act.6

身支度を整え、傷を癒すとエルウィンはやっとの事で立ち上がった。
「随分経っているから…流石にみんな心配しているかもしれないな…」
出掛けたときは、まだ日も高かった。
夕暮れに今少し、と言う時刻であったのだ。
しかし、今は既に月さえも頂点に達している。
「そうだな…」
エルウィンの、未だ幾分汗に濡れ額に張り付いて居る真紅の髪をそっと剥がして遣りながらレオンは同意の応えを返す。
「全ては私の責任だ…お前は何も言わなくていい…」
謝罪は私がする。
レオンの言葉にエルウィンは当然だとばかりに頷いた。
「分かった」
言った側から苦笑が漏れ出る。
みんなは知っているのだ。
自分たちの関係を。
絶対に冷やかされるだろうな、と想像してエルウィンの唇の端が僅かに歪む。
その時だ。
ガサリ、と付近の樹木の枝が擦れ合う音がしたのは。
ピクリと身構え確かな緊張感に身を堅くすると二人共に腰の獲物の柄に手が伸びる。
その直後、物音のした方角から人影が現れた。
既に武器を構え、鋭い眼差しを向けた存在を見たエルウィンが目を剥いた。
「…レスター…」
ライリムで撃退した、かつての同胞の視線が射るように鋭くエルウィンを睨み付ける。
「こんな所で青竜騎士団長殿と何をしてたんだ?」
皮肉に歪む口元から、辛辣な言葉が投げ付けられる。
「貴様には関係あるまい」
剣を引き抜き、エルウィンを庇うように立ち塞がるとレオンは低く言い捨てる。
「知らなかったぜ、エルウィン。お前、結構良い声で鳴くんだな?」
レスターの冷ややかな侮蔑の声にエルウィンは眦をスッと引いた。
聴かれたのは、口惜しい。
だが、それとこれとは別物だ。
戦いに突入する寸前の、会話としては下劣である。
「ならば、二度と聴けぬようにしなければならんな」
レオンの凄むような声音に、怒りが滲む。
あの声を耳にして良いのは自分だけなのだ。
他者になど到底許せるものでは無い。
レオンの凄みにレスターがゾクリと背筋を凍り付かせた。
例え耳にしていようと口にすべき事では無かったのだと気が付いても今更遅い。
ライリムでの戦いで受けた傷をやっと癒して、ジェシカたちの待つポイントへの合流途中で、偶然彼は耳にしてしまったのだ。
誰かの嗚咽と喘ぎを。
そのまま行き過ぎれば良かった。
しかし、その声に彼は聞き覚えが有った。
だからつい気に止め、気配を察知されないギリギリの位置に近寄って、彼は愕然とした。
その声の主がエルウィンであると知って。
どうすべきか、と躊躇しなかった訳ではない。
だが、見過ごすには先日の戦いでの敗北が大き過ぎた。
そうして、彼は声が収まるのを待ち姿を現して、二度驚く事になってしまったのである。
まさか、エルウィンの相手がレオンであるなど夢にも思わなかったのだ。
幸運か不運かは神のみぞ知ると言うところであるが、ともかく彼は口にしたのだった。
言うべきでは無かった台詞を。
そして。
「殺れるもんなら、殺ってみな!」
内心舌打ちながら、獲物を振りかざすとレスターは地を蹴った。
「レオン!」
「任せろ」
唯それだけの会話をする間に、獲物を振りかざすレスターがレオンの直前に迫る。
しかし、振り下ろした武器がレオンを捕らえたと思った瞬間、レスターの目前からその姿は消えていた。
「ちいっ!」
瞬き半分の間も無いほど素早く仕掛けた筈の攻撃をあっさりと躱されたレスターの、脇腹に焼け付くような感覚が直後走った。
咄嗟に反対側に飛んで、直ぐに反撃しようとしたが適わなかった。
脇腹が激痛を訴え、膝に力が入らない。
得物を持たぬ手がその箇所に触れると、そこが見事な程奇麗に斬られ、血を溢れさせている。
鋭いレオンの一閃は、内蔵をも傷つけていた。
「ぐ…」
圧倒的な腕の違い。
鍔迫り合いにさえ成らなかった口惜しさ故にか、くぐもった息を吐き出すレスターは、苦痛に膝を着き己にダメージを与えた存在の悠然と立つ様を血走った目で見上げる。
更に追い打ちを掛けるように、レオンの剣はレスターの首を目指して振り下ろされようとしていた。
殺られる。
逃れる術が無い。
「約束通り、二度と何も聴けぬようにしてやろう」
レオンの冷酷な宣言に、レスターは絶望に陥る。
未だ剣が振り下ろされてはいないと言うのに、首筋がチリチリと痛みを訴える。
全身を冷たい汗が流れ落ちた瞬間。
「レオン、下がれッ!」
エルウィンの声が響いた。
ハッとその声に反応し、レオンがレスターから飛び退くのと、その場に爆炎が舞落ちたのは殆ど同時だった。
「レスター殿!」
上空からのその声に、エルウィンはファイアーボールを放った者が誰なのかを悟った。
「キース…!」
見る間に、ドラゴンロードは森林の中に竜を下降させ、レスターを拾い上げると急上昇して行く。
それを口惜し気に見送り、レオンが舌打つ。
「今一歩の所で…」
恐らくは、合流すべき場所で待っていたがなかなか現れない事に捜しに来たのだろうとレオンは推測した。
実際にはその通りなのだが、終わってしまった今は、もうどうでも良い事だった。
「済まなかった、エルウィン…ありがとう」
獲物を仕舞いながら、穏やかな笑みを向けるレオンにエルウィンは首を振った。
「あの時、魔導の波動を感じたから…」
多分、お前に仕掛けてくるだろうと思って咄嗟に声を上げたんだけど。
「無事で良かった…」
照れを隠すように視線を落としエルウィンは呟いた。
「そろそろ戻ろうぜ…丁度言い訳も出来たことだし…」
「…反乱軍のせいにするのか?」
遅くなったのを。
レオンは些か呆れたように言ってから、
「それも良い、か…」
あんな所に居合わせ、剰えエルウィンのあの声を聴いたのだから当然だとレオンは自分に言い聞かせる事にした。
「そう言う事、さ」
軽く片目を瞑り、エルウィンは笑った。
だって俺はお前のなんだから。
他の誰のでも無いのだから。
「でも、惜しかったな…あそこで片付けとけば後々楽に進められたのに…」
かつての仲間と戦うのは、辛い。
だからこそ、出来るだけ早く戦いは終えたいのだ。
何れは、傷ついた心も癒せるだろう。
時間さえあれば。
レオンさえ、いれば。
鈍痛に時折眉を寄せながら、小さな村で待つみんなの元へと向かうエルウィンの視線がレオンに向けられると同時にまた頬が熱くなる。
そんなエルウィンを知らず、レオンは苦笑した。
「何れは、決着も付けられるだろう…それまでの辛抱だ…」
それは、誰に向かっての言葉だったのか。
レオンの穏やかだった眼差しが天空にと向けられた一瞬の後、確かに憎悪に揺らめいていると、熱く火照る自身を誤魔化すかのように俯いたままのエルウィンは気が付かなかった。


