それすらもおそらくは平凡な日々


「はぁ…」
 一体今日何度目になるのか忘れてしまうほどに溜め息が無意識に漏れ出る。
 レイガルド帝国最強を謳われる、青竜騎士団を率いるレオンの端正な面を彩る蒼紫の瞳に、ふと陰が落ちる。
 知らずに済んでいられれば、大した事−とも言えないだろうが−でも無いが、知ってしまった以上どうにも成らない事態に、まさか自分が陥ってしまうとは思いも寄らなかった。
「信じられない…」
 呟き小さく首を振る。
 それに併せてパラリと落ちて来る見事な黄金の髪を掻き上げるとレオンはまたしても大きく溜息をついた。
「どうして…知ってしまったのだろうか…」
 あんな事を。
 冗談で済ませてしまうには、あまりに衝撃的な事実。
「まさか…エルウィンが…」
 言葉を紡ぎ掛けて、戦慄く。
 とてもそれ以上は口には出来なくて。
 どうしたものかと頭を抱えて項垂れた時だった。
「俺が、どうしたって?」
 問題のエルウィンが唐突に声を掛けて来たのは。
「エ、エルウィン!」
 酷く焦ったように振り返る。
 今、自分の精神状態を錯乱させるに至らしめている当人を驚愕の眼差しで見つめた。
「ど、どうしてここに!? せ、せめて天幕に入る時は、一声掛けてから…」
 焦りに焦ったレオンの叫ぶような声音に、エルウィンは呆れたように肩を竦めて唇を突き出す。
「声なら何度も掛けたぞ? 返事しなかったのはお前じゃないか…」
 ぐいっ、と身を乗り出すエルウィンの、歴戦の戦士にしては可愛らしいと以前より思っていた面が間近に迫った途端。
 レオンの頬が火が出るほどに熱くなる。
「エ、エルウィン!」
 焦りのあまり大声を張り上げるレオンを見つめ、唯でさえ大きなアイスブルーの瞳を更に大きく見開いたエルウィンが、感心したような声を上げた。
「うっわぁ…」
 レオンが焦っている様を見るのも初めてなら、顔を真っ赤に染める様を見るに至るのも初めてで、エルウィンは何だか酷く感動してしまっていた。
「どうしたんだよ、レオン。お前…顔、真っ赤だぞ?」
「あ、当たり前だ!」
 反論するのも道理と言わんばかりなレオンに、思わずキョトンと目を丸くする。
 何が当たり前だと言いたいのか、エルウィンにはさっぱり訳が分からない。
「だから、何焦って顔を真っ赤にしてるんだよ、お前…」
 エルウィンの主張も道理だ。
 つい先程執り行われた軍議では視線が絡んだ途端顔を背けるは、時折上の空状態で呆けるは。
 常の冷静沈着を絵に描いたような彼らしくない様子を訝しみ、その原因を尋ねに来たのだ。
 にも関わらず、焦リ捲る様を見せ付けられては、困惑しか浮かばないではないか。
「か、顔が赤らむのが当たり前だ。す、少なくとも真夜中に、ひとりでやって来られては…はっきり言えば困るのだ…」
 私だって健全な男なのだからな。
 言葉尻が次第に小さくなっていくレオンの声音を耳にしたエルウィンの面に微かに険しさが浮かび上がる。
「何が言いたい」
 少し身を引き憤慨を露にするエルウィンへ、未だバクバクと激しく脈打つ己の心臓の位置に手を添えると、レオンは何とか呼吸を整えようと努力する。
「…知ってしまったからだ…」
「何を?」
 間髪入れずに問うエルウィンを真摯の眼差しで見つめ、レオンは呟くような声音で言った。
「お前が…実は女だと…知ってしまって…」
「冷静でいられなくなった、と?」
 レオンの言葉を続けるように言ってから、エルウィンは苦い笑みを零し、
「ふぅん、やっと気が付いたんだ」
 しごくあっさりと言ってのける。
「エルウィン?」
 そんな応えに唖然とエルウィンの顔を見つめれば。
「まぁ…何れは分かる事だろうと思ってたけど。意外に早かったかな。未だ他の皆は気が付いて無いみたいだけどさ」
 エルウィンの苦笑混じりの呟きを、思わず間の抜けた表情で聞いてしまう。
が、このままではいけないと、何とか意識を引き絞って彼は問う。
 正しくは問わずにはいられない、と言った所だったが。
「何故…男の振りなどしているのだ?」
 それとも、旅をしている頃は…それ程に危険だったのか?
