序.

 伝説の光の英雄王ジークハルトの末裔たる、バルティア王国の王家の者たちによって守護されし秘剣ラングリッサーが、ダルシス帝国皇帝ディゴスの野望の為に奪い取られてから既に季節は一巡しようとしていた。
 バルティア唯一の王位継承者レディンが、着実に力を付けディゴスの元に進撃を開始した頃。
 ダルシス帝都で一人の若き指揮官が、皇帝よりバルティア軍討伐の勅命を受けた。
 帝都内外で黒騎士の名を縦(ほしいまま)にする、ランス=カルザスその人であった。
 皇帝の信任厚き親衛隊長、それが黒騎士である。
 愛馬に跨がった彼が、皇帝より直接に賜った黒刃の剣の柄を軽く握り、今正に出撃しようとしたその時。
「ランス!」
 良く響く声がかけられた。
 視線を巡らせるまでもなく、良く知ったその声の主の名をランスは呟く。
「…グレイ…」
 漆黒の瞳を億劫気味に向けた先に、濃紺の親衛隊服に身を包んだ黄金の髪の、端正な面の主が笑みを浮かべて居る。
 面の主の名は、グレイヤード=リヒター。
 黒騎士と呼ばれ、恐れられる帝国軍親衛隊長ランス=カルザスの、幼き頃よりの顔馴染みであった。
 傍で見れば、羨むほどの秀でた存在。
 だが、その間に流れるものは、険悪と言うに等しいものであろう。
 ダルシス帝国きっての名家である、カルザス家の嫡子として生を受けたランス。
 皇室に連なる公爵家、それも皇帝ディゴスの甥として生まれたグレイヤード。
 険悪に絡む視線の主たちは、しかし。
 幼き頃から仲が悪かった訳では無い。
 はっきりと言うならば、逆に誰よりも親しく、どちらかを探そうとしたならば、何れかの屋敷の庭園などを探せば、必ず見つけられたと言う。  
 だが、互いに才覚を表し始めた頃、二人の間に何時からか亀裂が入り出して居た。 事有る毎に、比較されたが為であったのかもしれない。
将来有望、生まれも育ちも特筆すべき者たちにとっては、ある意味悪い事ではないだろう。
 しかし、常に天秤にかけられ続ける事は、決して愉快な事であろう筈も無い。
 その為の亀裂は広がりこそすれ、狭まりなどしないだろう。
 況して、同じ親衛隊の隊長と副隊長に任じられたりしたならば。
「―このような容易な任務など、すぐに終わらせ戻って来る。それまで陛下を頼むぞ、グレイヤード」
 親衛隊長として当然の言葉を向けるランスを、一瞬苦々しげに眉を寄せ見遣ったグレイヤードはしかし、次の瞬間には何事も無かったように微笑みを浮かべ頷いた。
「畏まりました、隊長」
己がランスの部下に有る事に甘んじねばならない屈辱を心の奥に仕舞い込み、彼は恭しく頭を垂れた後、
「吉報を待っております」
 穏やかな口調で言った。
 そのグレイヤードの言葉を厭味と取ったランスが、今度は眉を顰める番だった。
 出来るなら、無様に敗北して来い。
 そんな風な意味を、ランスは確かに悟った。
(…心にも無いことを…)
 表情に露にすることも無く、彼は心の片隅で言葉を吐き捨てた。
 だが、その内心の不愉快げな呟きを漏らした直後、彼は轡に僅かに力を込め、
「進軍!」
 凜、と言い放った。
 目指すは、皇帝ディゴスに刃向かう輩。
 亡国バルティアの王子を叩き潰す指令を心に反芻し、黒騎士は帝国を後にするのだった。
 act.1

 真紅の髪が翻った直後、ランスは己の一撃必殺の技が躱された事に愕然とした。
 既に彼の直属の指揮官は大方、目前の、未だ少年と言って差し支えのない幼い男に倒されている。
 残る帝国指揮官はもはやランス唯一人とは一体どう言う状況だろうか。
 信じられない。
 だが、この激しい戦いの仲でランスは、少年に強く魅かれ始めている自分を悟っていた。
「貴様…何者だ!?」
 剣に気を込め輝かせて放つと言う、奇妙な技によって著しいダメージを受けたランスの問いに、その技を放った少年はニヤッと笑って応えた。
「私はレディン。バルティアの王子だ」
 貴様らの滅ぼした国の、な。
 少年の冷たく鋭い声音に、ランスはやはり、と思わざるを得ない自分に気づいた。
 真紅の髪と瞳を見たときから、徒者では無いだろうと予測はしていた。
 レディンの髪と瞳は、血より赤いまさに焔。
 ガイア広しといえどそのような色を持つ者が存在しているとは思わなかった。
 だが、バルティアの王子ならば納得も出来る。
 古き英雄の血脈の、末裔出有る彼ならば。
 そして、それよりもごく最近耳にしていた噂が、ランスの口を突いて出ていた。
「…バルティアの若獅子…」
 十の齢を迎えた日、バルティア王子レディンの元に、隣国より彼への贈り物として届けられた巨躯を誇る獅子。
