行方 |
1. 晴れ渡った天空を緩やかに流れる雲を見つめ、一時目を細めた後、バルトは傍らを振り返る。 そこに在る人物を、まるで確かめるかのような眼差しで見つめて安堵の吐息を漏らしたのもつかの間。 「何をのんびり天なぞ仰ぎ見ている、バルトロメイ。我々にはそんな暇など無いだろうが?」 不機嫌を露にした人物の、淡々とした口調に、苦い笑みを唇に乗せたバルトが、嘆息を漏らしつつ幾分オーバーなリアクションで両手を広げてから恭しく頭を垂れた。 「それはそれは失礼致しました、イド殿」 嫌み以外の何物でもない口調と態度に、イドが不機嫌な面を更に堅くしてプイ、と視線を逸らした。 「わざわざ俺を呼び出させたのなら、相応の対応をして欲しいものだがな」 イライラとした口調の言葉を吐き捨てたイドが、クルリと踵を返し様スタスタと先を歩きだす。 事実、彼の言うとおりなのでバルトは諦めたように今一度溜め息を吐き出した後、如何にも慌てた様な声音を放って駆け出した。 「待ってくれよぉ」 しかし、そんなバルトの声にも、まるで意に介さずかの如く、イドは何事も無かったように、否、何が在っても気にも止めない然とした雰囲気を纏い足早に目的地を目指すのだった。 あの、末期的な悪夢とも言える戦いの終末の後。 人々に襲いかかった劇的な変貌と精神の凶暴化が何とか一段落を迎え、次第に世界は落ち着きを取り戻し、それから漸く一年が経過しようとしていた。 だが。 苦痛とそして生き延びる為にとは言え、同胞の生命をも奪い街を破壊するに至った《人間》たちが、一度崩壊を奏でてしまったものを元に戻すには、物資も人材も余りに不足していた。 そんな中、比較的その物資と人材が集中していたニサンの人々は、バルトたち聖戦を生き抜いた、所謂《選ばれし者たち》を中心に変化の起きなかった者たちと共に、元の人の姿―酷く緩慢にでは在るが―に戻った者が秩序を失った世界を取り戻そうと日々努力を続けていた。 そのお陰で、とも言うべきか。 いつの間にやら、ニサンの近辺に小さいながらも街が出来上がり、そこに各地から更に人々が集う状態になっていた。 無理も無かろう。 各地の、かつては国であった箇所は、最早そんな機能など在りはしないのだから。 だからどれほど苦難でも、人々は歯を食いしばっても己の足で今もニサンを目指し続けているのだ。 それは、各所に人々を導く存在が無いことにも起因しているのだが、致し方在るまい。 人の上に立つに値する人物もまた、あの悪夢の終焉までに人格も肉体も変化してしまい、生命を失っていたのだから。 栄華を極めた人類の末路、と言ってしまえばおしまいだ。 未だ、生きて居る者もまた、多々在るのだから。 諦めたりなど決してしない。 誰が称したのか《聖戦》と呼ばれる戦いを終えた者たちは。 それがバルトたちだった。 本当の戦いが、デウスとの戦いの後に待ち構えていると彼らは知り尽くしていたのだ。 諦めたりなど誰がするものか。 そうして日々が瞬く間に過ぎ去った。 事の起こりは、とある一団が齎した。 いつものように各地から集ってくる人々の、生活の場と成る住居の建設に勤しんでいたバルトが、ヨロヨロとニサンに辿り着いた人々に気付いて駆け寄ると、彼らはとんでもない情報を語ったのだ。 有る箇所で、悪鬼が跋扈している、と。 以前タジルの名を持ち砂漠のオアシスとも称されたその地域は今や人気の無いゴーストタウンと化していて、そこに悪鬼が住み着いてしまっているらしい。 ヤバイ状況だと判断したバルトは速攻で決断した。 何れは各地も整地しなければならないのだ。 ならば、直ぐにでもそこに住み着いている悪鬼を片付けなければならない。 そこで彼は、己の直ぐ近くで同様に作業していたフェイに、こっそりと耳打ちしたのだった。 「フェイ、行こうぜ」 「…おい…、そんな勝手なことしていいのか? 