『SOMETHING IMPORTANT』
   〜ver.B : You Are The One That I Desire〜

二階堂ぢゅり

 抜けるような空に、その蒼を吸い込んだ雲がふわふわと漂っていた。
 爽やかな風が、木々をさえずらせながら南へと走り抜けてゆく。
 若葉の隙間から射す光が、彼に揺らめく斑模様の陰影をつけていた。
「陛下……?」
 極力足音を立てないように近づいて、タジは声を掛ける。
 目の前で無防備な姿を晒す彼の人に―――。
 大樹の根元に腰を下ろし、太い幹に体を預けて彼は眠っていた。
 傍らに神剣を立てかけてはいるが、不用心極まりない。
 ヴィーデルンの王宮から程近い森、周りは全て自国の拠点。
 とは言え、不用意に一人で出歩いたり、増してやこんな所で眠りこけていい人ではないのだ、この人は。
(…陛下らしくないな…)
 決して他人に心を許さない彼が、例え自国の王宮内であろうと―――いや、王宮内であるからこそ、こんな風に誰かが側にいる事にも気付かない程睡臥してしまうとは考え難いのだが……。
「…サリューンさん…」
 膝をつきながら、タジは彼を呼ぶ。
 さらさらと流れる銀色の髪が眩しい。
 光の粒子が彼の頬に零れてゆく、その様はまるで一枚の完成された絵画のようだ。
 神聖な情景に、幾ばくかの近寄り難さを感じながら、そっと覗き込む。
 息を詰めて見つめれば、薄く開かれた口唇から洩れる柔らかな吐息に目眩がするほど惑わされそうになる。
 "…綺麗…"
―――と、腕に何かが触れた。
「あっ!?」
 突然引っ張られてバランスを崩したタジは、そのままつんのめるようにサリューンの胸の中に飛び込む。
「サリューンさんっ!?」
 反射的に降り仰ぐと、紅輝色の視線とぶつかり合う。
 倒れこんだ瞬間に腰をしっかりと抱き込まれ、身動きの取れないタジはすがりつくような姿勢のまま、サリューンを睨め付けた。
「……起きていたんですね!」
 片眉を跳ね上げてサリューンは笑う。
 "当たり前だろう?"
 その瞳はそう告げていた。
 そうだ、確かに彼らしくないと思っていたのに、思わず油断した自分に腹が立って、タジは身体全体でサリューンから逃れようと身を捻った。
「…離して下さいっ!」
 だが無論、力でサリューンに敵うはずもない。
 タジの抵抗はどこ吹く風と、サリューンは涼しい表情を浮かべている。
「そんなに暴れるな」
 クスクスと声を漏らしてサリューンが言う。
「お前が可愛いから、声を掛け損ねたんだ」
「!」
 タジの動きが止まる。
 自分の顔が瞬時に熱くなるのが解った。
「そっ……」
 そんな台詞で、オレは誤魔化されませんよ?