 その獅子が、噂の全ての発端だったとランスは記憶していた。 
 贈られた獅子が、未だ幼い王子に突然襲いかかったが、彼は驚く間もなく、その獅子を一撃で屠ったと言う―。
 王位継承者である彼に、父王より贈られたばかりの、どちらかと言えば装飾品に過ぎないだろう華麗な小ぶりの剣で。
 それも僅か一閃で。
 唯の噂話だと笑い飛ばしたそれは、己の敗北と言う形で、実証してしまうとは遺憾であろう。
 それ程にバルティア王子の剣技は凄まじいものだった。
密かにランスは嘆息を漏らし覚悟を決めた。
真剣勝負の果ては決まっている。
況してやバルティア王子にとって、帝国親衛隊長の自分は憎んでも飽き足らない存在だろう。
さぞや、グレイヤードめは喜ぶ事だろうと、一瞬脳裏に忌ま忌ましい存在の冷たい面が浮かぶ。
 死を決意した途端、ランスは嫌な顔を思い出したと端正な面を歪めた。
だが。
「随分と懐かしい呼び名を漏らしてくれたな、ランス=カルザス」
 呟き、剣を仕舞うとバルティア王子はは身を屈め、黒い手袋に包まれていながらも整っているのが良く解る流麗な指先をランスに翳す。
 と、不意に呪文を唱えたのだった。
 その、聞き覚えのある呪文にランスは唖然とレディンを見上げる。
「王子よ。敵指揮官を癒して、貴様に何のメリットが有ると言うのだ?」
ランスの疑問は当然だろう。
しかし、バルティア王子は、苦笑を漏らした後、事も有ろうに、あっさりと言ってのけたのだ。
「ランス、お前は死なすには惜しい男だ」
 驚愕に言葉を返す間も無いランスに、囁きの後レディンは突然彼の唇を奪った。
 あまりの事に一瞬己の意識が硬直する。
 が。
 それに反してランスの腕は無意識にバルティア王子の身体を抱き寄せていた。
 鮮やかな真紅の髪に指を搦め、首筋に唇を這わせ軽く吸ってしまっている自身が、ランスは信じられなかった。
 だが、仕方が無いとも思う。
 戦っている間に、ランスはレディンに魅かれたのだ。
 そして、レディンは自らランスを求めた。
 ならば他に何が必要か、考えるまでも無い。
「…決めた…」
「何を、だ?」
 ランスの唐突な呟きを耳にし、それまで好きにさせていたレディンが怪訝な表情で問うのと、彼の身体が抱き上げられたのはほぼ同時だった。
「 ?! 」
 甲冑を纏っている身を軽々抱き上げるとランスは森林の奥へ身を滑り込ませた。
 手頃な大木の傍らにレディンを降ろし横たえると、ランスはきっぱりと言い切った。
「お前を貰う」
「な、に…?」
 漸く我に返ったレディンを押さえ付け、更なる反論を押さえつけるべく、薄い唇を塞ぐ。
 幼い少年にとっては、到底真似など出来ぬ強烈な、そして深い口づけが与えられて、思考が霞み抗う事を忘れた。
 唇が離れた途端、吐息が漏れる。
 ぼんやりとした瞳でランスを見る、レディンの身を包む甲冑が見る間に剥がされて行く。
「…あ…」
 大人になりきらない、未だ十分に華奢な少年の身が、強引に押し開かれる。
 露になった無垢な素肌に、ランスの指が滑る。
 懇願とも悲鳴とも付かないレディンの呻き声が漏れ、咄嗟にランスの左手は、少年の口に押し当てられた。
 そして。
 彼方の彼らの兵たちの戦う喧噪が聞こえなくなる。
 レディンは唯、ランスに縋り付いたまま全身を支配していく悪寒と苦悶、そして奇妙な快楽を懸命に堪えるしか術は無かった。


「…正気の沙汰では無いな…」
 掠れた呟きを漏らし、億劫気にやっとマントを纏い付け終えたレディンの顎を取って口づけるとランスは薄く微笑った。
「結構乗っていた癖に、よく言うよ」
 つい先程までの狂態振りを思い起こし、レディンは目許を恥辱に赤く染めランスのその台詞に咬み付く。
「だ、誰がだ!」
 怒鳴り声を上げた途端、全身を駆け巡る鋭利な痛みに身を屈め、レディンは呻いた。
「…痛ぅ…ッ」
 経験などしたことの無い痛みに眉を顰める。
 身の内に未だランスが居るようで堪らない。
 激しい愛撫に狂態を晒した自分が、レディンには信じられなかった。
 それらを振り払うように、軽く首を左右に振る少年に、投げ付けられるのは屈辱と苦痛を与えた存在の、酷くあっさりとした声。
「まぁ、無理はしない方がいいぞ?」
 かなり痛むらしいからな。
 無責任な台詞から察するに、どうやらランス自身も同性間の行為が初めてだと受け取れるが、苦痛が消えうせる訳では無いのだ。
 怒りに小刻みに震える拳を見下ろし、けれどレディンは何かを言いかけて止めた。  本当に嫌なら拒絶すればよかったのは事実なのだと思い直して、諦めたように嘆息を漏らすしか出来ない自分が情けなかった。
