-DearMyOnlyYou.2-

 創造神エロールの加護を受けし光の戦士たちが、邪神サルーインを倒してから世界(マルディアス)が丁度5年の刻を刻もうとしていた頃。
 世界の支配分布図の半分以上は既にローザリアに占められていた。
 ブラックプリンスと称されたローザリア皇太子ナイトハルトが新皇帝を継承し、以前よりまことしやかに囁かれていた大陸制覇に、終に乗り出して2年。
 そう、僅か2年で大陸分布図は聖戦以前とは全く違う色に染め上げられたのだ。
 黒き皇帝ナイトハルトの手によって。





 ローザリア王城クリスタルパレスの会議室に集う重臣たちを見渡した後。
 ナイトハルトは整った長い指を、その目前に広げられた大陸公図の”とある一点”を指し示すと、
「陥落(お)とせ」
 低く良く通る鋭い声を放った。
 直後。
 固唾を飲んでいた重臣たちの静かなどよめきが室内に広がった。
 今までに幾度となく聴いた命令ではあったけれど、終に皇帝は決断してしまったのだ、と。
 彼の指先が示した箇所は、永きに渡り確執し続けてきた国の、一地域に過ぎない。
 だが、その一地域は恐らく最も難しい攻略地点でもあるのだ。
 それを誰よりも知り尽くしている、ナイトハルトの傍らに在った未だ幼さを僅かに面に残す若者が微かに表情を曇らせる。
 ナイトハルトは不意に視線をその若者に向けた。
 黒き皇帝の右腕として数々の輝かしい戦歴を持ち、ローザリアの白騎士と謳われる、穏やかで端正な面からは想像も出来ない屈強の戦士、イスマス公アルベルトの表情がその瞬間、見ていて解かるほどに強張った。
 絶対的な忠誠を捧げたナイトハルトが、これから自分に何を命じるのかを理解したために。
「イスマス公。バファル帝国ローバーン城攻略の指揮を命じる」
 アルベルトが読み違える事無く、ナイトハルトから冷淡にも取れる命令が放たれた。

 軍儀を終えて会議室から重い足取りでクリスタルパレス内の彼の執務室に向かうアルベルトの唇から、足取り以上に重苦しい溜め息が吐き出される。
 久し振りの休日をイスマス城で過ごしていた彼の元に、緊急召集で呼び出された時から嫌な予感は在った。
 それが現実になった困惑と哀しみに胸が痛む。
「…参ったな…」
 立ち止まり、視線をパレスの庭園に向けアルベルトは小さな呟きを漏らす。
 これまでにも難題と呼ばれる状況は幾らでもあったけれど、今以上の状況は無いだろう。
 ローバーン攻略は難題ではあるが、それ自体に困惑している訳でも苦しんでいる訳でも無い。
 ローバーンを陥落させた後、多分ナイトハルトはバファルの全てを欲するに違いない。
 無論、ナイトハルトがマルディアス制覇に相応しく無いのではない。
 彼こそが世界の霸者足るものだとアルベルトは思っている。
 しかし、だ。
 バファルには、大切な友人が居る。
 5年前に共に邪神と戦った何より大切な、生死をも預け合った仲間がふたり、そこに居るのだ。
「クローディア、グレイ…」
 呟かれる名は、仲間のもの。
 そして、その名は仲間として以上の深い意味を持つ。
『クローディア』はバファル皇帝の姫の名。
『グレイ』は神聖騎士の称号を持つ、バファル最強の剣士の名であるのだ。
 ローザリアにとって、この二人は敵国の皇女と騎士なのである。
 かつての仲間であり、現在最も大切な友人である二人が倒すべき存在であるとは皮肉だろう。
 だからこそ今はローバーン攻略は回避したかった。
 けれど、それが現実には不可能であることを軍事的な要職に在るイスマス公足るアルベルトは、理解っていた。
 ローバーンを陥落とす意志は在る。
 野心家にして狡猾なローバーン公を、アルベルトは十分に嫌悪している。
 事在る毎にクローディアを暗殺しようと暗躍している存在はアルベルトの領地にして隣接した地の主なのだ。
 煩い、と言う生易しいものでは無い。
 何れはこの手で処断しようと思ってはいた。
 ただ、時期が悪すぎる。
 皇女クローディアが、バファルの帝位に就いた後に、暗に結託して事を起こすつもりでいたのだ。
 世界の未来の為に、不要な存在を少しずつ確実に消し去る。
 それがアルベルトが、邪神との戦いより生還した後に出した結論だった。
 だから、ナイトハルトと共に血に塗れて来た。
 それなのに。
 ローバーン攻略からバファルの終末までの、暗い結末を脳裏から拭いきれず、アルベルトは再び嘆息する。
「…とにかく、なんとかしなくては…」
 誰も居ない白亜の回廊で立ち尽くし、彼はローバーン攻略を回避するべく思考を巡らせる。
 不意に、その鋭利な思考の片隅にひとりの女性の顔が浮かび上がる。
 アルベルトの険しかった面が、唐突に穏やかなものに転じた。
「…怒るだろうなぁ…」
 すぐに戻るから、と言葉を残して後にしたイスマスの城のもうひとりの主の、拗ねたような顔を思い描いて彼は苦笑を零す。
「ごめんよ、シフ…」
 君に怒られるのだけは、後免なんだよ。
 謝罪の言葉と一緒に、愛しい妻の名を零しアルベルトはそれまで止まっていた歩をやっと動かした。