 続けようとした言葉も、はたと自分の置かれている状況を自覚してしまった途端に自然消滅する。
 目と鼻の先に、サリューンの微笑。
 ほのかに香る、甘酸っぱい花のような匂い。
 身体はサリューンに力強く抱きすくめられたまま。
 …触れ合う部分から流れ出す、体温。
「…あ…」
 ドクン。
 鼓動が走り出す。
 たまらず伏せた眼差しを、
「…タジ」
 背後から廻されたサリューンのしなやかな指に、いともたやすく捕らえられた。
 サリューンの口唇が頬を滑る。
「…サリューン、さん…」
 優しい曲線を描きながら、タジに覆いかぶさったそれは、舌先で口唇のラインをなぞった後、慣れた仕種で深く進入してきた。
「…んっ…」
 じっくりと、味わうようにタジの舌を翻弄しながら、サリューンの手はタジの服に掛かっていた。
「はぁっ…んんっ…っ!」
 気付いたタジが止めさせようとするよりも強く、サリューンはタジの口唇を吸い続ける。
 抗う力も気力も根こそぎ奪われる。
「だ…めっ…ん…っ」
 ささやかな抗議もすぐに口付けの中に飲み込まれた。
 熱く閉ざされた空間で、混ざり合う唾液の糸。
 互いに絡め合い、求め合う舌と舌。
 長い、長いキス。
 魂まで吸い尽くされるような。
「あぁっ…」
 息苦しさに胸が引きつれた。
 うっすらと閉じた瞼の裏さえ熱を持っている。
 タジは、素肌の上を風が通っていく気配を感じた。
「ダメっ…、サリューンっ…さん、人が…来る…っ」
 柔らかな緑の褥(しとね)に横たえられたタジの、衣服は既にその役目を果たしてはいなかった。
 頼りなく肘や膝の辺りに絡まったそれは、全てを晒け出すよりもずっと卑猥な雰囲気を演出した。
「大丈夫だ…、誰も来ない」
 ピンク色に染まり始めた首筋を指と口唇とで辿りながら、サリューンは答える。
「ふっ…ぅんっ…」
 胸元にある紅い蕾の、片方を舌で、片方を指で弄ばれ、タジはサリューンの髪を掴んで引いた。
「あっ…っ!」
 のけぞる躯に光のシャワーが降り注ぐ。
 切なげに蠢く肢体を浮き彫りにする。
 サリューンの膝に割られた足は、閉じることもままならず、妖しく甘やかな姿態で無意識にサリューンを誘う。
 迷うことなく愛撫するサリューンの動きに同調して、細く長い髪がタジの肌を嘗めていった。
「やっ…、だめ…っ…」
 拒む言葉。
 拒む仕種。
 ―――"もっと"とねだる欲張りな躯―――
「…やめてもいいのか?」
 上気する頬の華やかな彩にサリューンは瞳を細め、激しく上下する薄い胸を愛しげに掻き抱いて突起を吸った。
「んぁっ…!…やだ…っ」
 微電流のような疼きに躯がうねる。
 生暖かい感触に、ぞくりと痺れが腰を突き上げた。
 "…やめないで…"
 言葉とはうらはらに、零れる吐息に侵された喘ぎが、潤んだ海の色の瞳が、こんなにも饒舌に語る。
 "…もっと、して…"
 触れられてもいないのに、立ち上がる熱い欲望。
 サリューンの頭を抱いた細い腕さえ。
「…」
 意地悪く見える笑みでウソつきな口唇にキスを落とした後、サリューンがすっと躯を起こしてタジを見下ろした。
「…サリュ…、さん…」
 玉のような汗が光る滑らかな肌。
 そこに散りばめた朱色の痕。
 その軌跡を確かめるようにサリューンの舌が這う。 
「……ふ…」
 そして、とろとろと蜜を垂れ流している先端に、そっと口唇を押し当てた。
「んぁっ…っ!」
 逃げようとする両足を膝の裏から抱えられ、神経を刺すような激しい快感にタジはきゅっと眉根を寄せた。
 サリューンの舌は先端から根元へ、焦らすように緩やかになぞって、それから躊躇いもなくタジをくわえ込む。
「…ぁ…っ…」
 濡れた音が淡く穏やかな空気に融けていく。
 くちゅくちゅという音に羞恥心を揺さぶられ、タジの手は刺激に耐えるように宙を掴んだ。
「は…っ、あ…」
 脈が激しい。
 根元に指が絡まる。
「サリュ…っ、サリュー…ンっ、さ…っ」
 躯が燃える。
 甘噛みされてひくひくと慄く。
「あ…っ、あぁっ…っ!」
 喘ぎ声が止まらない。
 びくんと大きく躯をしならせ、サリューンの口の中で弾ける瞬間にタジは小さな悲鳴を上げた。
「…あ…ぁ…」
 解放されたそこからは、ドクッドクッと白濁した液がほとばしっていた。
 肩で息をしながらサリューンを見れば、綺麗な口唇の端から流れる雫に目が行った。
 つぅっと筋を作って顎を伝う、不透明な…。
(オ…レの…っ…)
 目の前でサリューンの喉がこくりと鳴る。
「……っ…」
 恥ずかしさにいたたまれない。
 タジの視線に気付いたのか、サリューンはまだタジの名残が残った口唇で優しく頬をくすぐった。
 その口唇は、タジの欲望を全て掬い取った淫らな口唇。
 添えられた手は、タジの欲望を煽った淫らな手。
 一呼吸置いて、サリューンが囁いた。
「…タジ、愛してる…」
「…え…?」
 息を吸い込みながら声が出る。
 タジの大きく見開いた双眸から大粒の涙珠が溢れた。
「…タジ…?」
 "どうしたんだ?"