 兎に角、この痛みを早く取り除きたい。
 レディンの唇が不意に詠唱を象る。
《 大地と大気の精霊よ、汝が愛し子に力与え賜う 》
 掠れた呟きが意味を成し、レディンの全身を淡い光が包む。
 と、同時に彼の身から痛みという痛みが忽ち消え失せた。
 癒しの呪文の効力に、そして精霊たちに感謝しつつレディンは安堵の息を漏らした。
「…便利なものだな…?」
 先程自分も唱えて貰った癒しの呪文に、感嘆の声をランスは漏らした。
 だが、レディンはムッとしたようにランスを鋭く見た。
「…便利なものか…」
 深い吐息と同時の呟きの後、レディンは脱力し大木に身を委ねる。
 魔法を唱えるのに慣れていないものにとって、日に幾度もの詠唱は著しい精神疲労を伴う。
 ロイヤルガードのクラスに有るランスにも、無論攻撃系統の詠唱経験は有る。
 だが、騎士である己には治癒魔法は唱えられはしないのだ。
 だから素直に感嘆の声を漏らしただけだ。
 しかも、戦場以外の場で、それも間近で回復魔法を見ることなど、そうそう有ることでも無かった。
 第一、基本的に治癒魔法は聖職者の起こす奇跡であって、一般の者は滅多にはお目にかかれはしないシロモノで有るのだ。
 レディンは精神疲弊と引き換えに傷を癒すと、身体が動く事を確かめた後、ランスに向き直り真摯の瞳で言葉を絞り出した。
「…ところで、ランス…」
「なんだ?」
「こんな事までしたのだ、勿論私の元に来てくれるであろうな?」
 レディンの真剣な声音にニヤニヤと口許を歪め、
「それは、どう言う意味だ?」
 十分に意味を理解した上で、態とランスはそんな応え返す。
「バルティアに来てくれ、ランス」
 真紅の瞳が己を求めて真摯に見つめて居る。
 彼は苦笑を禁じ得ない自分に気が付いていた。
「本気で…言っているのか?」
 寸前まで、己の躯の下で悶えていた者と到底同じ人物とは到底思えない鋭さを秘めた瞳が、彼を見つめていた。
「まさか…嫌だ、とは言うまいな?」
 言葉の中に十分な殺気を含ませ、レディンは問う。
 だが、ランスはニヤリと唇の端を上げ応えた。
「無論、嫌だ」
「貴様!」
 既に構えていたグレートソードを、一閃する。
 レディンの怒りに任せたそれを易々と避け、彼は言った。
「俺は、簡単には寝返らぬ」
「よくも、ぬけぬけと!」
 冷たいとさえ聞き取れる声音に、レディンは怒声を放ち地を蹴りランスに切りかかった。
 剣の切っ先は、けれど先程までの冴えは無かった。
 その理由は、無論怒りのためだけでは無いとランスは承知している。
 レディンの剣を受け止める、ランスのそれもまた、鈍かった。
 皇帝より賜った黒刃の剣を抜き払いながらも、ランスが防戦一方に甘んじるのは、レディンを倒したくないからだった。
 レディンと同じく。
 互いに互いを欲している。
 だから倒したくない。
 酷く不条理な思いと欲望に彩られた彼らの剣は、だからどうしても鈍くなる。
 いつの間にか森林から整地された道に出るに至り、そこに待ち構えていた愛馬を見遣ったランスは、一瞬の躊躇も無く飛び乗った。
「逃がすか!」
 先刻己に著しいダメージを与えたあの奇妙な技を再び仕掛けようとしているレディンに気づき、ランスは舌打つと苦笑した。
「さっきは良かったぞ、レディン。次に見える時もまた、是非楽しませていただきたいものだ」
「…ぬかせッ」
 忽ちレディンの面に朱が走り、気力が萎える間を逃さず、ランスは駆け去って行った。
「…馬鹿者が…ッ」
 熱く火照る頬を手の甲で拭い、レディンはランスの後ろ姿へ詰るように怒鳴る。
 そして、既に彼の視界から消え失せてしまった存在の名を密かに呟く。
「…ランス=カルザス、か…」
 ポツリ、と。
 戦いに身を置いて居たときから、どうしてこんなに気にかかってしまったのか、解せない。
 揚げ句に、己の身まで委ねてしまうなど。
 レディンは自分が信じられなかった。
 困惑に首を傾げるレディンには、まだ自分の感情を理解するには幼すぎたのだ。
「…まったく…」
 もう一度、低く呟いた時。
 レディンは、遠くから己を呼ぶ配下の者たちの声に気が付いた。
 どうやら、戦いは終わったらしい。
 全員、一人足りと欠けては居ない事を気配で察し、彼は薄く面に笑みを乗せると、ゆっくりと振り返り、彼の指揮官らが彼の元に到着するのを待った。
 何事も、無かったように。
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