 それから数日後。
「ローバーンを攻略するには、未だ戦力が足りません。最低でも、後歩兵八百、騎兵五百を揃えなければ勝てる見込みはございません。故に、攻め込むに今暫くの猶予を頂きたいと存じます―」
 再び執り行われた御前会議に於いて、建前上の攻略の為に揃えた情報を整理して整えた書類の束を提示しつつ、説明を終えたアルベルトがナイトハルトへ視線を向ける。
「―お許し頂けますでしょうか」
「お前が揃えた情報に偽りはあるまいが…。確かにバファルの要であるローバーンは並大抵では陥落とせまい…」
 ナイトハルトが長い指を組み、厳しい表情を浮かべる。
 アルベルトが要求した軍勢を整えるには少々時間が必要だった。
「良かろう、望む軍勢を与える。整うまで、しばし待て」
「は、ありがとうごさいます」
 恭しく胸に手を添えアルベルトは頭を垂れた。
 だが、その内心で、ナイトハルトに申し訳無い思いを募らせていた。
 今、アルベルトが要求した軍勢を整える為には、かなりの時間を要してしまう。
 ローザリアの全兵力の25%を占める数でもあるのだから仕方の無い事だろう。
 実際にローバーンと事を構えるとしたなら、それくらいの余裕は必要だった。
 アルベルトの叩き出したデータでは、絶対的な勝利を得るために最低限必要な軍勢である。
「そこまでしなくても、貴方なら少数精鋭でローバーンを陥落とせるのではありませんか?」
 唐突に向けられた声音に、アルベルトが内心舌打ちながら、視線を流す。
「それがナイトハルト皇帝陛下への忠誠ではないのでしょうか!」
 辛辣な声の主を、アルベルトは鋭く睨みつける。
 そして、彼が何かを言いかけた時。
「黙れフォルト」
 ナイトハルトの叱咤の声が飛んだ。
 ローザリア陸軍指令補佐官フォルトがグッと言葉に詰まり、それ以上の言葉を封じられた。
「ローバーンは海軍、陸軍の精鋭を揃えているバファルの要。如何にイスマス公であろうと従来の少数での戦果は到底上げられぬ」
 それを理解せよ。
 ナイトハルトの言葉に、フォルトと同様、会議室一同の反対意見の全てが封じられる。
 アルベルトによって揃えられた情報にはしっかりとした裏付けがあり、それが反論を封じる事実でも在ったのだが。
 一先ず、バファル進攻を回避出来た事にアルベルトは内心安堵の息を零していた。
 それが、ほんの一時しのぎに過ぎない事を十分理解してはいたにしても。
 ナイトハルトが追従許さず立ち上がり、議会の終了が告げられた。
 そして、会議室からローザリアの重臣らが全て姿を消した後に、フォルトはひとり取り残される。
 だが。
 その面には、何か決意を秘めた表情が浮かんでいた。