やっと帰り着いた村では、既に食事を終えた面々が酒を酌み交わしていた。
「お帰りっ、2人とも」
ニコニコとヘインが出迎えの声を掛ける。
「ご苦労様、お腹空いただろ?」
開けられた場所に腰を降ろす2人に労いの声をかけるヘインに対して、
「哨戒にしちゃ、ちょっくら時間かかり過ぎじゃないか?」
ほろ酔いのロウガのまたしても余計な一言に、イメルダが肘鉄を食らわせる。
ゲホゲホ言ってるロウガを無視して、彼女はにんまりと笑みを浮かべた。
「それで、どうだったんだい?」
何事も有ろう訳など無いと承知し尽くたつもりのイメルダの問いかけに、レオンは差し出された食事の器を手にして応える。
「ああ…、反乱軍と一戦した位で、他には何も無かった」
あっさりと言うレオンに、
「…ふうん…?」
分かっているけれど、もっとましな言い訳は無いのだろうかとヘインは苦笑してエルウィンに向き直る。
「それで?」
「レスターとキースが現れたんだ。恐らく近くに合流ポイントがあるんだと思う」
「…本当か!?」
ギョッとしてバルガスが目を剥くと、レオンは真顔で頷いた。
「嘘ではない」
レオンの声音には嘘偽りが感じ取れず、一同の表情に紛れも無い緊迫感が浮かび上がる。
「それにしても凄かったよ、間近で見た青竜騎士団長の実力ってのは。あんなにあっさりレスターの攻撃躱して、一瞬の後には斬っているんだからな」
エルウィンの声音に、ヘインは何かを言おうとして口を開けるが声にならなかった。
見せて遣りたかったくらいだぞ、とエルウィンがヘインに笑顔を向けながらに言えば。
「否。それよりエルウィンだ。あの時ドラゴンロードの呪文をよく気づいてくれた」
そうでなければ、避ける事など出来なかった。
ニコニコ。
レオンが笑顔で言えば。
一同の表情は凍り付く。
「ヤ…ヤバイじゃねーか!」
ロウガの怒声も尤もだろう。
ここに帝国軍が居る事を知られた訳なのだ。
「ああ、それなら大丈夫だろう」
カルザスのシェリー姫に続いて、主戦力のレスターまでもが重傷を負ったのだ。
指揮官二人が戦えない状況にあって、追撃してくるとは思えない。
だから、心配はないだろう。
不安ならば、不寝番を仕立てて警戒に当たれば済む事だ。
あっさりと言うレオンに、僅かだが面々から緊迫感が薄れて行く。
「…そ、そうだね。そうした方がいいだろうね…」
イメルダが驚きから立ち直り、何とか言葉を絞り出す。
「それにしても…よ、それならそうで何で俺たちを呼んでくれなかったんだよ?」
どっちかが呼びにくることも出来ただろうが。
ロウガの疑問の呟きが漏れた途端。
丁度飲み物を喉に流し込んでいたエルウィンは思い切り、噎せた。
「…大丈夫? エルウィン…」
突然のそれに、ヘインは慌ててエルウィンの顔を覗き込んで、納得した。
「…はぁん…そう言う事…」
顔全面を真っ赤に染めたエルウィンに、ヘインが意味深に笑った。
「ば…っ、馬鹿…、これは噎せてだな…ッ、誤解するなよ!」
「誤解されるような事、してたのか?」
またしても、余計な一言を言ってしまったロウガが、慌てて口を抑えた。
だが、今度は肘鉄は来なかった。
エルウィンだけで無く、レオンまでもが目許を赤くしている様を目にした一同は、一瞬絶句したのだった。
「成る程、な…」
バルガスが脱力したように苦笑を零して、酒の入った器を呷る。
「ふふん?」
イメルダが鼻を鳴らし、レオンを面白気に見入る。
「ごちそうさま」
ヘインは小さく笑って囁いた。
立場を無くし言葉も無い二人に、明日は有るのだろうか。
ニヤニヤと全員が二人を肴に酒を酌み交わし出す中、まさに針の筵の上に晒されている状態での食事は、流石の二人にも結構くるものがあった。


