act.3

意味深なレオンの言葉を訝しみつつ、エルウィンは小さく首を傾げた。
「何処って…」
「皆、既に休んでいる筈だぞ? それを起こしてまで別の天幕に行くつもりなのか?」
言われて唖然とレオンの顔を見る。
エルウィンは自分が何処で休むのか、聞いていなかったのだ。
「あれ…?」
じゃあ、俺は何処で休むことになっていたんだろうかと困惑するエルウィンに、レオンは顎で促した。
「ここが空いているぞ?」
「ここって…」
示された場所は、レオンの寝台では無いか。
「じゃあレオン、お前、何処で寝るつもりなんだよ?」
「お前の隣りが空いているだろう?」
薄く笑いながら言われたエルウィンは呆然とする。
目を見開き硬直している若者を眺め、レオンは目を細めた。
「…冗談だ。不寝番が居るだろうから、その者に尋ねると良い」
お前の天幕はちゃんと用意してあるから。
だから、心配はいらない。
冗談を言って悪かった。
苦笑を零したレオンを、けれどエルウィンは怒りはしなかった。
「…俺は別に、そこでも良いけど…」
お前が嫌でないのなら。
寝台を指しながらエルウィンが小さな呟きを漏らした瞬間、今度はレオンの笑顔が凍り付く。
エルウィンは知らないのだ。
己の本心を。
笑みを浮かべながらも、本当はどんな欲望を抱えているのかを。
だから、問い返す声音に堅さが滲む。
「…本気、で言っているのか?」
「俺は嫌じゃない」
お前の隣りも腕の中も、全然嫌じゃない。
だけど。
「だけど、冗談や嘘なら死んでも嫌だ」
その言葉にレオンは息を飲み込んだ。
自分が何を言っているのか、エルウィンは解っているのだろうか。
無意識にレオンは掌を若者の頬に伸ばした。
軽く触れてくるその手を、エルウィンは拒まなかった。
「お前は…覚えていないかもしれないけど、俺はずっと前からお前を知っていたんだ」
レオンを真摯の眼差しで見つめ、頬に添えられたその掌に自らの手を重ねエルウィンは低く呟く。
「ほんの…一瞬だったけれど、お前の向けた笑みを俺は忘れられなかった…」
ずっと長いこと。
それは、今も変わらないのだけれど。
「…だから、冗談でないのなら、お前の側にいたい…」
そう言ってエルウィンは重ねていた手をそっと離した。
レオンが愕然と目を見開いているのを見てしまったからだった。
「ごめん…、今のは忘れてくれ…」
胸が締め付けられる哀しい微笑みを浮かべ、立ち上がろうとしたエルウィンの腕が直後、レオンに掴まれる。
「何故…忘れねばならない」
エルウィンを強引に引き寄せレオンは言い切った。
「あれは…、私にとっても忘れられない一瞬だったのだ。それを…お前は忘れろと言うのか?」
その、レオンの言葉が信じられず、エルウィンは力無く首を振る。
「そんな事…在る訳無い。あれはほんの一瞬だったし、お前は…」
レイガルドの誇る、皇帝の信頼も厚き青竜騎士団長。
誰もが一目置く優れた武人なのだから。
俺如きをあの一瞬で見つめてくれていた筈など無い。
「勝手に決めつけるな!」
エルウィンの言葉に、レオンが激情を露にする。
「私があの一瞬を心に刻んでいてはならないと言うのか?! あの時、お前の笑顔でどれ程私が救われたと思っているのだ!」
レオンの血を吐くような叫びに驚愕する。
「救われた…?」
彼の存在の言わんとしている意味が分からなくて、その言葉を無意識になぞった瞬間。
エルウィンの身体は強く抱き締められ、唐突に薄い唇が荒々しく塞がれる。
「んっ、ぅんんんっ!」
息も付けないほど強く、目眩がするほど激しく。
レオンはエルウィンを貪る。
果てぬのではないかと思えるほどの、初めての口づけに驚愕と恐怖とが混然したエルウィンの身体が自然に硬直する。
「あ…はぁ…っ」
漸く解放されても呼吸が整わないエルウィンの眦は涙を滲ませ、突然のレオンの激情の行為に対する憤慨と、想いを募らせる相手から与えられた口づけによる喜びとで、目許を真っ赤に染めていた。
[あ…」
そんなエルウィンの憤りを察したレオンの意識が急速に冷える。
「…済まぬ、どうかしていた…」
そうしてゆっくりとエルウィンから身を離し、深い後悔に彩られた謝罪の言葉を零す。
「ずっと…堪えて、自分の感情を殺して来たと言うのに…肝心な所で抑えが効かなくなるとは…思わなかった…」
恋慕の想いは、冷静沈着なレオンをさえ激情に流す。
「何のために…今まで堪えて来たのだ…」
自分の想いを殺して来たのかと、レオンは自身を恥じ入る。
そんなレオンを見つめていたエルウィンが、やっと整った息を深く吐き出した後、直前からは想像も出来ないほどの穏やかな呟きを零す。
「…レオン、聞きたい事が在る」
項垂れたまま打ち震えるレオンを見つめ、エルウィンは言葉を募らせた。
「救われたって…どう言う意味だ?」
乱れるに任せた着衣を正そうともせず、真摯の眼差しで問いかけるエルウィンに、レオンは自嘲気味に応えた。
「今でこそ…戦う事に躊躇を由としなくなったが、あの頃の私は戦うことを嫌悪していたのだ…」
なまじ腕が立ったが故に、誰もが彼に期待した。
ベルンハルト皇帝すらも。
そして、レオンは皇帝の期待に応えようとしていた。
大陸の平穏を勝ち得る為に。
「だが…私が剣を奮う都度、人の命は失われる。それが、苦痛だった…。自ら望んで戦いに身を置いているのに、戦うことを悍ましいと感じる…そんな葛藤に苛まれていた時だ…」
レオンは出会ったのだ。
ひとりの少年に。
「私を…見つめていた、熱い視線で…。誰もが恐れ、恐怖と脅威の目で見送る中…唯一人、笑顔を向けてくれた…」
次第に熱が籠もるレオンの声音を、エルウィンは聞き入る。
「あれは…お前なのだろう?」
もう一度、今度はレオンから己と同じ言葉が囁かれた。
「覚えていてくれたんだ…」
あの一瞬の邂逅を。
痛いほどに胸がドキドキする。
嬉しくて堪らない。
照れたように目許を赤らめるエルウィンが、レオンには愛しかった。
レオンは無意識にエルウィンの真紅の髪に手を差し入れ、優しく撫でた。
その愛撫の手は心地よくて何か擽ったい感じで、目が細まる。
「…あの笑顔が無かったら…私は決意できなかっただろう。修羅の道を歩むと言うことを。…だが…」
不意にレオンの表情が曇る。
「レイガルドの将軍である私を…疎ましく思う者は幾多にも及ぶ。私の想う相手だと知れたら…」
その命を危ぶまれる。
レオンの濁した言葉の意味を察してエルウィンは頷いた。
「そして、何より…私は、自ら大陸の平穏の為に悪鬼と成る事を望んだのだ。自分の感情など、二の次…と」
過ぎる程の生真面目さ。
エルウィンは苦笑を禁じ得なかった。
誰もが自分の幸せを一番に思うのに、自分より他の者の幸福を望んだレオンの馬鹿が付く程の生真面目振りに、けれど納得する。
「だから、自分の感情を殺したんだな…」
「そうだ…」
けれど、無駄な徒労に終わったが。
結局は自身をごまかせなかった。
心の奥に押しやった想いが、長い時間を掛けて育まれ。
結局は無理強いするようにエルウィンを貪ろうとしてしまった。
「エルウィン」
「ん?」
レオンの眼差しに憂いが浮かぶ。
今度こそ、と懸命に自身を押さえ付けようとの決意と悲哀に。
「…苦しい思いをさせて…済まなかった…」
真摯の想いを秘めた謝罪の言葉に、エルウィンは笑みを浮かべると頭を振った。
「もう、いいよ。そんなに何度も謝るなよ。それにな…」
小さく呟いたかと思った瞬間。
今度はエルウィンが突然レオンに唇を寄せる。
「 ! 」
唐突なその行為に愕然と表情を強ばらせるレオンから、そっとに身を引きエルウィンは囁く。
「…それに、俺はお前が嫌いじゃないよ…」
「エルウィン…」
呆然としているレオンに、エルウィンが身を委ねた直後。
レオンの中の何かが、フツリと音を立てて切れた。