 議会の終了の後、細かいことを片付けるのに手間取り、それでも軍備を整えると言う名目で一旦自分の城にアルベルトが戻ったのは、それから更に数日後だった。
 しかし、そのアルベルトを待っていたのは、卑劣なる罠であった。
 在ろう事か、フォルトがローバーンの指揮官と結託して彼の最愛のシフを拉致してしまったのだ。
 だが。
 バファルの神聖騎士グレイと協力しあい、事なきを得たアルベルトは、今、バファルの帝都メルビルに在った。
 妻の、シフと共に。





「それで、これからどうするんだい?」
 長い年月を経ても尚美しいバファルの王城の一室で、皇女クローディアの入れてくれた芳醇な香りを醸し出すお茶を口に含むアルベルトへ、共に邪神と戦った豪傑でもあるバルハル族の女戦士であるシフの言葉が投げかけられた。
「…うん…」
 言われた当人であるアルベルトの濁った応えが返る。
「決めるのはアルベルトだ、俺たちがゴチャゴチャ言っても始まらんだろう」
 グレイの呟きが漏れた途端、アルベルトがハッと顔を上げた。
「違うか?」
 絡み合う視線の先の、けれど灰色の瞳は鋭い。
「違いません」
 アルベルトの応えは、今度は早かった。
「それで?」
 決まったのか、お前の気持ちは。
 グレイの声にならない問いかけに、アルベルトは頷いた。 最初から決まっていたのだ。
 彼の本心だけは。
 アルベルトの視線が、それまでただ黙って彼らの会話を聞いて居た麗しい女性に向けられる。
「僕は、君たちと戦う意思は無いよ、クローディア」
 たおやかな女性の、それと分からぬほどの堅かった表情が和らぐ。
「だから、暫くの間ここに居てもいいかな? シフ共々」
 グレイとシフの表情が驚愕に彩られる。
 何を考えて居るのだ、と。
「ア、アルベルトッ! あんた自分が何を言ってるのか理解って言ってるのかい!?」
 シフの愕然とした声音は、震えていた。
「勿論だよ、シフ。嫌と言うほどに、ね」
 自嘲気味に唇の端を歪めた笑みを浮かべアルベルトは応えた。
 ローザリアの指揮官が、バファルに居ることを、今は隠し通せたとしても何れは人の口に昇るだろう。
 そうなった時、アルベルトには立場が無くなる。
 裏切り者と罵られさえするだろう。
「でもね、今、クローディアに言った通り、僕はバファルとは戦いたくは無いんだ」
「戦うって…さっきから、あんた…」
 アルベルトの口から零された言葉に、漸くシフは思い至り息を飲み込む。
 グレイは憂いを秘めた視線をクローディアに向ける。
 その、グレイの態度でシフは確信した。
「ナイトハルトが終に命令を下したのかい!?」
 バファル進攻を。
 シフの問いにアルベルトは頷いた。
「ローバーン攻略の、総指揮官に任じられたのが、アルベルトって訳だ」
 拉致されたシフを救出するべくアルベルトに同行していたグレイは、彼から事態を聞かされて居たので簡潔に説明する。
 そのお陰でシフは総べてを理解した。
 何故自分がローザリアの将校に拉致監禁されねばならなかったのかを。
 あの男は彼女に言ったではないか。
 ナイトハルトの命令をはねつけた夫君を恨め、と。
 ギリギリとシフは歯噛みする。
 こんな馬鹿げた事態が許せなくて。
 そんなシフを労わるような眼差しで見つめるアルベルトへ、グレイの声が掛けられる。
「そのお前が、ここに滞在していていいのか?」
「いいわけないですよ」
 思わずアルベルトは苦笑した。
「軍勢が整い次第、動かざるを得ないでしょうね」
 総指揮官である自分は。
「どの程度の軍勢なんだ?」
「25%ですよ」
 もはや隠す気も無いアルベルトの返答に、グレイは唇を噛み締める。
「…とても抗えんな、今のバファルには…」
 単純計算しても、約一月でローバーンは陥落するだろう。 後は坂道を転がり落ちる勢いで、バファルは滅ぼされる。
 間違い無く。
 グレイの組まれた腕に、そっとクローディアの細い手が添えられる。
「グレイ…」
 潤む瞳が彼を見つめている。
 グレイの守りたい唯一人の存在の瞳は、けれど穏やかだった。
「クローディア…」
 世界を作り上げている二人から視線を外して、シフはアルベルトを見つめた。
 その、アルベルトの瞳に確かな決意が浮かんでいると、彼女は確信した。
「何か企んでるんだろ?」
 不意に、アルベルトの耳にシフの囁きが響く。
「うん」
 即答が返り、彼女は安堵の息を吐き出した。
「それで?」
 グレイの声が続けて掛けられる。
「大した手じゃ無いんだけどね、もう市の後の言ってる場合じゃないから」
 アルベルトがグレイから視線をクローディアへ向けなおした。
「頑張れるよね? クローディア」
 グレイが着いてるから、大丈夫だよね。
 アルベルトの意図する事が見えず、それでも彼女は気丈に頷いた。
「頑張るわ」
 その遣り取りだけで、グレイは察した。
 アルベルトが成そうとしている企みの全貌を。
「未だ早い」
「だからもう、そんな事を言ってる場合じゃ無いって言ったんです。その辺を理解して下さい」
「だがな…」
 正しく仏頂面と言った顔のグレイへ、アルベルトが困ったように宥めると言う光景が繰り広げられた。
 そして、暫く押し問答が続き、やっとグレイが渋々と承諾の意を示す。
「仕方ない、か…」
「有り難う」
 ニコリ、と満面に笑みを浮かべるアルベルトを睨みつけグレイは嘆息を漏らした。
「ち、ちょっと…あたしらにも分かるように言ってくれな いかい?」
 二人だけで納得しあっている様に、口を挟まずにいたシフが零す。
「何のことなんだよ?」
「あ、うん。ごめん」
 振り向き、アルベルトが謝罪してから、続ける。
「クローディアに皇帝になって貰う話だったんだ」
 あっさりと言い切ったアルベルトに、納得した直後。
「ええッ!?」
 シフの驚きの声が上がった。