 そんな事を言った途端。
 レオンは内心舌打ちする。
 今、世は戦乱で十分過ぎるほどに乱れきっているのだ。
 未だ少女と言っても良い年齢の、うら若き女性が男の成りをして旅を続けるのは当然の事だろう。
 そんな彼にエルウィンは笑う。
「俺、別に自分が男だなんて一度も言った覚えは無いけど? 確かに俺の育ての親のドレンは、そうすれば安全だとは言ってたけどな」
 華奢な身体は甲冑に包めば案外誤魔化せる。
 少女めいた面差しの少年は、結構世の中には居たりする。
 言葉や態度は、冒険者として常日頃から戦いの中に身を置く者として自然に荒っぽくなっていたし、何より育ての親は己を女として育てはしなかった。
 更に、剣呑な眼差しと闘いなれた雰囲気を纏い、腰に使い込んだ剣など履いていれば、如何にエルウィンが小柄な存在だとしても無頼の輩は迂闊に近寄りはしない。
「けど油断はするな…ともドレンには言われたな」
 可憐なお前を狙う欲望のかたまり共は何処にでも在る。
 人前では決して己を露にするな、と。
 うんざりする程聞かされた言葉を改めて口にすれば、酷く納得したようにレオンが頷き応えたのだった。
「その通りだ」
「考え過ぎだよ、そんなのは」
 実際に旅は危険では無かったし、変な騒動になんて巻き込まれた事は一度も無かった。
 これまでは。
「…あれ?」
 口に出して思い至る。
 つい最近まで、自分は結構平穏な旅を続けていた。
 それに比べ、今はどうだろう。
 大国同士の戦いに見事なほどに巻き込まれ、否応無くその渦中の中心に自分は存在している。
 よくよく考えてみれば、その切っ掛けは全て、今エルウィンの目前に在るレオンそのものではないだろうか。
 そう思った途端。
「…何だか無性に腹が立って来た…」
「え?」
 唐突なエルウィンの言葉を耳にして、レオンは怪訝な眼差しを向ける。
「…俺、今まで凄く順調な旅してたのに…、それを全部ぶち壊したのってレオン、お前じゃないか?」
 言っている内に次第に噛み付くように鋭く変化する口調と同時に、エルウィンが再びレオンに詰め寄る。
 言いがかりも甚だしい言動ではあるが、そんなことは今は些細なことに過ぎない。
 治まり掛けていた心拍数が、途端に劇的に上昇してしまったからだ。
 それがエルウィンの所為なのだと、どうして分からないのか。
「そ、そんな事を言われても…」
 困るのだが。
 エルウィンの理不尽な言い様に反論仕掛けたレオンの言葉が、そこで途切れる。
 唐突に甘やかな匂いがレオンの鼻孔を擽ったからだ。
 それが、吐息すら感じ取れるほどに接近したエルウィンから齎される体臭なのだと気が付いた途端。
 焦りは最高潮に達してた。
「エ、エルウィンっ、あまり私に近寄らないでくれ!」
 困惑と焦りと、そして異常上昇する鼓動とでレオンはパニック状況に陥り、しまいには悲鳴のような声を張り上げていた。
「何でだッ!」
 俺が何をしたというんだ。
 理不尽な言い様に怒りの感情に意識を取られたエルウィンが、激したままレオンの胸倉に手を掛けようと腕を伸ばしたその刹那。
 それよりも一瞬早くレオンは動いていた。
 無意識に。
 気が付けば、エルウィンの身体はレオンに押し倒され、その腕の中にすっぽりと収まってしまっている。
「な…っ」
