act.7

遥か彼方に見えるのは、朽ち果てたとの噂に反し、むしろ荘厳な白亜の建造物だ。
それを憮然と睨み付けているエルウィンへ、
「漸くだな…」
レオンの低い呟きが微かな吐息を伴って向けられる。
「あ…うん…」
幾分眉を顰めたエルウィンの表情に、けれどレオンは気が付かない。
彼の意識は、己の目的地である白亜の城に向けられたままであったからだ。
無理も無い。
彼ら、レイガルド帝国の武将たちにとって、ここまで辿り着くのにどれだけの犠牲と時間とを浪費した事だろう。
それが解っているから、エルウィンは敢えて何も言葉にはしなかった。
彼らの目指す白亜のそれが、目的の地バルディア城。
そこに封じられているものこそ、求める伝説の聖剣ラングリッサー。
だが。
それがエルウィンの気持ちを重くしている原因だった。
ラングリッサーと言う剣そのものが、エルウィンの生命をずっと脅かし続けていた要因だからだ。
光輝の末裔たちと出会い共に戦っていたエルウィンが何故離反を決意したのか。
光輝が正しく帝国は間違っている、との方程式を押し付けられたこともさることながら、同じ光輝の末裔でありながら得体の知れないものに生命を脅かされる事の無かったシェリーたちへの疑問も無かったとは言えないのだ。
何故、自分ばかりなのか。
光輝を導く魔道士ジェシカから「伝説の今は亡きバルディア王家の直系」としてこの世に生を受けた瞬間からエルウィンは光輝の王としての運命故に得体の知れない存在に追われたのだと識らされた。
聖剣ラングリッサーの真なる担い手だから、と。
それは光輝の王の末裔として生まれた者総てに押し付けられた宿命そのもの。
父も母も、エルウィンが物心付く前に既にこの世にはいなかった。
エルウィンを育ててくれた養父ドレンも、エルウィンが一人前の冒険者として成り立つ前に彼を庇って命を落としている。
自分に拘わってしまったら、何の罪も無い人も巻き込まれ命を落とすかもしれない。
そんな日々を繰り返し繰り返し過ごして来たエルウィンが、いっそ自ら生きることを諦めてしまおうかと幾度胸の奥で思い至ったことだろう。
それを思い留まったのは、今エルウィンの目前に在る彼の人の為だ。
心からの恋慕の想いが無かったなら。
もう一度だけ、出会いたいと言う願いが無かったなら。
それほどに苛酷な旅の日々の結論が、たった一振りのラングリッサーなる剣だなど。
忌ま忌ましいにも程が有る。
次第に不機嫌になる自分を懸命に押し殺すエルウィンの背後で、イメルダと楽し気に語らっているヘインの声をぼんやりと聞いたエルウィンの脳裏を突然何かを閃いた。
それは最初は漠然としたものだったが、唐突に形を成しエルウィンを支配する。
「…あ…ッ…」
不意に上がったエルウィンのその声に、レオンが何事かと視線を巡らせれば。
エルウィンのアイスブルーの瞳が大きく見開かれている様を見るに至る。
「エルウィン…?」
訝しむようにその名を呼ぶが、エルウィンの応えは無い。
当のエルウィンの意識は、在る思考に支配されていた。
それは、エルウィン自身が帝国軍に身を寄せて以来唯の一度として、得体の知れない存在に生命を脅かされなくなっているという事だ。
帝国の武将の一人となってからの旅路は、あまりにも順調で、そして安全で在り過ぎた。
それは、何故だ?
