2.

「ぅあっちぃーッ」
 バルトの掠れ気味の声音が響く。
 頭から被っていた、体温の上昇を防ぐ布を跳ね上げ額の汗を拭い恨めしげに果てしなく続く砂漠と、その彼方を睨んだ。
「…まだ日は暮れていない、被っていろ。でないと体力を消耗するだけだぞ」
 イドの窘めるような声音に、バルトがニヤリと笑う。
「これっくらいどって事無いよ。俺は伊達に砂漠を渡り歩いていた訳じゃないからな」
 海賊行為を続けていた時代の事を言っているのだろう、バルトの自信に満ちた声音にイドはジロリと睨み付ける。
「後で後悔することになるぞ」
「大丈夫大丈夫ッ」
 自信満々に応えるバルトに、それ以上何を言う気にもなれずイドは黙すると一旦は止めていた歩を足早に進め始める。
 片やバルトは、妨布を肩に担ぎその後を追う。
 今までのところ、悪鬼は出現していない。
 幸運以外の何物でも無い事は言うまでもないが、今のところの平穏状況に飽き飽きし始めているのは否めない。
 いっそ悪鬼でも現れてくれないかな、なぞと不謹慎な事を考えたのがいけなかったのか。
「…来るぞ…」
 突然の、イドの緊張を含んだ声音に、待ってましたとばかりに身構えて周辺を見渡せば。
 突如砂上から頭を出したその悪鬼は、バルトでは対処の効かない巨大な存在であった。
 ギアが在った時ならば、敵ではないそれも生身ともなれば話は別である。
「ゲッ、ミミーかよッ?!」
 焦りを含んだバルトの声に被さるようにイドの怒声が放たれる。
「下がっていろ!」
 言った途端。
 イドの身体が空を舞った。
 直後、イドの全身が紅の気に包まれ、超必殺技・超武技闇勁が発動して行くのをバルトは目の当たりにした。
 壮絶な拳と脚の応酬が悪鬼にと炸裂し、サクリ、と軽く砂を噛む様な音を立ててイドが地に降りたときには、全ては終わっていた。
 溜め息が出るほど見事な戦い振りに、感嘆の息を吐き出したバルトへ向けられるイドの面からは、未だ緊張感は抜けてはいなかった。
「何をしている、未だ来るぞ?」
 さっさと身構えろ。
 放たれる声音に続き、何時の間にそんな状態になったのか、彼らの回りにはウェルスの集団が取り囲んでいた。
「げげっ」
 かつては人であったものたちの成れの果ては、ミミーに寄生するかのように追従して、新鮮な人の生命力を貪ろうと出現したのだろうと予測出来る。
 哀れ、以外の何物でも無いが、生憎と自分の生命をくれてやる訳にはいかないのだ。
 だからバルトはキッ、と据えた眼差しでそれらを見渡した後、愛用のデスウイップを構えると、必殺技の発動に精神を集中した。
 ムチが唸り空を裂く音を伴い、直後、必殺技・プロミネンスが放たれる。
「シャッ!」
 バルトの奇声が喉の奥から発された。
 苦しませてはならない。
 一撃で葬ってやらなければ。
 火に弱い彼らを一瞬で無に帰す技を放つ、バルトの意識は切なさと哀れさとで胸が締め付けられていた。
 一方のイドと言えば。
 ウェルスへの労りなどは基本的に皆無ではあるものの、火が弱点と識っている故の、武技火勁を連発するに至っている。
 強大な気を繰り出すイドの攻撃力は、フェイの比ではなく忽ちの内に、ウェルスの群れは一掃されて行く。
 戦いが終わり、周辺から悪鬼の気配が微塵も感じ取れなくなった頃には既に、日が暮れかけようとしていた。
 乱れていた呼吸を整え振り返るバルトの、沈む陽光に照らされ日に焼けて尚輝く黄金の髪がバサリと後方に投げ付ける様を目を細めて見つめていたイドは、顎を杓った。
「大分時間を食ったな…今のうちに取り戻すぞ」
「…ああ…」
 言葉少なく、バルトが応える。
 今は下手な言葉をかける必要など無かったし、何かを言う気にもなれなかった。


