永遠回帰-side.B-

序.


 最初は、さして気に止めるまでも無い存在だった。


 憧憬の眼差しで見つめて来る者は、それこそ幾多に及んでいたのだから。  
 「あれ」も、その中のひとりでしか無い筈の。 
 だと言うのに。
 何時の頃からだろうか。
 そうでは無くなっていたのは。
 時折、強くて強くて思わず歩を止めてしまう程に強い眼差しでジッと見つめる「あれ」に、何度となくそれと分からぬ程度に振り返ったりした。
 そうしている内に、「あれ」を探してしまっている自分に気が付いてしまった。
 そうして、次第に魅かれている自身を自覚したのは、一体何時頃だっただろうか。
 もう、思い出せもしない程、ずっと昔の事だったような気がしてならない。
 「あれ」が自分を見つめていたように、自分もまた「あれ」の姿を追っていた。
 誰も愛せない。
 誰も愛してくれない。
 ずっと、孤独。
 傍らには、何も無い。
 それが道理。
 それが当然。
 ずっとそうなのだと思い込んでいた自身にとって、だからこそ、一連の感情の起伏が酷く新鮮であり、驚きの連続だったのだ。
 そして、思った。
 もしかしたら「あれ」は違うのではないのか、と。
 「あれ」だけは決して自分を裏切りはしない。
 どんな事になっても。
 どれ程の事態に見舞われようとも。
 常に、自分だけを見つめてくれるに違いない。
 それは断定であり、紛れも無い真実。
 何者にも、覆すことは出来ない現実。
 絶対、と言う真理。
 何故かは理解出来なかったが兎に角あれは自分にとって唯一無二のもの。
 己のためにこそ、あれは存在するのだ。
 誰も、何も、如何なる理由が在ろうと、変えてはならない、たったひとつの真理。
 だが。
 それは、いともあっさりと覆された。
 唐突に。
 あまりにも、突然に。
 それらの総てが崩された瞬間。
 なにもかもが、崩壊した。
 そして。
 もはや、彼を止める術など何処にも有りはしなかった。







