Little Romance
後編

 帝国暦2114年。
 フィリシアが帝位を継承して、4年が経過した。
 全世界をバレンヌ帝国の支配下に治めるに至り、魔物との激闘に継ぐ激闘の日々の果て。
 少女皇帝はついに七英雄を討ち滅ぼした。
 暦が春を迎えたその日。
 フィリシアは永きに渡る歴代皇帝の齎す最後の意志を実行に移す。
 それは、唯一人の支配者による独裁制度を解体し、民衆の選んだ者が政治に携わる共和制度の施行と言うものだった。
 最初は戸惑いを隠せなかった民衆も、皇帝の最後の願いを聞き入れた。
 無論それが即、実行に辿り着く訳では無かったけれど。
 民衆が自発的な行動に出るまでの間、実質的な政治は今暫くフィリシアが執り行うしか無かったのだが。
 それでも時間の経過の後、世界各地でそれぞれの指導者が生まれようとしていた。





 共和暦元年、冬。
 中央政権を司るアバロンの宮殿の執政室。
 フィリシアは深い溜め息を吐き出した。
 目前の山と積まれた書類の束が、その原因である。
「…いい加減、うんざりしちゃうなぁ…」
 折角普通の女の子に戻ったのに、ちっとも忙しさは無くならない。本当なら最愛の人と、ずっと一緒に居て、幸せな時間に浸っていられる筈だったのに現実は、離れ離れだ。
 七英雄との戦いを強いられていた頃は、常に振り返れば彼の人が優しい眼差しで自分を見つめていてくれたし、どんなに辛い時も傍らに在ってフィリシアを抱き締めてくれた。
 だけど今は、そのフィリシアの一番大切な人は側に居ないのだ。
 逢いたい。
 彼の人の顔が見たい。
 縋り付きたい。
 抱き締めて欲しい。
 今迄、こんなに切ない想いに捕らわれた事なんて無かった。こんな事になるのなら、戦い続けている頃の方が良かったかもしれないなどと不謹慎な考えさえ幾度も浮かんだ程だ。
 フィリシアは胸を締め付ける苦しさから、また溜め息を漏らした。
「そんなにお会いしたいですか? ゲオルグ殿に」
 幾度も幾度も繰り返し漏れ出るフィリシアの溜め息に、自ら手伝いを買って出てくれた、七英雄との戦いに共に赴いたフリーファイターのアンドロマケーの優しい声音が掛けられる。
「え…あ…、そ、そんな事…」
「お在りでしょう? フィリシア様」
 艶やかな笑みを浮かべるアンドロマケーに、フィリシアは反論の努力を放棄した。
「…うん…」
 凄く逢いたい。
 小さな、本当に小さな呟きをフィリシアは零した。
 フィリシアの最愛の存在たるゲオルグは、共和制度の施行される前よりずっと以前から元々自治を認められていたカンバーランド領ネラックの城主である。
 七英雄を倒し、状況が落ち着くまではフィリシアの傍らに在って彼女を護ってくれていたが、半年前カンバーランド王トーマの求めにより国元に戻って行ったのだ。
 ゲオルグがネラックに戻る事を止める権利など無く、フィリシアは笑顔で彼の人を見送った。
 それからずっと彼女は堪えたのだ。
 ゲオルグに逢いたいとは言葉に出さず、笑みを絶やさず彼女は激務をこなして来た。それが明かに無理を続けての事だとアンドロマケーは見抜いていた訳である。
「では、行ってらっしゃいまし」
「え?」
 驚き思わずアンドロマケーの顔を穴が開くほどに見つめると、彼女は艶やかに微笑んだ。
「この数カ月、フィリシア様は少しもお休みになっておいでではありませんからね。たまには静養などなさって
ごゆっくりしていただかないと。お倒れにでもなられては事ですから。ですが、下手な所になど行かれて大事な御身に何か在ってもなりませんし。」
 アンドロマケーの言葉に、フィリシアの細い身体が小刻みに震える。
「そ…それって…」
「ネラックならば聖騎士ゲオルグ殿が居られますから、何か在ってもフィリシア様をお護り下さるでしょうから
都合も宜しいかと思いますが?」
「アンドロマケー…」
 フィリシアの語尾が震える。
 ニッコリと綺麗な笑みを浮かべたアンドロマケーにフィリシアは思わず彼女に抱き着いた。
「ありがとう…アンドロマケー、大好き!」
「私もフィリシア様が大好きですよ」
 フィリシアの背を優しく撫でながら、アンドロマケーは扉の向こうへ声を掛けるのだった。
「…そう言う訳だから、外でウロウロしている方々、頼むわよ?」

