act.2

「…ランスが任務遂行に失敗した、だと…?」
 グレイヤードは、一瞬己の耳を疑った。
 確かに任務失敗を願っていなかったとしたら嘘だが、バルティア残党を片付けるなど、黒騎士にとっては朝飯前程度であった筈だ。
「信じられんな」
「如何なされますか? グレイヤード様」
 彼の側近が、困惑の表情でグレイヤードの言葉を待った。
「ふむ」
 考える素振りをしつつ、彼は内心ニヤリと笑う。
 ランスを貶める絶好の機会だ。
 黒騎士と言う非の打ちどころの無い男を敗り後退させるに至らしめたバルティア残党は気に掛かる所だが。
(ランスを後退させた輩を俺が撃ち取れば…)
 今の、親衛隊副隊長という立場に甘んじなければならなかった状況が打破出来る。
 ランスを貶める付加価値までついて。
 この機会を逃す程、自分は愚かでは無い。
(よし!)
 決意は定まった。
 グレイヤードは立ち上がり、ニヤリと笑った。
「陛下に上申する。是非とも黒騎士の支援に出たい旨をな?」
「は?」
 ランスと彼の確執を知る副官が怪訝な表情で見遣る中、グレイヤードは親衛隊詰め所を後にした。
 
 幸運な事に、常に皇帝ディゴスノ傍らに居る得体の知れない魔道士・ニコリスの姿が見当たらない。
 あの男が居るからといって話が進まない訳では無いが、どうにも好かないのは事実だったから、グレイヤードは己の思いのままに上申を繰り出す。
 ディゴスは、己の前に跪き言葉を続ける親衛隊副隊長にして自らの甥である男を、苦虫を噛み潰したような表情で見下ろして居た。
 最も信頼していた黒騎士の、まさかの任務失敗と言う事態に不機嫌を露にして居るのだ。
 頗る機嫌の悪いディゴスに、けれどグレイヤードは熱心に言葉を募らせる。
 今まで一度足りと皇帝より賜った使命を全う出来ぬ事の無かった黒騎士が、このような状況に陥るにはそれなりの最悪な状態があったに違いない、と。
「グレイ、珍しいな?」
 お前がランスの援護をするなどとは。
 己の問いに答えぬグレイヤードへ、ディゴスは苦い口調で呟いた。
 が。
「…良かろう。グレイヤード。バルティア残党討伐援護を許可する」
「有り難うごさいます、皇帝陛下」
 彼の言葉の奥に隠されたランスへの思惑など百も承知していたが、恭しく返礼するグレイヤードの言いたい事も尤もであった。
 大陸制覇の為に必要不可欠と称された、無限の力を持つものに与える秘剣・ラングリッサーを奪ったのだ。
 バルティア王家が断絶すれば、秘剣は彼に絶対の力を与えてくれる筈だった。
 だが、バルティア攻略の際、王子レディンを目の前で取り逃した上、王国奪還に動き出されたのは面白くない所では無かった。
 だからこそ、誰よりも信頼に足る親衛隊長を送り込んだが、このような結果を齎すとは思いも因らなかった。
 挙げ句グレイヤードを差し向けねばならない事態は、決して小さな問題ではない。
 他国への進攻の手を止められぬ今、己に歯向かう芽は小さい内に摘み取らなければならない。
 退出するべく踵を返したグレイヤードの背に、不意にディゴスは言い放つ。
「グレイヤード」
「は」
 何事かと、足を止めたグレイヤードへディゴスが冷ややかな声を向けた。
「ランスに伝えるがよい。”二度は許さぬ”とな」
 ディゴスの口調以上に冷ややかな視線にグレイヤードはハッと息を飲み頷いた。
「…畏まりました…」
 やっとに言葉を返すが、唇は細かく震えていた。
 玉座の間を退出した後も、彼の心臓は早鐘の如く煩い鼓動を訴える。
 ディゴスの言葉は恐らくは自分にも当てはまるものであろう。
 例え血の繋がりが有ろうと無かろうと、皇帝にとって無益な存在は傍らに有る事は許されない。
 許されはしない。
 それを今初めて彼は自覚した。
「…何としても、バルティア王子を撃ち取らねばなるまいな…」
 低く呟くと、ともすれば遅れがちになりそうな歩調を彼は速めた。
 