ACT.1

 神羅治安部隊精鋭中の精鋭、ソルジャー。
 その頂点であり英雄と称されるセフィロスに、与えられたミッションとしては些細な部類に入るニブルヘイムの魔晄炉調査。
 殺戮の繰り返しの日々とは掛け離れた、彼にとってはささやかな任務とも言えるそれに、追従するのは親友と言っても差し支えない同じソルジャークラス1stのザックスと、二人の一般兵。
 ただし、そのうちのひとりは、ザックスの親友であり、この所セフィロスにとっても十分心許せるに値するクラウドと言う名の少年兵だった。
 大したミッションでは無いのだし、ザックスも居る事だからと連れて来る道程途中。
 そのクラウドの様子がおかしい。
 訝しむようにセフィロスがクラウドを見遣った時。
「…ホント、お前って乗り物に弱いのな?」
 ザックスが揶揄うように笑いながら言うのが耳に入った。
(成る程…)
 それで具合が悪そうなのかと納得すると、僅かにでは有るが笑みが零れてしまう。
 悪いとは思いながらも、可愛いなどと思ってしまったからだ。
クラウドの一挙一動が、とても可愛い。
 無論、それを口にする事は決して無かったが。
 何時からそんな風に、クラウドを見るようになったのかもう忘れた。
 兎に角、気になる。
 何時の間にか、その姿を目で追っている。
 だからと言って、クラウドをどうしたいと言う訳では無いのだけれど。
 我ながら馬鹿げているかもしれないが、見ているだけで穏やかな気持ちになるのだ。
 未だ、幼さの残るこの少年を。
 ザックスに何か言ったら、きっと笑い転げられるに違い無いだろう。
 実力は十二分。
 資質も判断力も行動力もある、セフィロスが信頼する彼の存在はしかし、かなり愉快な性格をしていると知っている。
「ったく情けないヤツだよなぁ?」
「うう…煩い、ザックスなんかキライだ…」
 セフィロスが何気に見つめているその傍らで、子供の域を脱し切らないかのようにじゃれあう二人の様に、自然に目が細まる。
 だが。
「でも、俺はお前が好きだぜ?
 バンバンと派手な音を立てて、ザックスがニコニコと笑顔を浮かべてクラウドの背を叩きながらに、言った途端。
 セフィロスの眉が無意識に顰められた。
 何故だか分からないが、不愉快な気分に陥ってしまった為だ。
 その感情が、嫉妬と言うものであるなどとは理解も出来はしないのだろう神羅の英雄は、己の不快な感情を押し殺すかのようにクラウドを覗き込むが如くに屈み込み、優しく声を掛ける。
「ザックスから話には聞いていたが…乗り物酔いとは、そんなに苦しいものなのか?」
 そんな風に語りかけるセフィロスなど初めて見るに至ったザックスが驚きに一瞬目を見開いている事など、此の際無視を決め込む。
 らしく無いかも知れない。
 自分でも十分理解しているつもりだったが、確かに彼にとっては酷く珍しい事だった。
 憧れのセフィロスに優しく声を掛けられ、ビックリしたクラウドが、明かに青ざめた面持ちの中に微かに頬に朱を走らせ小さく頷いた。
「あ…はい…」
 応えた後、クラウドの鋭い視線がザックスに投げ付けられる。
 一体何時そんな事をセフィロスに告げ口したのかと言った憮然としたものを表情に浮かべたクラウドから、慌てたようにザックスが顔を背けた。
 その一連の言動もカンに障ったが、微かに眉を顰めるだけに済ませ、セフィロスは囁くように低い声音を漏らす。
「乗り物酔いは飲んだのか?」
 確か、神羅の新薬に、かなり上等な酔い止めがあった筈だと記憶していたので言ってみると、
「…体質らしくて…、効かないんです…」
 困ったように顔を上げて応えるクラウドの、眼差しが酔いの為にか潤んでいる。
 それを目にした途端。
 セフィロスの胸がドクン、と一瞬大きく脈打った。
「…大変だな…」
 それをごまかすかのように、セフィロスはクラウドの金色の癖毛をくしゃりと撫でてしまっていた。
 当然の事だが、無意識の行為だ。
 だから、当のセフィロスは本心から驚いていた。
 髪を撫でられたクラウド以上に。
 思わず俯いたクラウドから、ゆっくり手を離すとセフィロスは己の手を一瞬見つめ、グッと拳を握り締めると何事も無かったかのように言葉を漏らした。
「…だが、間も無く目的地だ。それまでもう少しの間辛抱するんだ…」
 心此処に有らず、な状況で呟くセフィロスに、コクリと頷くのが精一杯なのだろうクラウドから返答は無かった。
 それが逆に良かったのかもしれないと、セフィロスはぼんやりと考える。 何かを応えられたら、また心に無い言葉を口にしなければならないからと漠然とした思考に、セフィロスは包まれていた。
(セフィロス…?)
 ザックスは、そんなセフィロスを訝しむように見つめたが、敢えてそれを言葉にはしなかった。