「…しっかりバレてやがる…」
 執務室の前から立ち去りながら、ヘクターが頭を掻いた。
「流石、と言うべきだな…」
 それに応えるように、ワレンシュタインが低く呟きを漏らす。
 他の誰も気が付かない程、フィリシアは巧みに自分を装い無理を悟らせぬようにしていたが、七英雄との戦いに赴いた者は誰もが、可憐なその人のそんな様を見抜き、心配していた。
 だが、男である自分たちが何かを口にするのも憚られ、相談して貰えない事についウロウロとしていたのだが。
「オレだったらあの方に、あんな無理なんかさせやしないのになぁ…」
 何時だって側に居て遣れるのに。
 何だってあんな男なんかがいいんだろうか。
 湊町ソーモンで船の手配をする為、急ぎ足で歩むヘクターがブツブツと文句を零す。
「冗談を言うな。貴様などではフィリシア様は幸せにはなれん」
 ワレンシュタインが不快感を露にしてヘクターを睨み付ける。
 こんないい加減を絵に描いたような男と一緒にされてはゲオルグが 哀れだとワレンシュタインは不機嫌な口調のまま言い捨てる。途端、ヘクターはムッと表情を歪めた。
「何だよ、その言い方…」
「今の言葉、アンドロマケー殿に言っても構わないのだな?」
「そ、そりゃ無いだろぉ? ワレンシュタインの旦那…」
 アンドロマケーの名をあげられた途端、ヘクターがブルブルと身を震わせる。
 この横柄に男の、唯一のネックがアンドロマケーである事を知る者は限られている。
 ただ、その限られた面々の中にワレンシュタインが含まれて居るのはヘクターにとって面白い事では無かった。
「ならば、二度は言うな」
「ちくしょう…あんたは鬼か…」
 愚痴るヘクターに思わず苦笑を漏らした時、軽装歩兵の一団が向かって来るのが見えた。
 都の警備を終えて来たのだろう彼らの中央に居た、隊長のジェイムズが口許に穏やかな笑みを浮かべてワレンシュタインに会釈する。
「何処かに行くのか? ワレンシュタイン」
「ああ、ちょっとソーモンに船の手配をしに。暫く都を空けるからその間の事は頼むぞ?」
 インペリアルガード隊長の凛然とした口調にジェイムズは表情を引き締め頷く。
「心得た」
 生真面目に応え立ち去るジェイムズの後ろ姿へ、
「戻って来たら、一杯遣ろうな?」
 ワレンシュタインは穏やかな声音を掛ける。
「ご自慢の白ワインで、だろうな?」
 その声に振り返りジェイムズが問いかけると、ワレンシュタインは笑みを浮かべた。
「勿論」
「楽しみにしている」
 そう言ってジェイムズは立ち去って行った。
「…オレがどんなに頼んでも一口も飲ませてくれないヤツをあんなお堅い野郎にゃ飲ませるのな?」
 軽装歩兵とは目一杯相性の悪いフリーファイターの性で、それまで黙り込んでいたヘクターがボソリと言葉を漏らすのを聞き、ワレンシュタインは端的に返した。
「お前と飲んでも旨くない」
「そりゃどうも」
 苦笑混じりにヘクターが頭を掻いた頃、丁度厩舎の前に辿り着いた。
 ソーモンまでは馬を飛ばせば小一時間程度の距離。
 無駄口をそれっきり止めて、二人は選んだ駿馬に跨がると疾駆するのだった。





