子で形成された剣を手に、アルベルトが駆け出し先ず、フォルトのシフの首に向けられた刃を跳ね飛ばす。
直後、シフのアイスソードが奇麗にフォルトを両断していた。
「ヒッ!」
 くぐもった悲鳴を上げ、逃げ出そうとしたロストスは、しかしグレイの剣に凪ぎ切られ絶命した。
「取り敢えずは、片付いた・・・」
 アイスソードを鞘に収め、グレイがアルベルトとシフを見遣った瞬間、言葉を失った。
 既にアルベルトには、周囲の状況など目には入っていないらしく、愛しい人を掻き抱くようにしていたのだ。
「痛む? 大丈夫?」
 不安げに、顔を覗き込むアルベルトへ、彼女は微笑みを返した。
「大したことは無いよ、でも…」
「でも?」
 アルベルトの真摯な瞳に彼女は甘えるように囁く。
「あんたの光に身を委ねたいね」
「お安い御用だよ」
 応えてアルベルトは左の手のひらをシフに翳し、静かにそしてゆっくりとヒールライトを詠唱する。
忽ちにして、シフの全身の痛みが、そして傷が消え失せて行く。
「ああ、やっぱり気持ちがいいねぇ…」
 あんたの光は最高に素敵だよ。
 シフの囁きに、アルベルトが頬を少し染めて微笑んだ後、彼女を抱き上げると、彼女の唇を軽く掠め取った。





終.

「そんな事になっていたなんて…私もグレイと一緒に行けばよかったわ」
 唐突な、バファル皇女の呟きが、その場に在った者の一人を硬直させる。
「ク、クローディア…」
 滅多に見れない、グレイの焦った顔を間近に見ると言う幸運(?)に巡り会えたアルベルトが、苦笑した。
「駄目だよ、クローディア。だってね…あれは、唯の僕の憂さ晴らしみたいなものだったんだから」
「憂さ晴らし?」
「うん。シフを攫われちゃったんだから」
 そう言う所に君を連れては行けないよ。
 まさに聖女と呼ばれるに相応しいバファルの皇女に、あんな修羅場は見せられないと言うのが本音だが。
 グレイが一人コクコクと何度も頷く。
「全くだ。それよりクローディア、お茶をもう一杯頼む」
「あ、はい」
 にっこりと笑みを浮かべ、クローディアが嬉しそうに頷き席を立った。
「あたしも手伝うよ」
 二人が準備に新たなお茶を入れようと立ち上がり去って行くのを目で追った後、アルベルトは、ふと、グレイに向き直る。
「グレイ」
「何だ?」
 既に、常の彼らしい不適な面構えに戻ったグレイが、椅子の背もたれに体重を掛け、腕組みしたままにアルベルトを見た。
「ありがとう」
 心からの真実の、感謝の言葉を零し、頭を下げるアルベルトにグレイが口元のみの笑みを象った。
「お前たちは…俺の、そしてクローディアの大切な友人だ。
 だから俺は当然の事をしたまで」
 ひどく穏やかに、グレイが応える。
「だが、すべてが終わった訳では無い。それを肝に銘じて置け」
「はい」
 すべては、これからだ。
 片付いたのは、飽くまでシフの救出と、愚か者共の始末に過ぎない。
 そして、彼らが生命を奪った愚か者共は、仮にも彼らの国、そして軍に於いては要職に在った者たちなのだ。
 それを片付けたからと言って、事が納まる訳では無い。
 互いの国の揉め事は、自分で片付ける他は無いのだ。
「まぁ、今回の件は、知らぬ存ぜぬを通しても大丈夫だろう」
 そのために、あの廃坑は再び埋めてしまったのだ。
 中で何が起きたのかを知るのは、彼らだけだ。
 その保証は出来るとグレイは呟く。
「汚れてしまいましたね」
 僕たちは。
「何を恐れる」
 伏し目がちにグレイが笑った。
「大切な、何より大切な存在の為なら、この身が汚れる事など何て事は無い」
 そうは思わないか?
 思います。
 呟きにもならない、密やかな声音が漏れ出る。
 確かな真実は、それだけなのだ。
「けれど…」
 アルベルトが目を伏せる。
「未だ何か言いたいのか?」
「…僕は未だ未だ、貴方に遠く及ばないと思っただけです」
 消え入るようなアルベルトの言葉に、グレイは楽しげに笑う。
 本心から。
「そうでもないぞ」
「でしょうか?」
 顔を上げ、アルベルトは真摯の瞳でグレイを見た。
 そして、また何かを言おうとした時、お茶の膨よかな香が二人の鼻孔を擽り、それ以上の会話を成しはしなかった。
「何の話だ?」
 アルベルトのカップに手ずから茶を注いだ後、彼の座るカウチの隣りに腰を降ろしたシフが問う。
「うん、僕がどんなにシフが好きかって事とグレイがどんなにクローディアを愛してるのかって事をね」
「馬鹿」
 シフが真っ赤になって、アルベルトの肩に頭を乗せる。
「あたしだって」
「うん」
 シフの髪に手を差し入れ、その髪を指先で梳きアルベルトは微笑む。
 君のためなら、きっと僕はどんな事にも耐えられる。
 そして、二度とあんな目には合わさない。
 命を賭けても、君を護るよ。
 視線を向ければ、何事もなかったように、クローディアの入れてくれたお茶を飲むグレイと目が合った。
 ニヤリと、唇の端を歪めるグレイを見て、アルベルトは目を細めるのだった。



駄文

はい、アル×シフのラブラブものです。
カッコイイアルベルトとグレイの戦闘シーンが書きたくて、書いたものだったと記憶してます。
設定は、その後のマルディアスワールド。
だもんで、ブラックプリンスは王位を継承してます。
わしのロマサガ話って、殆どその後ばっかりですなぁ。
その方が二次創作しやすいんだもん(笑)

初出/依頼原稿(1993.11.17)

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