act.3

 ベルヌーイの猛攻に耐え兼ね、アンゼル砦を任されていた指揮官アルバートからの報により、バルティア王都からレディンが己の指揮官全員を率いて激戦の眞かに到達したのは、ランスらが急報を受け取るか、受け取らぬかと言う間際であった。
「流石はアルバートだ、良く持ちこたえてくれたぜっ」
 騎士団長テイラーの感嘆の声が周囲に響いた。
「だが、この様子からしてこれ以上は保てまい。出来る限り急ぎアルバートの救援に向かうのだ」
 全員そのつもりで行け 
 レディンの凜とした声音に一同が大きく頷き駆け出した。
 混戦の戦場、アンゼルに。
 無論、命じたレディンもしかり。
 だが、そのわりに彼の行動は迅速とは言い難いものだった。
 見るものが見たら、一瞥で理解出来るだろう。
 決して本気では無いのだと。
 それが解ったのは、恐らく今は亡き老将ゴォルコフくらいではなかろうか。
 とにかく、レディンは本気で戦ってなどいなかった。
 何故ならば。
 ここには未だランスの姿が見えないからだ。
 己の身を開いた者と話を着けたいが為だけに、わざわざ出て来たなど無論彼の部下たちには、内緒では有るが。
 明かにつまらなげに、レディンは億劫な様子で剣を凪ぐ。
 容赦ない凄まじい攻撃だったが、実は彼にとっては十分に手抜きな戦いぶりだった。
 剣に気を込める技を使うまでも無く屠られ、ダルシス兵らは血の海の中に倒れ伏し絶命していく。
 あまりにあっさり、あまりにあっけなく。
 生欠伸を咬み殺すレディンが悪い訳では無い。
 ただ単に、彼は強すぎたのだ。
 未だ、己に課せられた使命、そして運命を識らぬ少年は、生まれながらに最強の戦士となる宿命を担わされている。
「…参ったな…」
 来ないつもりなのか。
 俺を唯一人、本気にさせた男は。
 いい加減、簡単に倒れる兵との戦い―否、これは唯の殺戮に過ぎない―に飽きつつある少年は、肩で息を付いた。
 別に疲れて居る訳では無い。
 断じて。
 ただ単に詰まらなかった。
 仕方なく、辺りの雑魚を片付けた後、本陣に戻ろうかと考え始めた時だった。
 黒騎士到来の報が飛び込んで来たのは。
「やっと来たか!」
 パッと表情が明るげなものに変わる。
 我ながら現金だと、レディンは思った。
 そして、伝令兵よりも早くに、レディンは彼方に向かい疾駆していた。
 事実、黒騎士に逢うことだけを目的に来たのだから、嬉々としてレディンは先程の優に三倍の敵兵を切り捨てる。
 やっとの事で、返り血に塗れた状態のレディンが、ランスの前に辿り着き「逢いたかった」と告げた途端、
「馬鹿か…お前は…」
 呆れ果てた口調とは裏腹に、ランスもまた喜びを噛み締めている自分を自覚していた。
「ふん、貴様の面は…そうは言って無いが?」
 嬉しい癖に。
 俺に逢えたのが心底嬉しい癖に。
 図星をさされたランスは、しかし。
「大層な自信だな?」
 応えながらも目を細め口許に笑みを浮かべるランスを見詰め、レディンは満足する。
「違うのか?」
「いや…」
「ほらみろ」
 周囲のホースマン部隊が、どうしたものかと二人の会話を耳にしている。
 直属の部下である彼らは、ランスとレディンの関係を薄々ながら気が付いているらしかった。
 困惑する部下たちを見遣ったランスは苦笑を漏らし、彼らにベルヌーイの元に赴くよう命じてる。
 安堵の息を零し命令に従って駆け抜けて行く部下を見送った後。
 ランスはレディンに向き直ると、少年の顔に付着している、返り血を己のマントで拭った後、その唇に軽く口づける。
 レディンは再び、拒絶しなかった。
 端からする気は無いようだと、見て取ったランスへ、
「…やはり、気分いいな…」
 ポソリと呟くレディンの瞳が揺れている。
「何がだ?」
 触れ合うだけのそれが離れた途端の呟きに問うランスへ、レディンは薄く笑って応えを返す。
「お前の口づけ」
「…光栄の至り…」
 低く甘いランスの囁きが、鎧越しに抱き寄せられて耳元に寄せられる。
 再びレディンの顎が持ち上げられ、今度は深く口づけられた。
「…ん…」
 絡められる舌先を懸命に追いかけ、逆に絡め取ろうとするが、生憎とレディンには未だ経験が足りないようで、そこまでには至らなかった。
「…はぁ…」
 貪るような深い口づけの後、レディンの身体からガクンと力が抜ける。
 それを両手で支え、ランスは己の胸に抱き寄せた。
「大丈夫か?」
「…じゃ、ない…」
「そうか」
 納得して、辺りを軽く見回すとランスは以前と同じようにレディンを抱き上げた。
「…待て…」
「何だ? おあずけは酷いぞ?」
 俺を待っていたのだろう?
