act.10 「思ったより遅くなってしまったな」 足早にエルウィンの部屋に向かうレオンの低い呟きが漏れ出る。 数カ月振りにベルンハルト皇帝と酒を酌み交わし、これ迄の事を語っている間に時間が随分と過ぎ、既に夜も更け月は中天の位置にまで移動していた。 そうして漸く辿り着いたエルウィンの部屋の前に立ち、 「拗ねていなければ良いのだが…」 小さく呟いてから扉を軽く二度叩く。 だが。 直ぐに返ると思った返事は、無い。 「エルウィン…もう休んだのか?」 訝しむように声を掛けるが、やはり応えは無かった。 遅れてしまったとは言え、きっと起きて待っていてくれると思い込んでいたレオンは、がっかりとしている自身に苦笑した。 せめて寝顔でも、などと思いながら扉に手を掛けると静かに室内に足を踏み入れた。 「 ? 」 室内に入ったレオンは、周辺に微かに漂う甘やかな香りを訝しむ。 その香りに覚えが有ったからだったが、それらは扉に凭れるようにして座り込んだまま微動だにしないエルウィンの姿を見た瞬間、消し飛んだ。 「エルウィンッ!」 慌てて駆け寄り肩を揺さぶるレオンの声に呼応し、瞳がゆっくりと開かれる。 「レオン…?」 その声の力の無さに、常の輝くような煌きと掛け離れた虚ろな瞳に、レオンは愕然と凍り付く。 「何が…何が在ったのだっ、エルウィンッ!」 狼狽を隠せずレオンが酷く焦った声音で聞いてくるのへ、エルウィンが掠れた応えを返す。 「…利用…しただけだって…」 「エルウィン…!?」 唐突なエルウィンの言葉の意味が読み取れず、レオンの眉が顰められる。 「俺が…光輝の王の末裔だと知っていたから、だから俺に…手を差し伸べたと…」 漸く要領を得たレオンの形相が、険しさを彩る。 「誰がそんな事を!」 怒りのあまりにレオンが声を荒げた瞬間。 大きなアイスブルーの瞳からパタパタと雫が滴り落ちた。 「識って…いたのか? 俺のこと…。だから共に戦おうって誘ったのか…?」 エルウィンの嗚咽混じりの声音に、レオンは眦を引くと微かに頷いた。 「その事は、確かに識っていた」 「…ッ!?」 レオンの応えを聞いた瞬間。 エルウィンの表情が強張ると同時に、己の肩に在ったレオンの手を撥ね除けた。 だが、払われたその手を取り引き寄せるとレオンはエルウィンを強く抱き締めた。 暫くの間、エルウィンは懸命にレオンの腕から逃れようと足掻く。 が、レオンは決してエルウィンを離そうとはせず、若者が落ち着くまで根気よく抱き締め続けた。 「…聞け、エルウィン。我が帝国と闇の軍勢との間が同盟関係に在ることはお前も知っての通りだ。闇のものにとって、光輝の末裔であるお前は、目の上の瘤。我々にお前と言う存在を教えたのは、それ故の事だ。だから我々は知っていた、エルウィンと言う存在を。それだけだ」 エルウィンの瞳を見つめ、レオンは真剣に言葉を綴る。 「それに、私がお前を帝国に誘ったのは…お前が光輝の末裔だったからでは無い。サルラスの村で出会った時、お前は我々の行為を許せぬと激していた。その心根と、青竜騎士団を敗退させるだけの優れた剣技の主だったから、共に戦いたいと望んだに過ぎぬ。断じて、お前の光輝の末裔としての力を利用しようと思ったからでは無い」 そのような卑劣な真似など、誰が成そうと思うか。 レオンの怖いほどの眼差しを、エルウィンは未だ乾かぬ瞳で正面から受け止める。 「でも…お前は…力無き人々の為なら…生命だって簡単に投げ出してしまう。世界から戦乱を無くすためなら…俺如きを戯れの相手にするなど…」 瞬間。 レオンの頬を雫が伝った。 