どんなときも

「好きです、シフさん…」
 真摯の瞳が言葉以上に胸を打つ。
 バルハル族の女戦士は唐突に理解して赤面する。
 聞きなれていた筈の言葉だったのに。
 それこそ、耳にタコが出きる程繰り返し繰り返し言われつづけてきた言葉だったのに、何故今日に限ってこんなにも胸を打つのだろうか。
 否。
 理由は解かっている。
「ぼうや」と呼ぶことに慣れ親しんでいた少年が、ある日突然に成長して己の前に在ったりしてしまったからだ。
「好きです」
 潤む瞳が接近し、言葉と同じく唐突にシフの大柄な身体を抱き締めたのは、その直後だった。
 温もりが快くて、無意識に己を抱き締める腕に身を委ねてしまうに至ったのは、やはり自分も女だったからだろう。
目 を伏せると、子供だと思っていた少年の大人になりきってはいなかった筈の身体は、柔軟でしなやかな筋肉を纏い力強さを誇示している。
 一体何時の間に、少年はこんなにも男らしく逞しくなっていたのだろうかと、抱き締められた腕の中で彼女はぼんやりと思っていた。
 不思議な感情がシフの全身を包んでいく。
「アルベルト…」
 その名を呼んだ瞬間。
 不意にその温もりが僅かに身じろぎ、背伸びをすると彼女の唇に己のそれを重ねてこようとしていると察知して、シフは慌てた。
 けれどその時にはもう、彼女の唇は少年のとても柔らかくて暖かい感触を受け止めていたのだった。
 困惑と羞恥に足掻く事さえ忘れてしまったシフから、けれどアルベルトはゆっくりと身を離した。
「ア、アルベルト…」
 頬を染めるシフが愛しくて、少年は今一度囁く。
 先程より更に情熱をこめて。
「好きです、シフさん」
 アルベルトの湖水色した真摯の瞳を見つめ返したシフは思わず息を飲み込む。
「全てが終わったら、一緒にイスマスに来て下さい」
 僕の花嫁として。
 穏やかな口調で形良い唇から囁かれた少年の真実の熱い囁きに、赤面した彼女が応えようとした時だった。
「まぁだ早いよ、ボーヤには」
 唐突に割り込んできた声に、二人同時に振り返った先に、バーバラが居た。
「バ、バーバラ!」
「い、一体何時からそこにいらっしゃったんですか?」
 部屋の出入り口で腕を組み、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた彼女へ、赤面した二人の声が疾しる。
「ふぅん? 言っとくけど、部屋の扉を開けっ放しにしといてラブシーン見せつけるのは悪くない、とでもぉ?」
 意地の悪い笑顔を面に貼り付けたバーバラの声音に、二人揃って我に返ると声も出ない。
 そうなのだ。
 そもそもアルベルトの真摯の告白が成されたのは、アルベルトが 彼女を酒場に誘うべく迎えに来た時であり、シフが部屋を出かけた時でもあったのだ。
 何時ものように何気なく、けれど何時も以上に言葉に心を込めて、少年はシフに想いを募らせた言葉をかけた。
だけれど、今日の戦いで少年の成長著しい様を目にした彼女はつい、その言葉にシフは過敏に反応してしまったのだ。
 問題は、シフを迎えに行ったきりなかなか戻って来ないアルベルトを何とはなしに迎えに来たバーバラに、告白と口付け寸前の様を目撃されてしまった事である。
 まさか開け放しの扉の向こう側でラブシーンが演じられているなど思いも寄らなかったバーバラは、咄嗟に声をかけてしまっただけで、本当は邪魔をするつもりなど更々無かったのだ。
 パーティリーダーにして騎士団領で名誉騎士の称号を得るに至っているとはいえ、まだまだ未熟の域を脱しないアルベルトを、坊や呼ばわりするのはシフだけではない。
 バーバラもまた、その中のひとりだった。
 が。
 それも昨日までの話だ。
 今日の彼は違っていた。
 これまで戦ってきたどの魔物よりも強大な敵の出現によって、パーティは壊滅寸前まで追い詰められた。
 所が、その戦いの渦中において、アルベルトはシフは言うに及ばず、バーバラやクローディア、アイシャたち女性陣と、最初に痛恨の打撃を受けて重傷を負ったグレイをも守り庇いながら、戦い抜いたのである。
 無論、アルベルト自身無傷という訳には行かなかったが、全滅させずに紛れもない勝利を得た事実は覆せない。
 だから、アルベルトに感謝こそすれ意地悪をする道理が無い筈なのに、先程の幸せそうで甘そうな雰囲気が癪に障ったバーバラは、つい意地の悪い突っ込みをしてしまったに過ぎなかった。
 そんな事とは露知らず。
「そ、それじゃあ、そろそろ行きましょう、バーバラさん。皆、待っているんでしょう?」
「ほらほら、バーバラ。急いだ急いだ!」
 二人は焦りを露にしてバーバラをせっつくようにその背を押すと、酒場へと向かうのであった。