 なら、素直に身を委ねろ。
 ランスの強引な口調にムッと表情を歪めるが、レディンは些か諦めの心境で身を委ねつつ、けれどその唇は矢継ぎ早に言葉を繰り出していた。
「お前、どうするつもりなんだ?」
 俺に触れるのは構わない。
 だが、俺も何時迄も黙って身を開く積もりは無いぞ。
 大木の陰に入り、アンゼル砦からは目に着かぬ位置で己を降ろし、その身を包む甲冑を剥がしかけるランスへ、
「どうなんだ、ランス=カルザス」
 はっきりしてくれとレディンは言った。
 でないと、おかしくなりそうだ。
 もう待つのは、辛い。
 言葉に出来ない想いを秘めて、レディンは真摯の瞳で問う。
後少しで身を包む全てが失せるという寸前で、彼の手が止まる。
「今、答えねば納得出来ないか…?」
「ああ」
 無論だ。
 真紅の瞳に吸い込まれそうだと内心舌打ち、ランスは唇を咬む。
 如何な言葉を紡いだとて、目前の少年が満足するなど在り得ないだろう。
 唯一言を除いて。
「ならば、答えるしかあるまい」
「勿体ぶるな!」
 苛々とした口調のレディンにランスは頷いた。
「なら、はっきり言おう。今の俺はお前の元には行かぬ」
 行けないのだ。
 今は未だ。
「だが、近いうちに必ずお前の傍らに、立てると思う」
 それは約束出来る。
 ランスの、漆黒の瞳が真摯に煌めく。
 今のランスにとって精一杯の譲歩の言葉を、絞り出させるだけでも由とするか否か。
 レディンがそれに関して、応えようとした時だった。
「成る程、これが黒騎士を地に貶めた原因だったか」
 冷ややかな、蔑むような口調にハッと二人同時に振り返っ
た先に在ったのは黄金の長髪を背に揺らした、長身の人物だった。
「…グレイ…」
 不味い所を見られた。
 ランスの眉が顰められる。
 上級クラスの帝国軍指揮官が、己を見下しているのを見て取ったレディンが嫌悪に表情をを歪める。
 これ程接近していたと言うのに気配を察知出来なかった己の迂闊さに。
 グレイヤードの視線が、レディンからランスに移り、口調は更に辛辣を極めようとしていた。
「まさかと思うが、ランス。そやつ、バルティア王子では在るまいな?」
「だとしたら、どうする!」
 動揺を隠し、レディンはランスが応えるより早く跳躍すると手にしたグレートソードを振り凪いだ。
 常ならば、間違いなく決まっていたその攻撃は、しかし易々と躱された。
「く…ッ」
 着地と同時のレディンから悔しげな舌打ちが零れる。
 咄嗟の事に数呼吸分出遅れたランスは、焦りを面に乗せレディンを守ろうと二人の間に飛び込もうとする。
 だが、それは僅かに間に合わず。
 グレイヤードは着地に態勢を崩したレディンの脾腹に、間髪入れずに抜き身の剣の柄を叩き込んだのだった。
「ぐ…っ!」
 剥き身の腹部に与えられた衝撃の凄まじさをまともに食らったレディンは、苦悶に剣を取り落とし屈み込む。
 その隙を逃す事なく、グレイヤードは少年の未だ細い首筋に手刀を叩きいれた。
 グレイヤードのそのあまりの早業に、ランスは手も足も出ぬまま、ぐったりと倒れ伏すレディンを見るに至った。
 それは時間にしたなら、瞬き二度程度であっただろうか。
「これが、手ごわいバルティアの王子だと? お前の目は随分と確かな事だな?」
 恐れ入ったぞ?