「レ、レオン…ッ!?」 突然過ぎるレオンの涙に、エルウィンが驚愕する。 己以上に傷付いたレオンの表情が、胸を突き刺すように痛い。 「お前は…私をそんなふうにしか…見てくれてはいなかったのか?」 何よりも慈しむ相手を、己が戯れの相手にしているなどと思われた衝撃は、レオンに涙を流させるに十分だった。 「私を…信じてはいないのか?」 「…違う、そんなんじゃ無い…唯、お前ほどの男に、そんなにも想われる価値なんて…俺には無いって…」 「馬鹿な事を…」 二人共に泣き笑いに表情が歪む。 「悩んでいるのは私の方だと言うのに…」 光輝の王たる輝ける存在に己こそ相応しいか否か。 どうしてそれが伝わらないのだろう。 「じゃあ…お互い様、だな?」 必死に笑顔を作ろうとするが叶わず、またパタパタとエルウィンの瞳から雫が落ちる。 その雫に唇を寄せ、幾度も幾度も吸い取って。 レオンは緩やかにもう一度エルウィンを抱き締めた。 激しい行為に疲れ果て、微睡むエルウィンの真紅の髪を飽く事なく撫でていたレオンの手がふと止まる。 「レオン…?」 「ちょっと出掛けて来る。…直ぐに戻るから…」 微睡みの中に在って尚、レオンを求めるエルウィンに優しく囁くと安心したようにエルウィンは小さく丸まった。 その頬にそっと口づけ、安らかな寝息を立てているのを確認したレオンは静かに寝台を降りた。 手早く着衣を身に着け、愛用の刀の一振りを腰に下げ残る一振りをエルウィンの直ぐ傍らに置いて部屋を後にする。 向かった先は、無人の回廊。 場所など正確には何処でも良かった。 目を伏せ腕を組み、冷たい大理石の円柱に背を委ね暫くの間佇んでいると、不意に甘やかな香りが間近から漂って来た。 「尋ねたい事が在る」 伏せた目を見開くこと無く、己の直ぐ近くに現れた存在へレオンは淡々とした声を投げ付けた。 「エルウィンに下らぬ事を吹き込んだのは、ダークプリンセス…、貴方か?」 「下らない事では無いわ。だって、本当の事だもの」 そうでしょう、レオン。 レオンの腕に自らの腕を絡ませようとするダークプリンセスから軽々と身を躱し、レオンはゆっくりと目を見開いた。 「やはり、そうだったか」 レオンの冷たい声音に、ダークプリンセスが薄く微笑む。 「エルウィンは貴方に話したのね、私のこと。でもそんな事はどうでも良いのではなくて?」 まるでしな垂れかかってでも来そうなダークプリンセスを、又するりと躱しレオンは能面のように冷徹な表情で見遣った。 「エルウィンは、貴方の事など一言も口にしてなどいない。ただ、室内に貴方の香りが微かに残っていたのを思い出したのでな」 それが確かに貴方のものか否か。 それを確かめに来た。 レオンの言葉にダークプリンセスは目を細める。 「そう。でも嬉しいわ、レオン。やっと私の気持ちが貴方に伝わったのね」 艶やかに笑みを浮かべるダークプリンセスに、レオンは口許のみの冷たい笑みを返すと愛用の刀の鍔留めを外す。 カチリと澄んだ金属音が回廊の壁に反響した。 「レ、レオン?」 ダークプリンセスの艶やかな笑みが、一瞬にして凍り付いた。 「何のつもり!?」 「何のつもり、だと?」 クッ、とレオンは喉で笑った。 刃をダークプリンセスに向け、レオンの唇が嘲笑を象る。 「貴方は哀れな人だ」 言葉とは裏腹の、同情や哀れみなど一切感じさせない冷淡なレオンの言葉にダークプリンセスはゾッと背筋を凍らせ無意識に数歩後退さる。 こんなレオンは見たことが無かった。 彼女の知るレオンは、何人にも別け隔て無く接する、暖かで広い心の主で。 凛然とした眼差しで彼方を見つめる存在の筈だ。 