 己の目前で展開されている現実に対峙するセフィロスの表情は、まるで能面の如く凍り付いたものだとザックスは見て取った。
 ニブル山の魔晄炉に隠された信じられない重要機密に直面しただけでも、彼らの意識を疑惑と困惑が渦巻くに十分だと言うのに。
 そこに隠されていた古代種の名『ジェノバ』は、よりにもよってセフィロスの母と同じもの。
 何も知らないで済ますには、あまりにもあまりな出来事に、セフィロスは心を閉ざすしか無く。
 ニブルヘイムに辿り着いた直後から、セフィロスは神羅屋敷に向かったまま姿を現さなくなった。
 屋敷に籠もって、誰とも接触を取らなくなったセフィロスを、最初の内は心配して幾度となく見に行ったザックスだったが、彼の様子の激変振りに掛ける言葉が見つからなくなってしまい。
 数日を経た今では、彼自身宿屋のベッドに唯寝転がって時間を無意味に食い潰してしまう日々を過ごしている。
 だが、他に何をすればいいと言うのか。
 魔晄炉の調査報告書を作るなど到底出来そうは無いし、実際にどんな報告をしろと言うのか、叫び出してしまいたい衝動にも駆られていた。
 そんな自身を苦く思って、だからザックスは唯ベッドに寝転がるしか出来ないでいたのだ。
 そんな彼を心配して、
「ザックス…聞いちゃいけないのは、解ってるつもりだけど…せめて、その…理由の触りだけでも教えて貰えないだろうか?」
 何度も繰り返されたクラウドの声音が、背中を向けたまま寝転がるザックスに再び掛けられる。今日のクラウドの声音があんまり切なさを漂わせていたから、咄嗟にザックスは顔を向け、一瞬だけだが口を開き掛けるが、それはやはり言葉には成り得なかった。
 何をどう旨く取り繕おうとも、最終的には神羅の重要機密を語らなければならない。それを話してしまったばかりに、機密保持の為にクラウドの生命に危険が伴われてしまわないとは限らない以上、ザックスには何を語ることも出来はしない。
 それが歯痒く、クラウドに申し訳ない思いで胸が詰まったザックスは、再びクラウドに背を向けるしか無く。
 無言の拒絶にクラウドの深い溜め息が漏らされるのを耳にして唇を噛み締めるのみ。
「…ザックス、俺ちょっと行って来るよ…」
 仕方ないなと零した後、気分を切り替えたのだろうクラウドの声に、またかと内心思いながらも背を向けたままでザックスが分かり切った質問を零す。
「…何処へ?」
 分かり切った質問であるから酷く間の抜けたものだと我ながら呆れながらのザックスの言葉に、クラウドが律義に応える。
「…セフィロスさん、この所ちゃんと食べて無いみたいだからさ…」
 ザックスと違って。
 ポソッと漏らされた呟きにザックスが一瞬苦笑を零す。
 クラウドの言う通り、ザックスが食欲を無くしていたのは少なくとも、ニブル山の魔晄炉調査から帰って来た最初の一日目だけだった。
 あんな事が在ったにもかかわらず、僅か一日で食欲だけは立ち直ってしまう自分にザックスは我ながら呆れ果てたりしている。
 あくまで立ち直っているのは、それだけだったが。
 それに反してセフィロスは、はっきり言って戻って以来何も口にはしていないのである。
 それだけセフィロスの受けた精神的ダメージが大きかったのだろう事は否定出来ないが、思うに彼は人が考えている以上に脆いのだろう。
 その証拠に、項垂れたり高笑いを放ったりするセフィロスを纏っていたのは、狂気そのもの。
 親友であるザックスが初めて見る、セフィロスの狂態は目を覆わんばかりの有り様だったのだ。
 思い起こしてザックスの口許に僅かに浮かんでいた笑みが跡形もなく消失する。
 せめてもの救いは、そのザックスの表情がクラウドには見えないという事だけだった。
 誰にもどうする事も出来ないのが、今のセフィロスの状態なのだ。
 それをクラウドに伝えて遣れなくて、ザックスが唇を噛んだ時。
「…だからこれ…持って行こうと思って」
 クラウドがポツリと呟いたので億劫気に振り返ると、サンドイッチの乗った陶器の皿が見えた。
 途端、ザックスは思わず苦い笑みを浮かべる。
 今のセフィロスに、クラウドの声など決して耳には入ら無いだろうし、いくらあしげく通った所で口にして貰える事も無いだろう。