 何度かの休息を取り、二人がタジルの街に辿り着いたのは出発から丁度三日目の午後であった。
 街の入り口まで後十数メートルに迫った箇所に立ち、イドはバルトを振り返る。
「情報からするに、恐らく街は悪鬼の巣窟だ。覚悟を決めておけ、バルトロメイ」
 イドの言葉にバルトはコクリ、と小さく頷いた。
「解ってる」
 戦いはきっと、激しいに違いない。
 十分に理解し尽くしてはいても、いざイドに言われれば嫌でも戦闘が始まる時独特の、興奮状態に全身をアドレナリンが駆け巡る。
 その時だった。
「死ぬなよ、バルトロメイ」
 真顔で言い募るイドに、エッ、と訝しむような顔を向けたときには既に、イドの姿はバルトから随分と街に近い位置に在った。
「お、おいッ、今の言葉…」
 言いかけたバルトに応えず、イドは全身に気を纏わせ臨戦態勢を整えると突入のタイミングを計っていた。
「…意味が知りたければ、生き延びろ!」
 彼らしくは無い言葉に、流石のバルトも意識を引き締める。
 街の直前まで来て、やっとバルトにも理解出来たのだ。
 タジルから漂う、とてつもない気配を。
 イドをして緊張に声音を堅くさせる何かが、そこに在る。
 激闘は回避出来まい。
 そして、ここから逃げ出すには彼らは既に接近し過ぎていた。
 迫り来る圧迫感に、ゴクリと喉が鳴る。
 そして。
 それは唐突に出現した。
「…こんなん在りかよッ!」
 バルトが怒声を放ち、イドは黙して地を蹴った。
 出現したのは、もはや存在しない筈のデウスの守護を担っていた《天使》だったのだ。
 スケールこそ、ギアクラスよりはふたまわり程小柄ではあったけれど、それでも人が立ち向かうには十分に巨大な存在だった。
 何だってこんなモノがこんな所に居るのか、理由は解らない。
 解らないけれど、倒さなければ生き延びる事さえ不可能だろう。
 そこに在る存在は、それ程に強大な敵だ。
「チイッ!」
 バルトのムチが《天使》の脚に絡み付けられる。
 何とか動きを封じて、イドの戦闘力に期待する他に手は無いと即効で判断してのバルトの行動は間違ってはいない。
 その証拠に、イドはきっちりとバルトに応えてくれたのだ。
先日易々と悪鬼を屠った超武技闇勁が再び放たれたのは、直後のことだった。
 が、しかし。
 元々生命値の高い《天使》である。
 イドの超武技闇勁をもってしても、一撃で撃破は出来はしないのも道理だろう。
 その上、動きを封じるべく絡み付けたデスウイップを今にも引き
千切らんと《天使》が足掻く事によって、バルトはバランスを崩し引っ繰り返りそうになっていた。
「くそッ」
「それを解けッ、バルトロメイッ!」
 イドの怒声を耳にしたバルトは、口惜し気にデスウイップを操作し《天使》から逃げようとする。だが僅かにタイミングがズレてしまった事が彼を窮地に陥れた。
「うあッ!?」
 もんどり打って引っ繰り返ったバルトに、《天使》の光の輪が凄まじいばかりの光量を伴って降り注いだのは、その直後だった。
「ぐぁあッ!」
 激痛によって悲鳴が放たれ、ドオッと派手な音を立ててバルトが地に倒れ臥し、細かく痙攣した後ピクリとも動かなくなった。
「バルトロメイッ!」
 イドの悲鳴のような声が絞り出されるが、応えは無かった。
「…き、さ、ま…」
 ゆるり、とイドはバルトから視線を《天使》に向けなおす。
 怒りを露にし、壮絶な気が周辺の砂をも巻き上げ、小さな竜巻が幾つも幾つも、音を立てて立ち昇った。
「貴様…許さんぞッ!!」
 絶叫の様な声を上げ、イドの連撃が開始されたのは、その刹那の事だった。