先生やシグルドさんに伝えてどうすべきか判断を仰いでからの方が…」 良いと思うと言いかけたフェイの唇に掌を押し付け、シッと低く息を吐き捨てたバルトは更に声を潜めて言い募ったのだ。 「…それでなくても忙しい先生やシグに余計な面倒事や心配かけるべきじゃ無いだろ? だからよ、俺たちだけで行くんだよ」 「でも…行くったって…ギアはもう動かないしユグドラシルは物資運搬に使っていて使えないんだぞ? どうやって行く気だ」 フェイの不安を露にした表情に、バルトはニヤリと口許に笑みを浮かべた。 「そんなん決まってるだろ? 俺たちには二本の足が在るじゃんか」 あっさり言われてフェイは深く深く溜め息を漏らした。 そうして、二人はこっそりとニサンを後にしたのだった。 ここまでは、有りがちな状況だ。 バルトの先走りは何時ものことで、今更と言えば今更。 しかし、だ。 ニサンを抜け出したその日の夜。 バルトは唐突に宣ったのだ。 「もしも、の事が在ったら『あいつ』が必要かもな」 「…あいつって…まさか…」 フェイの面に、苦虫を噛み潰したような苦渋が浮かび上がる。 「その、まさか」 反対に、バルトの面にニヤニヤとしたものが浮き上がった。 「ヤだよ」 「なんでさ」 あっけらかんと返る応えに、フェイは困惑のままに呟く。 「だって…さ。バルトは…」 「うん。俺はあいつが好きだよ」 言われた途端。 ズザッとフェイがバルトの傍らから飛びのいた。 「だっ、だからッ!」 「それがどうしたんだ? 何でお前が嫌な顔する訳?」 「い、嫌に決まってるじゃないか! あいつも俺なんだぞ!?」 激するフェイに、変わらず平然としたまバルトは笑みを零す。 「うん。それで?」 その応えに、フェイはガックリと肩を落とすと生真面目そのものの眼差しをバルトに向ける。 「…あ、あのなぁ。俺にはエリィがいるんだぞ? お前にだってマルーがいるだろうに…。だってのに何だってまた…」 あんなのが「好き」だなんて言うんだ。 フェイの言葉にバルトは彼らしくない、薄い笑みを口許に乗せる。 「しょうがないじゃんか。惚れたんだから…さ。その気持ちをごまかしたり偽ったりするなんて器用な真似、俺には出来ないよ」 バルトらしい、と言えばこれ程バルトらしい言葉も無いだろう。 これが他人事ならば、フェイだって―多少趣味を疑う事は間違い無いにしても―苦笑しながらも認めていたかもしれない。 だが、しかし。 実際には他人事では無いのだ。 デウスとの決戦以前。 突然にバルトはフェイの中に在る、人格のひとつである存在に恋慕を露にした。 よりにもよって、破壊と殺戮の代名詞とも言える、フェイの人格中最も凶悪な存在で在る『イド』に。 確かに今では、フェイの幾つもの人格は同一に融合し、ひとつひとつの人格たるものは表には出てこない。 特に、バルトが恋慕を表に出して以来、フェイは努めてイドが出て来ないようにしているつもりだ。 好きだと言われているのは、フェイでは無い。 しかして、だからと言って黙って受け入れるには、かなり問題がある。 在るなんてものじゃ無い。 現実には、大問題だ。 例え自分ではない人格だとしても結果的にはフェイ自身に跳ね返る事態なのだから。 しかも、当事者のフェイは逃げ出すことも出来ない。 その上その状況を、フェイの心の底に在るイドは何故か愉しんでいる様にさえ思えるのだ。 本音を言えば、どうやらイドもバルトが嫌いでは無いらしい。 はっきり言うと、バルトと同じ気持ちが在るようだ。 それが解るから困る。 「…何でイドなんだよ?」 それ故、ついついフェイは言葉を零した。 何故イドなのか、と。 「だから言ったろ? 惚れちまったって。自分でどうこう出来るモンじゃないだろ、感情ってものは、さ」 視線をフェイから正面で明々と火を灯す、旅の必需品だと勝手に持ち出したソラリス製の超小型燃焼機に向けてポツポツと呟くバルトの面は、常の彼とは違って酷く大人びたものだった。 