 エルウィンには何でこんな状態になってしまったのかが理解出来ないのだろう。
 驚きに声が出ないでいると、レオンがその耳元へ低く囁く。
「…お前が悪いのだ…、自分の状況が判断出来なかったお前が…」
「レ、レオン…?」
 抱き締められたまま訝しむように己の名を呼ぶエルウィンの薄紅色の小さな唇を奪う。
 憤慨するよりよりも先に、思っていたよりずっと柔らかくて心地よいレオンの口付けに驚く。
 触れるだけだった口付けが次第に息をも付けない激しさへと変わり、何故か抗えないエルウィンの腕はレオンの背に縋り付くしか出来なかった。
「あ…ふ…」
 漸くレオンの唇が離れたとき、漏れ出る吐息に喘ぎが混じった声が零れ落ちた。
 その息の熱さに、レオンが再び唇を寄せようと息を重ねてくる。
「レ…オン…何で…」
 睨み付けるが、潤んでいる所為で威嚇にならない眼差しを向ければ。
「お前が悪いのだ…」
 返って来るのは先程と同じ囁き。
 エルウィンの身体を簡易寝台に押し付け覆い被さっているレオンの、怖い程の視線に無意識に身が竦む。
「こんな時刻に…お前が女と解っている男の元に来て、無防備な様を晒した…エルウィン、お前が悪い…」
「あ…」
 やっとレオンが、エルウィンの知りたかった言葉を募らせた時には、既にエルウィンの着衣は殆どその身を覆ってはいなかった。
 素早いと感心する暇など、何処にも無く。
 エルウィンは小刻みに身を震わし、脅えを全身で表現していた。
「解るな…?」
 耳元に囁き酷薄な笑みを浮かばせた後、レオンはエルウィンの耳朶を軽く噛んだ。


 目覚めはとても、快く。
 意識が覚醒したレオンは身を起こすと己の傍らで眠る存在を見下ろした。
 直後、ガクリと項垂れ小さく嘆息を漏らす。
「何だ…夢だったのか…」
 牡の本能とも言えるのだろう、根底に根ざした願望が齎した非現実で、けれどとてもリアルだった夢と現実のギャップが激しいのは仕方無い。
 残念気に零した己の呟きに目覚めを促されたのか。
 エルウィンが小さく身じろぎしたかと思うとレオンを見上げて掠れた呟きを漏らした。
「何が…?」
「あ…いや…ちょっと良い夢を、見たのだ…」
 戸惑う声音を訝しむと、エルウィンはゆっくりと身を起こしてレオンの蒼紫の瞳を覗き込む。
「どんな夢だ?」
「お前が女の子で…」
 そう言った途端。
「ほう?」
 エルウィンの目が不機嫌に細まるのを、不味い、と思って宥めようとするが時既に遅し。
「男で悪かったな」
 端的に言い捨て、寝台から降りると手早く身支度を整え、レオンが何か言い訳をする間も与えず、エルウィンはさっさと天幕を出て行ってしまう。
 慌ててその後を追って謝罪を試みるが、エルウィンの機嫌が戻るのに暫くの時間が必要なのは火を見るより明らかだった。

 これは、戦いの日々の中で起きた「痴話喧嘩」と言う名の些細なエピソードのひとつに過ぎない。

実はコレ。
後に「エルウィン1/2」を出す切っ掛けになった話。
お間抜けでお馬鹿な話ですねぇ…とほほ(爆)
あんまりにも稚拙すぎて見苦しかったんで、加筆修正したです。
下手すぎるなぁ…5年前の自分…(号泣)
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