 ハァハァと、乱れた呼吸のままにイドがバルトに歩み寄る。
 その傍らに辿り着いた途端、全身から力の全てが失われたかのようにペタリと地に座り込んだイドの手が、恐る恐るにバルトに延ばされる。
 頬に触れるが、やはり応えは無い。
「バルトロメイ…」
 掠れた声音が漏れ出る。
 血に塗れたバルトを見下ろし、頭を小さく幾度か振った。
 フェイで在ってフェイで無い彼には、癒しの力が何故か使えない。
 常なら気に病む事では無いが、今だけはそれが悔しくて溜まらなかった。
「バルトロメイ…」
 もう一度彼の名を呼んでみる。
 それしか出来ない自分が歯痒かった。
「…お願いだ、目を覚ましてくれ…バルト…」
 そして暫く呆然とバルトを見下ろしていたイドが、初めて愛称を口にした時だった。
「…あいよ…」
 唐突に応えが返ったのは。
 ギョッとして、イドのバルトの頬に添えられていた手が離れる。
「バ、バルト…お前…」
「いいもんだねぇ、お前に愛称で呼ばれるのって。お陰で目が覚めちまったよ…」
 出血のためにか、蒼白い顔色のままではあったが、身を起こしてバルトはニッと笑った。
「目が覚めた…だと!?」
 ムッとした表情でイドが言い募れば、あっさりとバルトは頷いた。
「ああ、もろマヂに、な。意識はふわふわしてて結構気持ち良かったんだけどさ…おまえの声聴いて、そしたらなぁ…」
 折角呼んで貰えたのに、目を覚まさなかったら勿体ないじゃないかよ。
 悪びれもせずに言うバルトに、イドの肩からドッと力が抜ける。
「あのな…」
 イドは何かを言おうとして、挫けた。
 何を言っても無駄な気がしたからだ。
 在る意味、正論だろう。
 バルトに常識を求めてはならない。と、この時イドは胸の奥に確かに刻み込んだのだった。
「それよりも、さ…ユグドラのエンジン音が聴こえるような気がするんだけど…」
 バルトの声音に耳を澄ませば、確かに飛空母艦の高音が空を振動させる音が彼方から響いて来ている。
「大した耳だな…」
 イドが感心すると、バルトは苦笑を零した。
「あれだけはどんな遠くっからでも解るんだよ…。って事はだ…」
 天を仰ぎ見て、バルトが顔を顰める。
「お小言てんこもりの可能性、大だなァ…」
 ポツリと呟いたバルトの、小一時間後を想像して、イドも僅かに失笑する。
 だが、彼は不意に真顔になると低く低く呟いた。
「…それでも…傷の手当が出来るから良い…。このままでは俺には何も出来ないからな…」
 小言の百や二百、代わりに聴いて遣る。
 だから。
「だからお前は治療に専念しろ…」
「嬉しいこと言ってくれるじゃんか。…畜生、怪我さえして無かったら今すぐ押し倒しちまうのに…」
 嬉しげな表情で恐ろしいことを平然と言って退けるバルトに、流石のイドも一瞬絶句し、直後。
「なッ、何を考えてるんだッ、貴様はッ!」
 怒鳴り声を張り上げていたのだった。
 そんな彼らの間近へ、ユグドラシルの鈍色の船体が迫っていた。





「若ッ、ほんっとにあんたって人は!」
 シグルドの怒声が医療室に響き渡る。
「我々に内緒であんなところに行くから、こんなしなくていい怪我してしまうんですよッA 解ってるんですかッ!」
 正に雷が落ちるの例え通りのシグルドの声に、バルトが縮こまっていた。
「わ、解ってる、解ってるよ、シグ。だけどあの時はさ…」
「言い訳は無用です!」
「げえッ」
 そんな遣り取りを病室の衝立の向こうで聴いていたイドが苦笑を噛み殺す。
 常の低い、人を馬鹿にしたような笑いとはまるで違うその様子を目にしたシタンが、眼鏡を正しながらイドをマジマジと見入っていた。
「…何だ? 何が言いたい?」
「いいえ、別に」
 シタンの応えにムッと表情を歪めるが、それ以上は敢えて何も言わず、イドが視線をプイと向けた時だ。
「おいッ、イドッ、何とかして暮れ! お前代わりにお小言食らってくれるって言ったじゃないか!」
 バルトの悲鳴じみた声が衝立の向こうから響いてきた。
 途端、シタンがクスクスと笑い出す。
「そんな事、言ったんですか? 貴方が…」
「…煩い…」
 視線を外したままでは在るが、今のイドがどんな顔をしているのかが十二分に想像出来て、シタンは微笑んだ。
「若いと言うのは良いですねぇ…」
「黙れ」
 恐らくは、目許を赤く染めているのだろうイドの面を脳裏に描き、シタンはとてもとても愉しげな眼差しを向けていた。
「助けてくれよおッ、なあ、イドぉ…ッ」
「若ッ!」
 シグルドの窘めるような声音を耳に、イドは踵を返す。
「自業自得だ…、大人しく小言を食らっていろ」
 足音を立てて病室を出て行き様、イドに捨て台詞を投げ付けられたバルトは舌打ちした。
「ひでぇ!」
「酷いのはどなたですか!」
「ひいぃ…」
 暫くは続きそうなシグルドのお小言を遠くに聴きながら、イドは逃げ出したのだった。
 これ以上、シタンの傍らに在って、探られたくも無い腹を探らせない為に。
「ほんとに、若いってのは良いですねぇ…」
 バルトとイドの遣り取りと言動を目にしたシタンがクスリ、と小さく再び笑いを零した。

もう、終われ(笑)

■駄文■
ゼノ小説三部作の第二弾。
「暴走」の続きなバル×イド話。
凄い真面目ぶった内容の割に、相変わらずウチのバルトは豪快です(笑)
そんでもってイドは可愛い…かも。
「暴走」を書いて肝が据わったらしいわしには、もはや何も怖くなかったようです(爆)


初出/大宴会(8サークル9人合同誌)/1998.8.15
BACK