「ねえ、アル」
「何、アイシャ?」
 向かい側の席にあったアイシャが、少し棘の有る口調と眼差しで問い掛けてくるのを、アルベルトは訝しむような表情を向ける。
「あなた、シフを襲って押し倒したって、本当?」
 きちんと躾られた流麗な動作で食事をしていたアルベルトは、その途端硬直し、思わずナイフを取り落としてしまった。
「な、な、何…!?」
 何がどうしてそうなった?
 食事中、アイシャとバーバラが何やらひそひそやっていたかと思ったら、よもやそのような事を伝えられて異様とは思いも寄らないアルベルトの呂律は廻らない。
 その所為で、アイシャの疑問をまるで肯定してしまったかにも受け取られかねなくて、当事者で有るシフは頭を抱えてしまった。
「ほう…?」
 感心したようなグレイの呟きが聞こえてきたので、思わず睨み付けるシフは悪くは無いだろう。
 だが。
「大した進歩だな?」
「それ以上何か言ったら…たとえあんたでもぶっ飛ばすよ、グレイ」
 低いシフの、唸るような声音を聞き届けたグレイの口許に、常の揶揄するような冷淡なモノとは違った笑みが浮かぶ。
 シフの額に血管が浮き上がり、拳がキュッと握られる。
「ご、誤解だよ、アイシャ」
 その間にも、アルベルトが懸命にアイシャに弁明を続けていた。
「不潔ですわ、アルベルト」
 貴方がそのような方でしたとは。
 それまで沈黙を守っていたクローディアまでもが、嫌悪を露にした声音で呟けば。
 立つ瀬の無くなったアルベルトは愕然と表情を強張らせた時だった。
「おや、あれを襲ってないとでも言うつもりかい?」
多分、諸悪の根源であるバーバラの、追い撃ちが炸裂したのは。
「バ、バーバラさん!」
 やはり貴方だったんですねっ。
 話をややこしくしてしまっているのは。
 アルベルトの困惑の声を耳にして、バーバラがにんまりと笑みを零す。
 何故、と文句を言うより早く、これ以上酒の肴にされてたまるかと、沈黙を守っていたシフが口を開いた。
「いい加減にしとくれよ、バーバラ」
 苦い笑みを浮かべてシフが零す。
 それに安堵の息をアルベルトが漏らしたのも束の間。
 彼女の唇は余計な事まで紡いでしまっていた。
「第一あれは、合意の上の事だよ」
「合意の上で襲われたのですか?」
 そんな事も有るのですね。
 シフの言葉で、嫌悪の色を美麗な面から拭い去ったクローディアの生真面目な声に、シフは絶句した。
 否。
 絶句したのはシフだけではない。
 飲みかけのワインを吹き出しかけ、グレイまでもが噎せ込んでしまっている。
「どうかしたの? グレイ」
 不思議そうなクローディアの問いに、答えを返す術をグレイですら見出せない。
 バーバラも同じく絶句していたが、立ち直りは誰よりも早かった。
(世間知らずのお姫様はこれだから…。ま、兎に角助け舟は出しておかないと、後が怖いしね…)
 アルベルトやシフのような一本気な存在は別として、根本的に得体の知れない何かに畏怖を漂わせるグレイという男の、クローディアへにの格別な感情を理解しているバーバラは、矛先を再びアルベルトに流した。
「ほ、ほらアルベルト。あんたがシフにあんなことするからこうなったんだ。きっちり責任とりな」
「な、何故僕が…」
 それには応えず、言うだけ言ったバーバラは目前に有る食事の残りをかき込む事に全力を投じた。
 それにシフも直ちに倣う。
 話題を振られたアルベルトは、事情のわからないクローディアと、事の真相を知りたがるアイシャとに状況を説明せざるを得なくなり、溜め息を漏らして唇を開いた。
「ええとですね、そもそもはですね…僕はシフさんが凄く好きで……」
 しどろもどろに説明を始めたアルベルトを眺め、グレイは思わず苦い笑みを口許に浮かべてしまっていた。
「大変だな…」
「ハハ…」
 その言葉を囁かれたシフが、乾いた笑いを返す。
 気付き始めた自身の感情。
 多分「恋」というものは、どうやら前途多難な気がしてならなかった。

■駄文■
アル×シフらぶらぶ三部作の、序盤にあたるお話でございます〜。
何で最後になったかって言うと、単にコレもFDDに残ってなかったので、本を片手に打ち直したからです〜。
なので、微妙に当時とは表現方法違う所も有ったりして(爆)
可愛いシフが書きたかったんだけど、可愛いアルベルトで終わっているような気がします(爆死)
とほほ。

初出/礎(1993.12.29)

●戻る●