暴走の行方

 終末的な悪夢の果てに漸く落ち着きを取り戻そうとしていた日々を過ごしていた、戦いを生き延びた者たちの元に、ある日突然飛び込んで来た「タジルに悪鬼が住み着いている」と言う情報を耳にしたバルトがニサンを飛び出して早数日が過ぎていた。
 ギアも乗り物も無い、己の足のみでの道程は決して楽な行程では無かったが、バルトは上機嫌だった。
 何故ならば、彼と共に旅しているのは彼の想い人である存在だったからだ。
 その人の名は、イド。
 かつては殺戮と破滅の代名詞とも称された存在である。
 だが、他人の好みをどうこう言われる筋合いは端から無いだろう然としたバルトには無関係だ。
 好きは、好き。
 それ以外の何だと言うのか。
 だからとても嬉しい。
 けれど、その反面。
 冷淡な彼の人の無愛想には幾分心切なくも在ったりする訳で。
 その上、つい先程などは、生身で戦うにはあまりにも強大なミミーをイドは呆気なく倒してしまったりするものだから折角の機嫌も次第に下降の一途を辿っていたりする。 
 そして、最も戦いたくは無い、かつての同胞であったモノ−ウェルス−との戦いに身体だけでなく心までも疲弊してしまった状態は、はっきり言って気分最悪な現状に陥っている。
 タジルまで後、何事も無ければ2日で到達する地点で見つけた、砂漠の中の小さなオアシスに二人が辿り着いた頃。
 既にとっぷりと日は暮れて、辺りは闇に飲み込まれようとしている時刻に差しかかっていた。

「はぁ…」
 地面に敷いた衝撃吸収素材で出来たシートにゴロリ、と横になったバルトが溜め息を吐き出すその傍らで、イドが携帯用の照明の明かりに火を灯していた。
 直後、暗闇に等しかった周辺を眩しい程の光量が覆う。
 闇に慣れていたバルトの片方だけの瞳に、真紅の色が飛び込む。
 イドの長い真紅の髪の色が、人工の照明に照らされる。
 それがとても綺麗だと思った。
 血の色のような、とラムサスが称するそれが、けれどバルトはとても好きだった。
「やっぱ…綺麗だなぁ…」
「何がだ?」
 唐突なバルトの台詞にイドが振り返る。
「お前の髪」
「血に塗れたような、これがか?」
 ククッ、と低く自嘲気味に応えるイドに、バルトは身を起こすとブンブンと首を振った。
「冗談。俺はそんなふうには一度も思ったことが無いぜ」
 バルトの言葉には嘘いつわりは無い。
 そんな事は百も承知だ。
 けれど、イドは突然視線を逸らした。
「‥‥だけだ‥‥」
 掠れたイドの呟きが零れるが、それは良くは聞き取れはしなくて。
「何だ?」
 バルトが身を乗り出してイドの顔を覗き込み真顔で問い掛ける。
 すると、緩慢な動きでイドが視線を向け直すと、先程よりも尚低い声音で呟いた。
「…そんなことを言うのは、お前だけだ…」
 イドの呟きにバルトが薄く笑みを浮かべる。
「そうかぁ?」
 あっさりとした物言いに、イドの瞳がバルトを見入る。
「何故だ?」
「あ?」
「何故、俺なのだ?」
 真摯とも言えるイドの問いに、バルトは笑う。
「フェイに言ったから、当然覚えてると思うけど。惚れちまったから…ってのは理由にならないか?」
 バルトの声音は穏やかだ。
 イドの心の奥底を揺り動かすに十分な言葉を放っていると言うのに。その言葉自体は、決して激しくは無い。
「出来るモンなら俺としては…ずっとお前で在って欲しいんだけど。そうはいかないよな、現実って奴はさ」
 ずっと側に居てくれて。
 励まし合って高め合って行けたのなら、生きて行くのにそれは十分な意味を持つ。
 そんな深い意味を含んだバルトの言葉に、イドは目を細める。
「だが…俺は…」
「うん、解ってる。お前は望まれてない」
 望まれているのは、常にフェイ。
 決してイドでは無い。
 イドを望むのは、バルトだけだ。
 今までも、そして、これからも。
「俺は…いつも…損な役回りばかりだ…」
「そうか? じゃあさ、俺と一緒に居るときくらいは、損じゃないってのなら、どうだ?」
 またしてもあっけらかんと言って退けるバルトに、思わず頷きそうになるイドは悪くは無い。
「だが…」
「うん」
「俺は…女ではない…」
 しごく当然の応えを齎すイドに、今度こそバルトは大声を上げて笑った。
「そんなの当たり前じゃんか!」
 お前が女だったら不気味だって。
 笑いながらのバルトの台詞に、どう応えを返せばいいのか悩んだ瞬間。
 イドの身はあっさりとバルトの腕の下に組み敷かれていた。
「お前だって…幸せになる権利は…在るんだぜ?」
 自分の中の本来の人格に、悪意を全てなすり付けられると言う切なく苦しい生きざまを強いられて来た者にとってバルトの台詞は重かった。
 抗えない。
 否。
 抗いたくないと言う強い想いが、イドを支配して行く。
 ゆっくりと覆い被さって来るバルトの面を、間近に見つめていると、バルトの苦笑が零れた。
「こう言う時は、な。目を閉じるモンなんだぞ?」
 吐息が触れ合う程の至近距離。
 バルトの囁きがイドの耳を擽る。
「あ…ああ…」
 そう言ったものなのか、と心の片隅でぼんやりと考えるイドの唇に、酷く柔らかい何かが触れて来る。
 その瞬間。
 イドは思考する事を止めた。
 それに、意味が見出せないと、理解したからだった。