だが。 今、ダークプリンセスの目前に在るレオンはそれとは凡そ掛け離れた雰囲気を醸し出している。 こんなレオンは、知らなかった。 「私がどれ程にエルウィンを切望していたかなど、知るまい。漸くこの腕に抱くことを許された、何より慈しむ存在…」 刀を構え、冷酷な眼差しをダークプリンセスに投げ付けながら、レオンは鋭く言い放つ。 「我が愛しき者を傷付けることは、例え何者であろうと許しはしない」 明らかなる怒気、否、殺意に怯むダークプリンセスを尚も追い詰めるかのように、レオンは一歩また一歩と近付いて行く。 「例えそれが、貴方だとしてもだ」 ヒュン。 刃が空を斬る音が聞こえたかと思った瞬間だった。 彼女の身を包んでいたアーマーが突如バラバラと床に散乱したのは。 「ヒ…ッ」 引きつったような悲鳴を上げるダークプリンセスを冷酷に見下ろし、レオンは刀を鞘に仕舞った。 「忘れるな」 恐怖に身を竦ませ、小刻みに震えるダークプリンセスを一瞥した後。 不意に興味の全てを失ったかのように、レオンは踵を返した。 「レオン!」 悲痛さを滲ませたダークプリンセスの声が追い縋る。 けれど、彼女の制止の声にレオンの歩みが止まることは無かった。 何事も無かったように、飄々と立ち去るレオンの後ろ姿へダークプリンセスは金切り声を放つ。 「そんなに大切だと言うのッ!?」 その声に、無論応えは無く。 ひとり取り残されたダークプリンセスは打ち震える。 「…殺して遣る…」 憎悪に燃える瞳で、彼女は唸るように呟く。 苦しみもがく無様な姿を晒すような無残な遣り方で。 「エルウィンを、殺して遣る…ッ!」 ダークプリンセスの瞳に狂気が走った。 寝室にレオンが戻った時。 エルウィンはレオンの置いて行った刀を抱き抱えて、寝台に座っていた。 「待ってた…」 「そうか」 その隣りに腰を下ろすと、エルウィンがレオンの胸に身を寄せる。 エルウィンの髪に掌を差し入れて、緩やかに幾度か撫でると低い呟きが零れ落ちる。 「ありがとう」 キュッと腕の中の刀を握り締めるエルウィンに、レオンは穏やかに優しく微笑った。 エルウィンは気が付いてくれたのだ。 レオンが刀を置いて行った意味を。 だから、抱き締めて離そうとはしないでいる。 刀はレオン自身。 それを置いて行ったと言うことは、心をエルウィンに預けて行ったと言う事なのだと気が付いてくれたのがレオンには嬉しかった。 「でも…どうして彼女は…あんなにも俺を目の敵にするのだろう…」 エルウィンが不思議そうに呟く。 「ダークプリンセスは…多分…」 多分、己を好いているのだ。 応えかけて、レオンは表情を歪ませる。 だからと言ってエルウィンを傷つけて良い訳では無い。 それに、レオンには既にエルウィンと言う存在が居る。 何より愛しい存在が。 「彼女は…とても哀しい人なのだ」 濁すように言葉を紡ぐレオンに、エルウィンは静かに頷くだけだ。 「ああ…」 レオンが言い淀んだ言葉を、エルウィンは十分に察して居た。 何故なら。 ダークプリンセスは憎悪の眼差しでエルウィンを見つめていたからだ。 あの瞳は、人を愛する故の憎悪の現れ。 だけど。 これだけは絶対に譲れない。 エルウィンだってレオンが好きなのだ。 ずっとずっと想い続けて来たのだから。 レオンの刀を抱く手に、更なる力を込めてエルウィンは決意する。 この先、どんな事が待ち受けていたとしても。 レオンを信じ続けるのだと。 レオンだけを想い続けるのだと。 そんなエルウィンを見つめていたレオンが、微かに目許を赤らめて囁く。 「それにしても…エルウィン…」 「うん…?」 