 かつてのバルティア領まで、後十日と言う位置に陣を張る親衛隊本陣に援軍到来の伝令が届く。
 知らせを受けたランスは、それを率いて来た指揮官を見た瞬間、無意識に表情を強ばらせた。
「グレイ…!」
「久しいな、ランス…なんて面だ?」
 会いたく無い奴に、一番会いたく無いときに会った。 
 そんなあからさまな表情で己を見るランスに、グレイヤードは密かな優越感に浸る。
 深い溜め息を漏らし、ランスは胸中を駆け巡る嫌な予感を押さえ付けた。
 中央に設えた軍議用の天幕内。
 椅子に腰を下ろしたランスは、一先ずグレイヤードの言葉を待った。
「聴くところによると…小僧一人にてこずっているとか…?
 ダルシスの黒騎士も落ちたものだな」
 口を開いた途端の、グレイヤードの罵りの声に、ランスは屈辱に唇を噛んだ。
 的中して欲しくなかった予感に舌打ち、ランスは憮然とした視線をグレイヤードに投げ付ける。
「落ちるのが貴様の名だけならば良いが、そうではない事など十分承知しているだろうな?」
「無論」
 言葉少なく応えるランスの、憤りに震える拳を見下ろし、グレイヤードは勝ち誇ったような笑みを零す。
「ならば、良い」
 主導権を完全に握られた状況の、面白い訳も無く、ランスの唇が口惜し気に歪められる。
 勝手にほざくがいい。
 俺に倒せなかったレディンが、お前如きに倒せる訳も無いと思い知れ。
 互いに、不愉快な感情を秘め、体面上は親密な打ち合わせを繰り広げる不毛さに、ランスは端正な眉を顰める。
「…その作戦、奴に通用するとは思えぬな…」
 グレイヤードの示す、卓上の布陣図から視線を上げ、ラン
スが怜悧に言い捨てる。
「レディンは、並の司令塔では無い。それを踏まえねば…」
 俺のように敗北するだろう。
 あっさりと。
 呆れ果てるほど、あっさりと。
 ランスの言葉に秘められた意味を厭味と取ったグレイヤードがムッと表情を歪めた。
「そういう態度は良くないぞ、ランス。私は皇帝陛下の勅命でここに来ているのだからな?」
「…そうだったな…」
 侮蔑を含む視線から、己の瞳を背けるランスを見て、グレイヤードはしてやったりとほくそ笑む。
 そして、彼は更にランスに追い打ちを掛けた。
「貴様への、ディゴス陛下のお言葉が有る。良く聞き覚えておけ」
「・・・」
 ピシリ、と背筋を伸ばし、ランスは皇帝の言葉を、グレイヤードを通じて受け止める。
「『―二度は許さぬ―』」
 分かったか?
 鋭く、ランスの胸を抉るような声音に、思わず彼は唇を咬んだ。
 来るべきものが来たか。
 ついに。
「…承知した…」
 低い声を漸くに絞り出し、ランスはグレイヤードに一礼した後、天幕の外に出た。

(…いっそ…レディンの側に着いて遣ろうか…)
 嫌になるほど澄み切った青く高い空を見上げ、ランスは内心呟いた。
 あんな奴に一々言われなくてもいいことを言われるより、格段に良いはずだ。
 あの、真紅の髪と瞳の少年の傍らは。
(比較するまでも、無いか…)
 今のところは未だ帝国に、そして皇帝に対して忠義は在る。
 だが。
 最近の帝国は異様な雰囲気を纏い、彼が思ってきたものとは明らかに変貌しようとしていた。
 魔道士のニコリスと言う男が現れ、皇帝に取り入って以来なのだと知り尽くしているが、親衛隊長である彼をしても下手な進言は出来なかった。
 得体の知れない異様な雰囲気を纏った魔道士の齎す気配は並ではなく、ダルシスが近隣諸国へ侵攻を繰り広げる強大な原動力を絶大な魔力で齎してくれているのも事実だった。
 だからこそ、気に入らない。
 穏やかで優しく、人民を慈しむ皇帝にこそ忠誠を誓ったのに。
 今のディゴスは何かが違っていた。
 だから何時、忠義が消し飛んでしまうかなど当のランスにも既に解らなかった。
「・・・」
 疲れた嘆息をランスが漏らしたとき、斥候兵が必死の形相で駆けつけて来るのが、見えた。

「アンゼル砦攻略に手間取っているだと 」
 届いた急報に、グレイヤードが唖然と斥候兵を見遣った。
 ランスと合流する直前、彼は己の指揮官の中でも手練れの側近の一人、ベルヌーイを送り込んでいた。
 レディンの足元を崩すため、未だ堅固に残るアンゼル砦を落として置くべきだと考えたからだった。
「俺が増援に出る、構わんな?」
 間もなくバルティア王都から本隊が出てくるだろう。
 そうなってからでは全てが手遅れになる。
 第一ベルヌーイの部隊が壊滅しては、貴様の面目も丸潰れだろうらな。
 ランスの進言に含まれた意味を察しグレイヤードが表情を堅くするが、その言葉が真実であるので彼は承諾した。
 ランスの出撃を。
「準備が出来次第、私もすぐに追う」
 それまで、保たせろ。
 グレイヤードに命令されるのは不愉快だったが、皇帝勅命である以上ランスに否は無い。
「了解した」
 一瞬眦を上げた直後、彼は頷くと同時に踵を返した。
「全力で駆けろ! 午後までにアンゼルに辿り着くのだ 」
 天幕の外に再び飛び出したランスの命令に彼の指揮下の兵たちが迅速に従い、文字通りアッと言う間の早業で陣を後にして行く。
 ランスとホースマンの部隊が土煙の彼方に見えなくなった頃、やっとグレイヤードは動き出す。
「アンゼルに進軍する!」
 伝令の兵が慌ただしく走り回る様を見遣る彼の表情は、厳しいものだった。
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