 だからザックスはつい、思った事を唇に乗せてしまう。
 それがクラウドを傷つけてしまうかもしれないと解っていても。
「無駄だと思うけどな…」
 だが、彼の考えに反してクラウドはニコッと笑みを浮かべて応えを返した。
「…無駄でも良いんだよ。だって今の俺に出来る事なんてこれ位しか無いんだからさ」
 何も出来ないのなら、せめて食事くらいは運びたい。
 例え、無意味な事だとしても。
 クラウドの言葉にザックスの胸がズキリと痛む。
 そうさせているのは、外ならぬ自分なのだと理解っているからだった。
「それに、さ。運良くセフィロスさん、もしかしたらこれに気づいて口にしてくれるかもしれないだろ?」
 クラウドの前向きな応えを耳にしたザックスは、軽く頭を掻いた。
 こんな時のクラウドは誰よりも前向きで強い。
 ソルジャー昇格試験をクリア出来なかったのが不思議でならない程に。
 自分のための意志は決して強くは無いのに、他人のことになると途端に強くなる。
 それがクラウドの魅力なのかも知れないと漠然と思ったザックスの表情に、この数日の間忘れていた穏やかさを浮かび上がる。
(そうだな…そうかもしれない…。俺の声は届かなかったけど、こいつの声なら、もしかしたら…)
 届くかも知れない。
 その理由も、ちゃんと存在している。
 セフィロスがクラウドを気に入っている、否、気にしている事をザックスは識っているのだ。
 その感情が、多分己のクラウドに抱いているものと本質では同じものではないだろうかと言う事も。
 違うのは、自分がクラウドに抱いている感情は、クラウドが一番大切で在ると言う、クラウド重視の感情で在る事に対して、セフィロスが抱いているのは自身重視だろうと言う事だ。
 だとしたなら。
 時間さえ掛ければ、何れはセフィロスの心は開くのでは無かろうかと、僅かながらの希望が見えてくる思いがする。
「そう言う訳だから」
 断りを入れて部屋を後にしようとしたクラウドの後ろ姿を目にしたザックスの脳裏を、突如として泣き叫ぶクラウドの姿が過り、酷く不快な急激な不安感に支配されたのだった。
 慌てて身を起こすとザックスは蒼白の顔色でクラウドを呼び止めていた。
「あ…っ、クラウド!」
「何だよ、唐突に大きな声出して?」
 怒鳴っているつもりは無かったのだが、どうやら自分の声音はクラウドにはそのように受け止められたらしいが、今はそんな事はどうでもよかった。
「ザックス?」
 ザックスの声に怪訝な表情で問うクラウドに、けれど何かを言おうとしてそれが言葉にならなくて内心舌打つ。
「あ…いや…」
 何をどう伝えれば良いのか。
 何故あんな不快なビジョンが脳裏を過ったりしてしまったのか、混乱する。
 ザックスは自分の思考が解らなくなっていた。
 そうして結局口に出来たのは。
「…気を付けろよ…」
 唯、それだけだった。
 しかし、それが今のザックスの精一杯の言葉なのだと、クラウドに伝わる筈も無い。
「? 何に気を付けろって? おかしな奴だなぁ…」
 まぁ、いいけどね。
 取り敢えず、気を付けることにするよ。
 一体何に気を付ければいいのか、なんて敢えて気にも止めず、訝しむ眼差しを笑いを含んだものに切り替えたクラウドが軽く片手を上げる事で応えを返すと今度こそ部屋を後にして行った。
(…あ…)
 無意識に、まるでそれを止めようとするかのように腕を伸ばすが、既にクラウドの姿は室内には無く。
 残されたザックスは、何故こんな動作をしてしまったのかと、呆然と己の手を見つめた後。
 ポソリと低い呟きを零した。
「済まないクラウド…何も言って遣る事が出来なくて…」
 苦し気に息を吐き出し、俯く。
「済まない…どうして遣る事も…出来なくて…」
 唇から吐き出されるのは、決してクラウドには届かない謝罪と、そして。
 自覚出来ない不可思議な言葉。
 刹那。
 再びザックスの脳裏に嘆くクラウドの姿が過る。
 どうしてこんな情景が己の内から滲み出るのか。
 どうして謝罪の言葉ばかりが唇から漏れ出るのか。
 訳の解らない不可解さが不愉快で、それ以上に自身が苛立たしくて、ザックスは拳をマットに叩き入れる。
 ギシリ、とスプリングの悲鳴を上げる音が室内に空しく響いた。