生命を脅かされ続けた日々が嘘のような現在の状況を思い至り、エルウィンは声にならない呟きを零す。
(…もしかして…)
厳しい視線を彼方に向けるエルウィンを、レオンが不安な眼差しで見つめていた。


間もなく、バルディア城というポイントにまで接近した一行は最後の野営に入っていた。
ここまで来るのに光輝の軍勢との戦いで肉体も精神も疲弊しきっていたからだ。
無論、敵陣営も同様であろうが、強行軍とも言えるエルウィンたちレイガルド軍勢には、この状況で母国からの支援は到底望めない。
それに引き換えカルザスを筆頭とした光輝の軍勢は、レイガルドを潰すべく大量の兵士や物資を送り込んで来ているだろう。
距離的にもレイガルドよりはカルザスの方がバルディアには近い事も不利の要因のひとつである。
それ故、エルウィンは無理をせずここで一旦休息を取るべきと判断して野営を敷く事を命じたのだった。
各所から炊き出される糧食の胃の腑に染みそうな良い匂いが漂う中。
エルウィンは総大将用に張られた天幕の中、愛用の武具の手入れの途中、既に何度目になるのか忘れてしまった深い溜め息を吐き出した。
何らかの命令を下したりしている時は、まだ良い。
だが、こうして黙々とした作業をしていると、脳裏を過るのはやはり己の生命を狙い続けていた者共の行動の皆無を訝しむ事だ。
「…はぁ…」
剣を鞘にしまい、再び嘆息を漏らした時。
「エルウィン…少し…良いか?」
幕布を上げながらレオンが声掛けて来た。
「ああ…構わないが…」
剣を傍らに置き、レオンに席を勧めるエルウィンの表情の陰りは、先程に比べ明かに失せている。
夕餉までの僅かな間とは言え、レオンとこうして時間が取れるのは、はっきり言って嬉しかった。
目前に在るのは、身も心も総て捧げたエルウィンの唯一人の存在であり、相愛の相手なのだからそれも当然だろう。
「それで…話とは?」
エルウィンの声音に促されたレオンが単刀直入に切り出した。
「…何か不安要素でも…有るのか?」
突然のレオンの質問に、エルウィンはキョトンとする。
「不安…要素?」
「うむ…。先程バルディア城を見遣っていたお前の表情…そして、僅かに漏れ出た声を聴いてしまってな…」
もしかしたら、この先、とてつも無く危険な何かを察知しているのではないかと思えて。レオンの零す言葉にエルウィンは慌てたように首を振った。
「それは違う。ただ…」
否定の言葉に続いて、何かを言い淀むエルウィンに、レオンの整った眉が潜められる。
「おかしなことに気が付いただけなんだ…。あ、でも…それはバルディア城の事とかじゃ無いんだ」
「では…何に…」
「…うん…」
エルウィンの目線がレオンから地面にと僅かに移動する。
「…俺自身に拘わる事なんだ…」
「それは…?」
エルウィンをまじまじと見つめ、レオンは言葉に詰まった。
己の総てで慈しむ最愛の存在であるエルウィンが、何かに苦しんでいる。
元々エルウィンは自身の過去をあまり話したがらないから、レオンは愛しい存在が何に苦しんでいるのか解らないのだ。
己の総てで慈しむ最愛の存在が苦し気に眉を寄せ、何時の間にか握り締めた拳が小刻みに震えているというのになにもしてやれないのが歯痒かった。
そんなレオンの気持ちを察したのか。
ポツリ、とエルウィンは語り出す。
「俺…今迄誰にも話したこと無かったけど…。ずっと以前から誰かに命を狙われ続けていたんだ…」
「…ッ!」
エルウィンの低い掠れたような声音と、零れ出るその内容にレオンは驚愕に目を見開く。
「俺が生まれる前から、ついこの前まで。訳は養父には教えて貰えなかったけどね…」
実の父母が既に殺害されて亡い事。
物心付く以前より転々と各地を旅し続けるが故に、年の近い友は疎か知人さえもろくに無かった事。
自分の生まれや謂れは、養父が死ぬ寸前まで知らされはしなかった事等々。
ポツポツと零すエルウィンの呟きを唯、黙って聴いてなど居られなくて。
レオンは無意識にエルウィンを抱き寄せていた。
次第に強く抱く腕に安心したように目を細め、エルウィンはレオンに身を委ねる。
「だってのに…この所全然…その気配が無くなってたんだ。バルディア城を見ていて、それに気が付いてさ…」
どうしてだろうかと疑問が浮かんで、そして。
漠然としてはいるが、紛れも無いだろう己の敵とは何たるか。
結論を自ら導き出してから、その事が頭から消えなくなってしまった。
エルウィンの呟きにレオンの表情は怖いほどの鋭さを滲ませていた。
今、己の思考を過るのは、唯一つ。
(闇の者…!!)