 王城の最深部に存在する部屋でベッドに横たわっていたバファル皇帝フェルY世は、クローディア、グレイ夫妻の伴って来た人物を見た瞬間、全てを理解した。
 穏やかな微笑みを浮かべてアルベルトを傍らまで招き彼は静かに言葉を促した。
「光の騎士イスマス公よ、御身は何を望まれるか?」
「マルディアスの平穏でございます、フェル皇帝陛下」
 自国の皇帝に向けるものと同じ、恭しい礼をした後。
 アルベルトは語る。
 己の真意を。
「信じておるぞ」
 フェル皇帝の全てを理解したその声音に、アルベルトは真実驚きの表情を面に張り付かせ、けれど毅然と応えた。
「畏まりましてごさいます」
 長き病に伏していたとは思えぬ程、鋭さを秘めたフェル瞳が和む。
「貴公の尽力に、期待している」
 そう呟き、バファル皇帝は目を細めて愛娘を見つめた。
「愛しいクローディア、お前に全てを託す」
「はい、お父様」
 有り難うごさいます。
 その一歩引いた所に立つ、グレイに皇帝は瞳だけで伝える。
 後は頼むと。
 グレイは承知の意を込め、アルベルト同様に恭しい礼で応えるのであった。
 数日後。
 皇帝フェルY世の名の元に、バファルに新たな皇帝が誕生する触れが出される事となるのであった。