「バルト…」 様々な状況を共に踏破し、自他共に認める親友である男の、憂いを秘めたその面に、かける言葉が見つからず唯、名を呼ぶしかフェイには出来なかった。 刹那。 フェイの心の内側が不意に熱を持ち、急激に身体が同様に燃え盛るように熱くなった。 この感覚が何を齎すのかを、フェイは識っていた。 競り上がって来るそれ、にフェイは幾分俯き、薄い笑みを浮かべると心の中で呟いた。 (…そうだな…俺が表に在っても何の解決にもならないよな…。後は任せたよ、イド…) 多少の不安が無い訳では無かったが、自分にはどうしてやることも出来ない以上、彼に後を託す他にフェイには術が見つからなかった。 ゆっくりと沈むフェイとは反対に、表層に浮き上がった彼の人が、睨み付けるような視線をバルトに投げ付ける。 異様な気配を感じて、ハッと振り返った途端。 バルトは驚きに目を見開いた。 そして、傍らに在る人物をまじまじと見つめる。 「…イ、イド…」 フェイとは正反対の凶暴な雰囲気を纏う、彼の存在が長い深紅の髪を掻き上げニヤリと笑う。 「俺に会いたかったんだろう? バルトロメイ」 紛れも無きバルトの想い人が、一年前と変わらぬ姿と声と口調でバルトを見入っている。 歓喜が全身を駆け巡るとは、こういう事を言うのだろう。 嬉しくて溜まらなくて。 バルトはコクコクと頷いた。 「…ああ、会いたかったよ。すげぇ会いたかった」 「くくッ…」 バルトの応えにイドは笑う。 こんな所も変わらない。 それがやっぱり嬉しかった。 今直ぐにでも抱き締めたい衝動に駆られたバルトに、彼の人は真顔でバルトを射竦めると言葉を切り出した。 「だいたいの状況は解っているが、何故俺だ?」 唐突に言い出すイドに、一瞬言葉を失うが、イドが戦うことを心底楽しむタイプであると知り尽くしているので、バルトはコホンと咳払いをひとつしてから応えた。 「俺とフェイだけでも十分事態を掌握する自信がない訳じゃないが、タジルまでの道程途中、ギアサイズの悪鬼が出ないとも限らないだろ? そうなるとな…」 戦いのエキスパートの自負がない訳は無い彼らをして、ギアサイズの悪鬼―今では魔物や人格を失ったかつて人であったものにして同胞を食らうモノを総称して呼んでいる―は強敵である。 生身の人間であるバルトとフェイでは、ギアサイズの悪鬼と戦うと言うことが、下手をすれば生命を落とし兼ねないと十分理解しているつもりだ。 「…そんな事態は御免だからな…」 「成る程。確かに俺なら生身でギアを倒せるしな?」 「まあな…」 意地の悪い笑みを浮かべるイドに、バルトが幾分頬を膨らませて不愉快げに舌打ちするが、事実であるのに変わりは無い。 イドは、気の力でギアでさえ易々と撃破する存在なのだ。 端から戦闘能力で同等とは思ってはいけない。 と、解ってはいるが、感情面で納得出来る訳も無い。 何か一言言って遣らなければ気が済まないと、口を開きかけたのもつかの間。 「任せろ」 又しても唐突に、イドが言ったのでバルトの文句の出口が封じられる。 「折角お前が名指しで俺を表層に出してくれたのだからな。それには応えて遣るよ、バルトロメイ」 嬉しさとは別の、誇りを傷つけられるような言わなくて良いことまで言ってくれるイドに、ムッとバルトは表情を歪める。 「…何時俺が名指したよ…」 「言っただろうが?」 「必要かも、と言っただけだ」 プイ、と横を向くバルトの耳に、イドの低い笑いが飛び込む。 「可愛い奴だな、お前」 以前、バルト自身がイドに言って言葉が、今度はイド本人の口から放たれた途端、バルトはバッと振り向き噛み付くような怒鳴り声を張り上げる。 「煩いッ」 折角の、一年ぶりに会えた想い人の、相変わらずの意地の悪さにバルトの心情は激する一方だった。 こうしてイドと二人っきりの、短い旅が始まったのだった。 |
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