 怪訝な顔でサリューンが問いかけてくる。
 首を左右に振りながら、タジは口元に手を当てて嗚咽を噛み殺そうとした。
「だ…ってっ…! そんなコト言われたの…、初めてだ…っから…っ!」
「…!」
 サリューンが息を飲んだ。
「い…つもっ、何も言ってくれないから…、オレ、不安でっ…! でも、言えな…くて…っ」
 しゃくりあげながら、タジは言い募る。
「気持ち…っ、疑う訳じゃない…っけど…、でも…でも、オレ…っ!」
 それは、ずっと胸につかえていた想い。
 愛される歓びの裏側に潜んでいた不安。
「…言わなくても、解るだろう…」
 とめどなく溢れる涙を舌で嘗めとりながら、サリューンは耳元で呟く。
「…でも…っ! それでも…、オレ、恐かっ…っ」
 置き去りにされた子供のように泣きじゃくる躯を抱き締めて、若草の匂いのする髪に口付ける。
「サリュ…っさんが、好きだから…、ずっと…恐か…っ」
「…解ったから、もう泣くな…」
 平静を努めながら、サリューンは動揺を隠せない。
 こみ上げるタジへの愛しさと、自分への憤りと。
「…サリュ…ンさん…っ」
 懸命にしがみついてくる柔らかな腕を感じて、サリューンは抱き締める力を強くした。
 タジに『愛してる』と告げていなかったことに、サリューンは気付いてすらいなかった。
 無意識の傲慢さで、タジのいる日常を当たり前だと思い込んでいた自分を思い知る。
 大切にしているつもりで、愛しているつもりで、タジの心と躯を縛り付けて。
 それが、タジにどれほど心細い想いをさせたのか。
「…愛してる、タジ…」
 汗ばんだ額に口付けた。
「……って…」
 掠れた声に促され、繰り返される愛の言葉。
 今までの時を取り戻すように。
「愛してる、タジ…」
 腫れた瞼の上に降る。
「…も…っと…」
 重なった部分から、熱さを分け合う躯と躯。
 解け合えないことがもどかしい。
「愛してる、タジ…」
 濡れた頬を辿って口唇に触れる。
 タジの欲望で湿った指が、双丘を撫でて秘所をなぞる。
「…いぁっ…っ!」
 浮き上がったタジの腰を抱いた腕で押さえ、少しずつ指を沈めてゆく。
 タジの爪がサリューンの肌に食い込んだ。
「…タジ…」
 宥めるように何度も抜き差しする内に、すっかり開かれている躯は積極的に貪欲に飲み込み始めた。
「あぁんっ…あぁ…っ、んっ…」
 悩ましい喘ぎを口唇で吸い取る。
 色鮮やかな四肢を思うままに掻き抱く。
 互いの熱が擦れた。
「はぁんっ…!」
 過敏に反応したタジの秘所から指を抜いて、足を大きく掲げて悶えるそこを空気に晒した。
「…っ! やっ…」
 僅かに身じろいだタジが、耐えられないと言わんばかりに両腕で顔を隠した。
 ゆっくりとのしかかりながら、サリューンはその腕を強引に引き剥す。
 寄せられた眉と熱を帯びた眼差しが、甘い声で鳴く口唇が、壮絶なほど艶めいている。
「…愛してる、タジ…」
 その言葉を、タジは夢見るような笑顔で受け止めた。
 刹那、サリューンは有無を言わさない勢いでタジの中に押し入った。
「……あぁぁぁッ…っ!」
 一気に根元まで突き入れると、深くサリューンを呑み込んだタジの躯が波打つ。