「随分と…大胆な姿だな…」 言われてエルウィンは我に返った。 エルウィンは腕に抱いた刀の他に、何も身に着けてはいなかったのだ。 「あ…いや、これは…その…。だって目が覚めたらお前がいなくって…」 だから傍らに在った刀を抱き締めて待っていたんだから、何かを着るとか考えるよりも先に抱き締めてた。 しどろもどろのエルウィンを見つめて、レオンはニコリと笑う。 「嬉しいよ、エルウィン」 「う、うん…」 エルウィンもつられて思わずニコリと笑った途端。 パサリ。 エルウィンは刀を抱いたまま、レオンにベッドに軽く押し倒された。 「ち、ちょっと待てよッ。さ、さっきあんなに沢山…した、じゃないかぁ」 まだ言葉にするのが恥ずかしいのだろう、必死のエルウィンに、レオンは優しく囁いた。 「好きだよ、エルウィン。今、お前が欲しい…」 その言葉に反撃が封じられる。 己を求めるならばちゃんと言って欲しいと、以前言ったのはエルウィン自身だ。 でも、流石に言われても困る場合が在るでは無いか。 「お、俺…明日起き上がれないの、ヤだから…」 真っ赤になってレオンを押しのけようとするが。 「私と触れ合うのは、そんなに嫌か?」 酷いな、エルウィンは。 「だ、誰もそんな事言って無いだろ!」 ああ言えばこう言う。 先程までの雰囲気は何処へやら。 真っ赤になったエルウィンの首筋に唇を寄せるレオンに、もはや何を言っても無駄だと悟り、エルウィンは深い溜め息を漏らすしかなかった。 こんな事ならガウンくらい身につけておけば良かったのではないかと一瞬思うが、多分それも無駄だろうと考え至る。 こんな時のレオンは、とても強引で。 人の話なんて、聞きはしないのだから。 ましてちゃんと『お伺い』をたてているのだから、反論の権利は無いような気がする。 「一回…だけだぞ?」 「心得よう」 そう応えるレオンの言葉は、今だけは信用がおけなかった。 |
己が指揮下に在る少数とは言え、帝国最強の精鋭たる4将軍を目線だけで軽く見遣った後、エルウィンは王城のバルコニーに立つ帝王へ騎乗したまま一礼をする。 それに応え、ベルンハルトが大きく頷き返すのが見えた。 刹那。 くるりと踵を返したエルウィンは凛、とした声を放った。 「全軍、進撃っ!」 総指揮官の出陣の呼びかけに、壮大な呼応が返る。 その日、ついにレイガルド帝国は大陸統一のための最終進撃を開始したのだ。 彼らの行く手に待ち構えるのは、果てしない激闘。 終わりは未だ、誰にも見えなかった・・・。 |
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■中書き なんか、又してもイイとこで終わってる? って声が聞こえてきそうですなぁ(笑) っちうか、実はここまでが同人誌で発表した話なんですよね。 つまり、この先は全て「書き下ろし」って訳です。 ・ダークプリンセスは、これから何を仕掛けてくるのか。 ・光輝の軍勢とどんな戦いを繰り広げるのか。 ・今の所動きを見せない闇の皇子は、どんな暗躍をしているのか。 ・っちうかソニアちゃん何時出てくるんだよ?(笑) などなどが書きかけだったり、プロットだけはあったり…って状態です(笑) まぢで、先は長いぞ〜(核爆) これからの展開としては、ほんっとに短めのを少しずつアップしていく事になるでしょうし、ゲームと同じようで微妙(微妙か!?)に違う話になって行くと思いますが、呆れず宜しくお付き合い下さいませね。 ■洛陽 act.8.9.10 初出/聖戦・3(1996.08.04) |