 人、では無い。
 人ですら、無い。
 ニブル山の魔晄炉に於ける『ジェノバ』の存在から端を発して、セフィロスは神羅屋敷の奥深くに封印されているに等しかったガスト博士の研究室を発見してからずっと、研究データと彼の博士の日記に目を通し続けていた。
 そして解った事は、自身が実験によって生み出された、否、造り出された生命体で在ると言う衝撃のみ。
 室内に山と積まれた紙の束のひとつ、またひとつと目を移す都度、セフィロスの意識はどんどん冷えて行った。
 自分が人では無い現実に、意識のみならず肉体もが希薄に成って行く。
 自分という存在を根本から否定され、セフィロスの自我は崩壊寸前と言っても過言ではなくなっていた。
 だから彼には、彼に何かを伝える者の声が届かなかった。
 自分自身と言う存在がが希薄に成っているだけではなく、周りもまた希薄そのものに成っていたからだった。

 だが。
 その時、セフィロスの意識の片隅を何かが過った。
 それは綺麗な金色だった。
 人工的に作り出される灯火の中でも、キラキラと煌く黄金のそれは、自然に生まれ出た輝きを齎している。
 それが何であるのかと知覚しようとしたセフィロスに、それが不意に何かを言うのが聞こえた。
「…食事を持って来ました…此処に置いときますから…」
 か細い声音だ、と思った。
 不安に押し潰されそうな、けれどそれでも懸命に振り絞るように出されたその声が言葉として意味を成す前に、それは更に言葉を綴った。
「…ちゃんと食べて下さい…」
 それに応えを返そうとするが、希薄になり過ぎた自身は自分が思っている以上に反応出来ず、唯無様に突っ立っているに過ぎず。
 それは、深い深い溜め息を吐き出してから諦めたように項垂れてセフィロスから立ち去って行ってしまった。
「…クラウド…」
 それが立ち去ってから暫くして、漸くセフィロスは己の唇を動かすことが出来たが、その名の主がそれを耳にする事はなかった。
 何故なら、セフィロスがクラウドのを呟くことが出来たのは、彼が立ち去ってから軽く見積もっても五分程度の時が過ぎてからだったので。
 それでも、セフィロスが希薄過ぎた自身を取り戻すには十二分であっただろう。

「クラウド…お前は、お前だけは…」
 違うのだな?
 暫くしてセフィロスの唇は言葉を成した。
 今度は、名前だけでは無く、ちゃんと意味を持った言葉として唇は吐息混じりの呟きを齎したのだ。
 希薄だった自身が急激に質感を露にしていく感覚は、感動さえも伴っていた。
「クラウド…!」
 強い意思の漲る、声を放ちセフィロスは振り返る。
 そこに、クラウドの持って来てくれた食物が置かれているのが見えて、彼の口許に自然に笑みが浮かび上がる。
 言うなれば、それは多分喜びというものだろう。
 サンドイッチを手に取るセフィロスの胸に、熱い何かが競り上がっていく。
 きっとクラウドは、どんな時も己の傍らに居てくれる。
 自分が何で在ろうとも。
「お前だけは、違う」
 口に出して言ってみて、それが確信のように思えてならなかった。
 そうだ。
 これは確信だ。
 クラウドは、己の傍らにずっと居てくれる。
 それは紛れも無い真実であり、真理。
 間違いなく。
 何故そう思えるのか。
 どうして何も疑う事なく確信してしまうのか。
 そんな事は理由にはならない。
 必要なのは、クラウドと言う存在。
 世界の総てがどうなっても、己の直ぐ傍らに、己の感じ取れる場所に何時でもクラウドが居てくれるのなら、それでいい。
 それだけで、いい。
 セフィロスは器に在った食物を口に運び終えると、既に宿に戻っただろうクラウドの後を追うべく研究室を後にした。