 内部を擦る生々しい感触に、躯中が小刻みに震え始める。
「…あっ…」
 狭いそこで息づく熱い塊。
 次第に拡がってゆく凄まじい恍惚感。
 "今、自分の中にいるのは愛する人"
 "今、自分がいるのは愛する人の中"
 背筋を、躯を、物凄いスピードで突き抜けてゆく。
「…タジ」
 混濁する意識を呼び止める声。
 応えて瞳を開けば、驚くほど近くに大好きな人の顔。
「サリューン…さん…」
 サリューンの肩口にしがみついて、口唇を重ねる。
 タジの華奢な躯を抱き止めて、サリューンはそろりと動き出した。
「あっあ―――っ!」
 徐々に早くなるリズムに合わせて声が上がる。
 淫らな音が2人の耳に届く。
 目も眩む快楽の奔流。
「あぁっ、あぁっ…!」
 もう何を口走っているのかも解らない。
 視界が霞む。
 爽やかな風が吹き抜ける。
 鼓動が痛い。
 瑞々しい若葉が舞い落ちる。
 息が苦しい。
 それでも更なる快楽を求める躯は、もっと、もっととねだるように腰を揺らす。
「んっ、あっ……っ! サリューンさん…っ!」
 反り返る背中を光が泳ぐ。
 涙が一滴、弾け飛んだ。
 一層大きな声で鳴いて、タジが体を跳ね上がらせた。
 熱を解放させると同時に肉壁をギュッと締め付ける。
「……っっ!!」
 サリューンの息が詰まる。
 そして、一番深い所へ熱くたぎるモノが注ぎ込まれた。
「…っ…あぁっ……」
 めくるめく光明の中、至福感に包まれながらサリューンにもたれるように躯を預けていると、
「…タジ…」
 荒い息の下から声がした。
「…はい」
 存分に甘えさせてくれる胸で瞳を閉じながら、まだ躯に埋め込まれたままのサリューンの存在を感じる。
 指が自然と白銀の髪に絡まっていった。
「…愛してる……」
 鳥のさえずりが言葉を彩る。
「…もう一回、言ってください」
 重なる心音だけが2人を満たす。
「愛してる…タジ」
 ―――タジの意識はそこで途絶えた。
   
 
 優しく髪をすく、誰かの指…。
(…キモチ、いい…)
 頬にちょこんと触れた手のひらの冷たさに、タジはふっと目を覚ました。
「…ん…」
 寝返りを打って薄く目を開けると、真っ先にオレンジ色に染め上げられた若葉が目に入った。
 その隙間にちらちら見える、夕焼け色の空。
 そして―――ふわりと丸い仕種で、タジの髪をすくサリューンの微笑。
 タジは、サリューンの膝の上で寝かされていた。
 衣服は申し訳程度に着せられているが、胸元ははだけたままになっている。
 その上からサリューンの上着が掛けられていた。
(…ずっと、こうしててくれたのかな…)
 指先から、眼差しから、サリューンの想いを感じる。
 前髪を掻き上げ、撫でつけるようにすいていく指。
 何度も、何度も。
(…オレも…好きです)
 心地よさに視界を閉じる。
(愛して…います)
 ざわざわと葉ずれの音がする。
 "もうじき夜が来るよ"
(…うん、でも、もう少しこのままで…)
 時間は止まらないから。
 夜は必ずやってくるから。
 …サリューンを困らせているのかも知れないけど。
 もう少し、あと、少しだけ―――。
    
    
                    [END]