先程の喧噪が嘘のように静まり返った空間を支配するのは、深夜。
穏やかな息を紡ぐレオンの右面を覆う黄金の髪をそっと撫で上げて。
エルウィンは露になった白磁の頬に唇を寄せる。
「誰よりも、おまえが好きだよ…」
囁いて、その胸に身を委ねてエルウィンは目を伏せる。
「お前を…愛してる…」
もう一度囁き、エルウィンは深い眠りに身を落とした。
暫くして、その背に大切なものを護るよう抱く腕が延ばされる。
「私の…エルウィン…」
目を伏せたままに、レオンは呟く。
「お前だけだ…」
そうして、レオンも眠りに身を委ねる。
夜の帳がしっとりと落ちる、静かな時間が周囲を埋め尽くす。
激戦を繰り広げる日々の中の、それはとても緩やかで幸福な時間だった。


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■中書き(爆)
過激なシーン大驀進でございますーっ!(乾笑)
強○みたいですね、ごめんなさい。
いやぁ、我ながら見事な腐女子っぷり暴走がお気に入りですわ〜。
てへっ。
レオンのグルグルの原因は、実はこんな訳だったんですね。
何で「ヘテロクロミア」にしたのか…。
常に右目を隠しているのが、何故か妙に気に掛かりまして。
一人前の武人になる前に傷を負ったけれど、そのマイナスポイントを克服していくとか普通に考えても良かったんですが。
普通だと面白くないので、左右色非対称のオッドアイがええなぁ…それがレオンのトラウマで…だから誰より常に毅然としている…、等とどんどん妄想が働いた訳でした。
この方がドラマティックですからね(こら)
で。
光輝の王は、それさえ愛しいと思うわけです。
それがまた騎士には嬉しくて仕方無い…ああ、馬鹿っぷる(笑)

さあて、まだまだ続きが待ち構えてますよんっ。
次ぎは2人の仲を裂こうと画策する存在が登場します(笑)
妖しさも更に大爆発ですっ。
加筆もふんだんの予定ですので、お楽しみに♪


蛇足。
レオンを「ヘテロクロミア」にした話を本にして間も無く、ラング3が発表されまして。
主人公ディハルトのキャラデザイン見た瞬間、かなり吃驚しました。
だって、髪の色と瞳の色が見事な金色(後にディハルトの瞳の表現は琥珀って事にしました)だったし、何より背の獲物がレオンの刀と同じって事から広報さんにお聞きした所、こっそりとレオンの先祖だと教えてもらって引っ繰り返ったのでした。
何と偶然からとは言え、レオンの片目が金色なのは「先祖返り」って事になっちゃった訳です(笑)
こんな事も有るんだなぁ、と当時本気で感心したもんでした。

■洛陽/act.4 act.5 act.6
初出/聖戦・2(1995.12)