 バファル帝都メルビルから最も遠くに位置するローバーンから東に徒歩で一時の位置に、異様な気配が充満していた。
 殺気を押し殺した、とでも言うのだろうか。
 形容し難いその雰囲気を醸し出して居るのは雑多な、一見するとならず者の集団にも見て取れる一群。
 異様なのは、彼らから無駄口と言うものは一切漏れてはいない事だった。
 見るものが見たなら一目で理解出来よう。彼らが正規のの 訓練を受けた兵士であろう事が。
 そんな中、歴とした兵士に囲まれた、ひとりの貴族の姿が在った。
 ローバーン公、その人であった。
 フェルY世が重い病を理由に、皇女クローディアを帝位に就けるとの報を受け取ったローバーン公は、皇帝が宣言する前に、事を  起こさなければならなくなった。
 いままで様々な手段で、皇女を闇に葬ろうとしたが、その全ては常に彼女の傍らに在る忌ま忌ましい夫、神聖騎士グレイに潰されて来た。
 それでも、未だローバーン公は、飽くまで表立った行動に出るつもりなど無かったのだ。
 宣旨が下されると知らぬうちは。
 だが、もはや一刻の猶予も彼には残されては居ない。
 多少乱暴な手では在るが、無頼の輩に襲撃させるしか無い所まで、彼は追い詰められてしまったのだ。
 そして終に動く事を決意したが、それでも醜聞を恐れて己の配下を無頼のものにやつさせた。
 事が終わった時、皇帝の実妹にして彼の妃が女帝に収まり、彼がバファルの支配者となる。
 己の描いた未来を予想してローバーン公が身震をした時であった。
「そのならず者たちを何れに向かわせるおつもりなのです、ローバーン公?」
 突然、凜とした声が走ったのは。
「な…!? だ、誰だ!」
 ローバーン公は、驚愕に焦りの声を上げ、声の主の姿を探し求めた。
 すると音も無く、彼の右側に配置されて居たならず者に扮した兵士らが倒れ伏し、その背後から人影が姿を現す。
 その、未だ二十代に差しかかったばかりの若者の姿に、見覚えは無かった。
 若者の黄金の髪が二つの月の光を浴びて煌めき、湖水の如き蒼の瞳は怜悧に煌いていた。
 見覚えは無いが、その容貌からローバーン公は目前の射るような眼差しの若者が誰であるのかを悟り、唇を戦慄かせる。
「イスマス公、アルベルトかッ」
「ご名答」
 応えると同時にアルベルトは高速詠唱で光の剣を創り出す。
 月光と松明以外の照明の無い薄闇の中、スターソードの生み出す閃光がアルベルトの周囲を明確に照らす。
「な、何故…」
 ここに、何故貴様が居るのだ、と言おうとして形を成さない言葉を察し、アルベルトは揶揄するように笑う。
 それは彼を良く知るものには信じられないほどに酷く冷たい歪みであった。
「このような時刻に、そのような風体の輩を伴ってローザリアに進軍するおつもりですね」
 わざと冷酷に言い捨て、アルベルトは光の剣を構えるとゆっくりと歩み寄る。
「それは、何としても止めねばなりません。イスマスの主として」
 足音さえ無いアルベルトの歩みを止めようと、恐怖に駆られたならず者の風体の輩と称された兵士たちが切りかかっていく。
 だが、相手になろう訳も無い。
 幾人かをあっさりと切り捨てた名残の、光の粒子が夜の闇の中を疾った。
 ただ一閃。
 それだけで、兵士らは忽ち屍と化し倒れ逝く。
 斬られた痛みも無いのか、呻きも漏らさず。
「ち、違う…わ、私は…」
 あまりの恐怖に、呂律が回らないローバーン公の唇が、懸命に言葉を絞り出す。
「何が違うのだ?」
 挙兵しておきながら、何が違うと?
 アルベルトの容赦の無い声が放たれる。
 と、同時に彼は走った。
 ローザリア・バファル間の戦を、起こさずに済む数少ない手段を邪魔されては堪らない。
 出来るなら、死人も出来るなら少ないに越したことは無かった。
 全力でアルベルトはローバーン公目がけて走る。
 その行く手を遮ろうとする存在は、けれど何処とも知れない場所から飛来する矢と、突如出現した、大剣を構えた女戦士によってアルベルトにまで辿り着くことは無かった。
 そして、アルベルトは息ひとつ乱す事なくローバーン公の目前まで到達した。
 ローバーンもやっと我に返ったのか、アルベルトに抗しようと剣を引き抜いた。
 だが。
 剣が鍔競り合う一瞬前。
 ローバーン公の額に、奇麗に矢が突き刺さり、勝敗を決す事なく、全ては終わった。