 晴れ渡った晴天の中、フィリシアを乗せた船は快調に海原を渡っていた。
「もうすぐダグラスですよ、フィリシア様」
 船縁に身を委ねたフィリシアに、ワレンシュタインは穏やかな声を掛ける。
「…ごめんね、ワレンシュタイン…」
 振り返ったフィリシアの、謝罪の言葉に彼は笑顔で尋ねる。
「何を謝られるのです?」
「だって…私の我が儘のせいで皆に迷惑をかけちゃってるんだもの…」
 申し訳なさそうなフィリシアに、ワレンシュタインは首を横に振った。
「貴方はもっと我が儘を言っても宜しいのですよ、フィリシア様」
 ずっと我慢なさっておられたのですから。
 激しい戦いも、忙しい日々も。
 だから、もっと我が儘を言うべきなのだ、彼女は。
 ワレンシュタインは本気でそう思っていた。
「それに、我々は…迷惑だなんて思っていせん。貴方の希望に添えられる事を逆に望んで居るのです」
「ワレンシュタイン…」
 彼らの優しさに、目頭が熱くなる。
 泣きたいほど、フィリシアは嬉しかった。
「フィリシア様。ダグラスの港に着きましたよ? ここからは急ぎネラックに行きませんと日が暮れてしまいますからね!」
「は、はい」
 唐突な背後からのヘクターの声に、フィリシアは慌てて頷いた。
 そうして、夕暮れにネラックの城壁が赤く染まる時刻。
 フィリシアは高鳴る胸を押さえながら、玉間に在る彼の人と半年振りの再会を果たした。
 抱き着きたい衝動を必死に堪え、最愛の人の整った面を見つめる。
「シア…」
 ゲオルグが彼女の愛称を唇に乗せるのを聞き届けたフィリシアは、何かを言おうとして、けれど言葉に出来なかった。





「…お忙しいのに…ごめんなさい、ゲオルグ様…」
 バルコニーに立ち、フィリシアはか細い声音を漏らす。
「そんなことはないよ、シア…」
 穏やかな眼差しでフィリシアを見つめていたゲオルグは、彼女の華奢な身体を抱き寄せた。
 真っ赤になったフィリシアが、ずっと願っていた彼の人の逞しい腕に縋り付いた時。
「先を越されたのは悔しいが…」
「え?」
 ゲオルグの言葉に顔を上げると、彼の人の端正な面に苦笑が浮かんでいた。
「アバロンに…伺おうと思っていた矢先だった…。この半年、貴方を迎え入れる準備に追われて…、それが漸く整ったのはつい先日の事だったのだが…」
 そんなおり、アバロンのアンドロマケーから連絡が届いたのだ。
 フィリシアが向かうから宜しく、と。
「ゲオルグ様…そ、それは…」
「シア、私の元に来て欲しい」
 ゲオルグの求愛にフィリシアはポロポロと泣きながら、けれどはっきりと応えた。
「はい」
 直後、フィリシアの唇は奪われた。
 唯一人の最愛の存在に。





「これからが大変だわね」
 丁度同じ頃。
 アバロン宮殿の執務室で書類の束と格闘していたアンドロマケーがポツリと呟いた。
「本当は、ちっとも大変だなどと思ってもないくせに」
 ジェイムズが苦笑混じりに言って退けると彼女は笑って「まあね」と応えた。
 アンドロマケーはフィリシアのいない代わりを努められる生真面目な人材として、ジェイムズを引っ張り込んで膨大な資料を整理させていたのだ。
「あたしはフィリシア様に幸せになって欲しいだけよ」
 その為の忙しさなんて、目じゃ無い。
「それは同意見だ」
 応えてジェイムズも笑みを浮かべた。
 世界一幸せなカップルを祝福するために、頑張らなくては。
 そうして、彼らの日々が暮れて行くのだった。

BACKTOP

■駄文■
ロマサガ2の女皇帝フィリシアちゃんのお話の後編です。
凄く頑張ったシアちゃんに、幸せになって欲しいとアバロンの皆さんが頑張っちゃう話(笑)
大ハッピーエンドなこのお話。
実はこっそりとや○いテイストが入ってたりします。
他所様のその手のご本に依頼で書かせていただいた男同士カップルが、チラリとその辺りを匂わせてます(爆)
その二人の話は、依頼先の方がご許可下さったら、公開しますって事で。
…それにしても、ラブラブ男女カップルの話の中に、しっかりそういうのが入っている辺り、実にわしらしいですなぁ(大笑)


初出/Little Romance2(1995.10)

●戻る●