 誰も、セフィロスさえも識らない。
 この瞬間。
 総ての厄災と、総ての悪夢。
 そして、総てを狂わす運命と言う名の歯車が、ゆっくりと軋みながらに廻り始めたのだと言う事を。






 カツン、と静まり返った地下回廊の剥き出しの岩肌にセフィロスの靴音が響く。
 それは、たった今研究室の扉を自ら締めて踵を返したセフィロスが一歩を踏み出した足音。
 クラウドが持って来てくれた食物を、残さず食してから宿に向かいかけるセフィロスの面差しは、此処に来る前とは打って変わった穏やかさを漂わせている。
「クラウド…」
 そっと低くその名を呟き、セフィロスは苦笑した。
 何故なのだろう。
 こんなにもあの存在が己の中で大きくなる一方なのは。
 あれは、多分―否、間違いなく―己のためにのみ存在するのだ。
 だからこれ程に、心に重きが置かれるのだろう。
 そうに違いない。
 セフィロスが自問自答の果てに出した結論は、クラウドと言う存在はセフィロスのためにだけ存在しているのだという事だった。
 ゆっくりと研究室を後にするセフィロスの、その脳裏に蘇るのは己に対する時は、常に貌を真っ赤に染めて何処か焦ったように接する姿。
 遠くから唯憧憬の眼差しを送るのではなく、きっちりとセフィロスの瞳を正面から見つめてくれる幼い、けれど端正な面差しは以前から見ていて不快なものでは無かった。
 今回のミッションの報告を済ませたら、長い休暇を取って、何処かで休息でも取ろう。
 あれも、それには連れて行きたいと思う。
 戦うことにも些か疲れた。
 悪夢の如き『ジェノバ』の実態の事も、己が人でない事も全てあれが忘れさせてくれるような気がする。

 口許が微かに緩みを訴えたその時。
 セフィロスは、聴いた。
 クラウドの声を。
「 ? 」
 一瞬、セフィロスは我が耳を疑った。
 それは、こんな所で聴く事など、聴ける筈など有り得ない声、だったからだ。
 有り体に言えば、それは嬌声。
 喘ぎと嗚咽の入り交じった、切なさを滲ませたもの。
 だから、此処で、それもこんな所で聴く訳など無い筈のものだ。
 しかし、それは紛れも無くクラウドのものだとも理解が出来た。
 凝固してしまったように立ち尽くすセフィロスの、その瞳がすぐ近くにある大仰な扉―今の今迄こんな所にこんなものが在る事にも気が付かなかった―を訝しむように睨み付けると、人知を越えた力が自然に沸き上がったのか、彼の視覚に何の障害も無く扉の向こうで繰り広げられている光景が飛び込んで来た。
「 !! 」
 その、まるで眼前にも感じ取れる映像は、衝撃以外の何であろうか。
 全裸で見知らぬ男と身を繋げているクラウドを、どうして目にしなければならないのか。
 驚きに一瞬硬直したのもつかの間。
 セフィロスの全身を激しい憤怒が駆け巡る。
 あれは、何だ。
 誰がこんな事を、赦したと言うのか。
 お前は、何を、している。
 驚愕と憤怒とでぐちゃぐちゃになった思考が全身を突き上げた状態のセフィロスの足が無意識に数歩後退さった後、ユラリと音も無くその場から離れていた。
 もう、何も無い。
 繋ぎ止めるものなど、何も。
「クックッ…」
 漏れ出るのは、低い笑いのみ。
 表情の一切を無くした面を彩る、美麗な切れ長の瞳から感情の光は全て消失していた。


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