ゆうるり。
形の良い、長い指先が滑る。
その都度ピクリ、と戦慄き応える肌。
「あ…」
漏れ出る喘ぎの声を、エルウィンは堪え切れなかった。
「ん…くっ、レオン…」
キュッと目を瞑ったままに、快楽を与えている存在の名を無意識に呼ぶ。
「エルウィン…」
上ずったような応えを返す彼の存在の、低い、けれど心地よい声音に何故か安堵し、エルウィンの身体から自然に力が抜けて行く。
億劫気味に伸ばした腕をレオンの背に絡め、エルウィンは薄目を開けた。
空の色、と言うには濃い、言うなればアイスブルーに近いその瞳に映し出されるのは、レオンの端正な面。
燭台の明かりに照らされ、彼の黄金の髪が煌いている。
その、何と美しい事か。
エルウィンは眩しげに目を細めた。
「エルウィン…?」
潤むようなエルウィンのアイスブルーの瞳を見入り、レオンが訝しげに呼びかける。
煌くような美しいそれに指を絡めたエルウィンの、
「…好きだ…」
返る応えは熱をもった言葉。
それを耳にしたレオンの幸福そうな微笑みが、とても嬉しい。
「俺は、お前が…ずっと前からお前が好きだったんだ…」
至福の面差しで囁くエルウィンに口づけ、レオンはその耳元に応えを返す。
「私もだ、エルウィン…」
耳朶を甘噛むような、心に染み入る告白にエルウィンの感覚が極まる。
「レオン…ッ!」
縋るようにレオンの背に廻した指先に、力が籠もる。
それに応えるように、レオンの愛撫が激しさを増した。
「あ…ぅんッ…」
押し寄せる快楽に抗いきれず、エルウィンは一際高い喘ぎの声を放った。
脱力し、ぐったりとしていたエルウィンの、汗に濡れた髪を撫で上げ口づけるとレオンはそっとその身を開く。
「…愛しているよ…」
酷く優しい、けれど上ずったようなレオンの声音を快いと感じ、エルウィンは幸福感に浸るのだった。



ライリム渓谷に渡された橋が、間近に迫る。
自ら切り開いた運命の果てしなき苛酷さを、未だエルウィンは知らない。
だが、どんな事にも耐えられるだろう。
エルウィンはもう、独りではないのだから。

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