 グレイヤードの言葉に、ランスは眉を顰める。
 本来のレディンなら、こうもあっさりグレイヤードに屈服はしない。
 己がはっきりしなかったばかりに彼は動揺し、常の動きが出来なかったのだ。
 そんなことを知らないグレイヤードは、
「この事は、皇帝陛下にご報告する。ただで済むと思うな、裏切り者め!」
 レディンを抱き抱え低く嘲笑混じりに言い放つと踵を返した。
「待て!」
 グレイヤードの背にランスの声が投げ付けられる。
「グレイ、レディンを離せ!」
 ランスの声音に怒気が含まれ、そのような声など聞いた事も無かったグレイヤードが愕然と思わず歩を止めた。
 気配だけで、分かる。
 凄まじい殺気が。
「今直ぐレディンを離せ、さもなくば…」
「さもなくば―?」
 無意識に神経が萎縮する。
 恐怖に、グレイヤードは硬直しかけていた。
「斬る 」
 ゾッとするほどの殺意が、グレイヤードにのみ向けられていた。
 恐らくは、味方の兵でこれ程のランスの殺気を味わった事が在る者など、居はしまい。
 ランスが黒騎士と呼ばれ、恐れられているのを今更ながらにグレイヤードは理解した。
 まして、今のランスは本気でレディンを取り戻そうとしているのだ。
 まともに遣り合えば、敗れるのは自分だ。
 そこまで分かっているのに、グレイヤードの足はまるで動こうとはしなかった。
 身が竦み、動けなくなると言う話は良く聞くが、選りに選って己がランスにそんな目に合わされようとは思いもよらなかった。
「今なら見逃して遣る、レディンを離せ… 」
 ランスの低い、唸りのような声音に、グレイヤードは敗北感を味わい、無意識に従おうとしたとき。
「グレイヤード様!」
 腹心の配下が、飛び込んで来た。
「ぬ!?」
 決死の覚悟で切りかかってくるロードクラスの刃を躱すのは、ランスにとっても容易では無かった。
「今のうちに、お早く!」
「すまぬ!」
 応えるもそこそこに、レディンを肩に担ぎ上げ、そうとはとても思えぬ機敏さでグレイヤードはかけ去って行く。
 それを追いかけようとするが、いつの間にか一人から二人、そして三人にと、増えた指揮官の攻撃を受け止めながらでは流石のランスにも、出来ぬことだった。
「貴様らーッ 」
 激怒し、絶叫するランスのそれがグレイヤードの耳に届く。
 恐れ戦き、強ばる身体を懸命に動かし、彼は駆け抜けた。
 否、逃げた。
 一刻も早く、あの場から逃げ出したかった。

 ランスの叫び声と戦闘の喧噪が次第に遠のき、気配も感じ取れなくなった場で彼はやっと肩の重みを実感した。
 如何に黒騎士と言えどダルシスの帝都に、ディゴスの元に連れ去られたレディンを取り戻すことは、そう簡単には出来まい。
「お帰りなさいませ、グレイヤード様」
「う、うむ…」
 未だ硬直する腕から、全裸に等しい少年を、部下の手を借りて降ろし、初めてグレイヤードはホッと安堵の息を吐き出した。
「大至急撤退する! もはや、この場に滞在は不要だ、帝都でお待ちのディゴス陛下に良い土産が出来た」
「は?」
 自分たちの目的は、バルティア討伐の筈である。
 その、目的半ばで撤退とはどう言うことかと、怪訝な表情を浮かべる直属の副官へ、彼はニヤリと笑って応えた。
「この小僧こそバルティアの王子、レディンだ」
 グレイヤードの呟きに、副官と彼の部下たちが息を飲む音が響き渡った。
 皇帝に徒成すバルティアの王子の実力の噂に戦いていた指揮官らは、グレイヤードが無傷で戻って来たことと、レディンを捕獲してきた事実に驚嘆した。
「聞こえなかったか 」
「…ハッ! 只今より本隊はダルシス帝都に凱旋致します!」
 指揮官の声に気を良くしたグレイヤードが声高に笑った。
 土産は、バルティアの小僧だけでは無い。
 黒騎士の謀反と言う、一大事の付録まで有るのだ。
(ランス、貴様はもはや二度と再び帝都の大地を踏み締める事は出来ぬと知れ!)
 グレイヤードの瞳に狂気が走った事に、慌てた様子で動き回っている指揮官らは気づく事は無かった。

 帝国指揮官と傭兵らを全て凪ぎ倒したランスは、荒い呼吸を必死に整えていた。
「まだ…間に合う筈だ…」
 疲れ果てた掠れた呻き声を漏らし、ランスは剣を鞘に仕舞った。
 こんな状況になった責任は全て自分に在る。
 その屈辱と憤慨ゆえに無意識に唇を強く噛み締め、口中に僅かな鉄の味が広がる。
 呼吸が整ったランスが愛馬を指笛で呼び寄せそれに駆け寄ろうとしたその時。
「黒騎士! 王子を何処へ遣ったッ 」
 薄く紫かかった銀の髪を振り乱し、バルティア近衛隊長のナームが何時の間にか愛馬の手綱を取り彼を睨み据えていた。
「隠しておくと、唯では済まさぬぞ 」
 美貌の主の、はっきりとした脅しの言葉の後ろには何時でもファイアボールの呪文を詠唱出来る態勢を保持した王宮魔道士ジェシカの姿があった。
「どうなのだ!」
「これから…救出に行くところだ」
 ランスの冷静な声に、怪訝な視線を向けナームが何かを言いかけた時。
「俺は…レディンに力を貸すと約束した。もはやダルシスに未練など無い。奴を助けに行く、邪魔をするな」
 真摯な黒い瞳には、無論嘘偽りの有ろう筈も無い。
「黒騎士は、嘘は言って無いと思います」
「クリス…」
 ジェシカの脇からスッと現れた可憐な少女が、ナームとランスの間に立ち、苦しげな表情で呟いた。
「でも、信じた訳じゃ無いわ、レディン様をお助けするまでは、貴方を信じる訳には行かない!」
「構わない」
 小柄な少女の懸命な訴えに、ランスは頷く。
「では我等も同行する、異論は無いな?!」
「…無い…」
 ナームの断定に頷いたランスはナームからた手綱を受け取り飛び乗った。
 その後ろにクリスが相乗りする。
 疾駆しだした漆黒の軍馬の後を、ナームが何処から調達したのか栗毛の駿馬に跨がり、その後ろにジェシカを乗せてランスの後を追うのだった。
TOPBACKNEXT