 ゆうるり。
 時の狭間に漂うかの感覚の中。
 イドの目前に、薄ぼんやりとしたフェイが在った。
 フェイが苦笑ともつかない不可思議な微笑みを浮かべて優しく、そして諭すように穏やかに囁く。
「良かったな」
「そう、なのか?」
 他人に言わせれば、自問自答のような受け答えでも、本人にとっては至って自然な言葉の繋がりが交わされる。
「ああ、そうだよ」
「お前は…困らないのか?」
 言われてフェイが苦笑を零す。
「そんな事は考えなくていいんだよ、イド。お前がそれで良いのなら」
 だから、うんと甘えろ。
 それを許してくれるだけの許容量が、バルトには在るのだから。
 そして、それだけの男だから、お前を託すのだとフェイは言葉にならない思いを募らせる。
「解った…そうする…」
 フェイの言葉にイドは、酷く幼い子供のような笑みを浮かべて頷いたのだった。




 目覚めは、決して悪くは無かった。
 傍らに在る温もりは、はっきりと言えば快くて、離れるのが嫌なくらいだと思う。
 だが、何時迄も温もりに浸っているのは、逆に辛くなると解っているから身を起こすと温もりに向かって、わざと淡々とした声音を放つ。
「そろそろ出発した方がいいぞ、バルト…ロメイ…」
 咄嗟に愛称を呼びそうになって、それを懸命に戻すのは、未だ照れがあるからかもしれなかった。
 そして、それは幸運なのか不運なのか、バルトにはまるで伝わってはいなかった。
「んあ…? もう、朝かよ…」
 思いきり屈伸した後、バルトは既に身支度を整えたイドの片腕を取ると、無意識に己の方に引き寄せてその身体を抱き寄せ口づけようと顔を寄せる。
 が。
「何時迄甘えているつもりだ、とっくに陽は昇っているんだぞ」
このままでいれば、また何時悪鬼が現れるとも知れないと言うのに、呑気なものだ。
 怒ったようなイドの言葉に、バルトは頭を軽く掻くと小さく溜め息を漏らした。
「ったく…昨日はあんなに可愛かったのに…」
「何か言ったか?」
 ポソポソと呟くバルトのそれが、ちゃんと耳に入っているにも拘わらず、聞こえなかった振りをしてイドが問う。
「い〜や、何も」
 その目許に確かな朱が走っていると知らず、バルトは応えて起き上がるのだった。



 それはタジルに向かうまでに起きた、決して些細では無い出来事のひとつである。

《 今度こそ、終(笑) 》
■駄文■
ゼノ小説三部作のラスト。
話的には「行方」で一夜明かす辺り。
実は、こんな事があったんだよ〜ってな感じです(爆)
たはは。

書いたのは「大宴会」の入稿終了後だったかな?
ちゃんとケリをつけなきゃアカン、と言われて書いたようなそーでないよーな(笑)

初出/依頼原稿/1998(年末くらい?)

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