「あれは無いですよ、グレイ」
「何がだ」
 ローザリアとバファルの国境地点。
 ブツブツと文句を漏らすアルベルトに、グレイが訝しむように若者を見つめる。
「折角意気込んだのに」
「だから、何の事だ」
「止めくらい遣らせて欲しかったですよ」
 言われてやっとアルベルトが何に対して文句を言っているのかを理解したグレイはしかし、淡々と言って退けた。
「あれはただのミスだ」
 本当は、ローバーン公の肩を狙ったつもりだったのだが、何故か矢は決まってしまった。
「そもそも俺に弓を使わせる事自体間違いだったんだ」
 腕力にものを言わせて振り回す大剣の攻撃に慣れているグレイに、弓での援護射撃をさせたのは確かにアルベルト自身ではあったけれど。
 それは、もしもを想定して彼の足が付かないようにと考慮しての事だった。
 どこにでも売っている大弓を持たせ、更に念のために顔が見られない遠距離射撃をさせたのもその為では有ったけれど。
 あれだけ見得を切った以上は、止めをさしたかったとつい思うのだ。
 無論、ローバーン公に一番含みが在ったグレイが、彼の額を狙わなかったとは言えないが、それに関してアルベルトもこれ以上突っ込む気は無かった。
 そこに丁度苦笑しながらシフが二人の間に割って入る。
「まあまあ、いい加減におしよ」
 もう、終わった事だろう?
「…そうだね」
 アルベルトがポツリと呟き、グレイは無言で頷く。
 そろそろ周辺が白々として明るくなり始めている。
 別離の時間が迫っていた。
「急ぐんでしょう?」
「ああ」
「当分会えないですね」
「多分な」
「じゃあ元気で。落ち着いたら、遊びに来て下さいね」
 今度はクローディアと一緒に。
「分かった」
 端的な応えを返し、グレイは馬に飛び乗ると、二人に片手を上げ、
「アルベルト、近いうちに会えることを願ってるぞ」
 平穏に行き来出来るようにするのは、お前の役目なのだから。
「はい、グレイ」
 アルベルトの笑みに促され、グレイは駿馬を疾駆させ二人の前から立ち去って行った。
 その後ろ姿を見送ったアルベルトがシフの背に手を添えて、耳元に囁く。
「それじゃ僕たちも行こうか?」
 きっと城の皆は心配しているだろうから。
「ああ、そうだね。戻ったらたっぷり休もう。やっぱり人の家じゃ休んだ気にならないからさ」
「そうだね」
 シフの言葉に微笑みを返し、アルベルトはゆっくりとイスマスの城に、肩を寄せ合って戻るのだった。



 ローバーン進攻の軍備が全て整ったローザリアの、ナイトハルトの元に親書を携え、バファルの神聖騎士グレイが現れたのは、それから一月後のことであった。


■駄文■
DearMyOnlyYouの続きです。
でも、全然アルvシフらぶらぶ〜ぢゃない(爆)
何でこう…宮廷絡みでグレイ&アル展開なんでしょうかね?
(いや、グレイ&アルってめさめさ好きなんですよね。わし的設定では剣の師弟関係なもんで)
当時の後書きトークでも「何だかよく分からない話」とか書いてるしなぁ(笑)
ま、所詮わしの書く話なんてこんなモンなんでしょう(爆死)
とほほ。

初出/礎(1993.12)

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