光輝の王家の末裔たる存在を苦々しく思うのは、それ意外には考えられない。
レオンの唯一無二なる存在は、寄ってたかって闇の手の者共に生命を脅かされ続けて来たのだ。
今現在、闇の軍勢とレイガルド帝国は同盟を結んでいる。
帝国の総指揮官としてレオンやイメルダ等の将軍を指揮下に置く立場のエルウィンに、闇の手の者が攻撃を仕掛けてくる筈も無い。
だからエルウィンは今、襲撃を受けないに過ぎないのだ。
しかし。
それが永続的で無い事など十分に予測出来る。
ギリと唇を噛み締めレオンは虚空を睨み付ける。
もし。
もしも、あの時。
レオンが手を差し伸べなかったら。
ゾクリと背筋を冷たいものが流れ落ちるような感覚に陥り、更にレオンはエルウィンを抱く腕に力を込める。
失って堪るか。
やっと得た、唯一人だ。
巡る長き時の果てに、やっと再会を果たせた唯一人の運命の人だ。
奪われてなるものか。
激情に火が灯る。
止められない。
熱い感情の侭にレオンはエルウィンの唇を奪う。
「うん…ッ」
喘ぐようなエルウィンの呻きが、レオンの喉の奥に飲み込まれる。
荒々しい口づけから解放されたエルウィンの瞳を見つめるレオンが、一瞬だけ怖いと感じたのもつかの間。
レオンは囁く。
「エルウィンが欲しい…」
今直ぐ、お前が欲しい。
ゾクリと背筋が震える程の激しさを匂わせたレオンの囁きと、真摯の眼差しに抗う術など有る筈も無く。
「レオン…」
潤む眼差しで見上げるエルウィンに再び口づけ、レオンは光輝の英雄を組み敷くのだった。


明けた翌日。
激しい戦いがバルディアの古城で繰り広げられる。
レイガルド帝国と光輝の軍勢との、たった一振りの剣を巡った壮絶な戦いが。
昨日、エルウィンが危惧した通り、光輝の軍勢は大挙の兵士と更にカルザス王女シェリーと言う援軍をも繰り出し帝国側にとっては幾分不利な状況での展開を強いられようとしていた。
光輝の軍勢側の聖剣ラングリッサーの封印を解き放てる存在は、その軍勢の核たる大魔道士ジェシカとシェリーの二人。
対する帝国側もエルウィンと、そしてレオンもまた光輝の末裔なのだと驚きをもって識る事となり、同じく二人。
だが、それでも決して五分の戦いでは無い。
シェリーが飛兵である以上、油断すれば忽ち追い抜かれる状態を、牽制で押さえながらラングリッサーの封印された宝殿に向かうのは生易しい事では無かったのだ。
それでも、ヘインとイメルダの指揮する弓兵の攻撃にサポートされてエルウィンは何とかシェリーより一歩早く宝殿に飛び込む事が出来たのだった。
「・・・」
そこに在る、淡い光りを醸し出す美しい剣に、エルウィンは息を飲み込んだ。
「これが…ラングリッサー…」
とても懐かしい感覚が自身を包み込んだかと思った刹那。
ラングリッサーは突然激しい閃光を放ったかと思うと、まるで自ら飛び込んで来るかのようにエルウィンの手の中に収まっていたのだった。
「ああ…ッ!」
言葉にならない何かが激流のようにエルウィンの精神の内部に放たれ、凄まじい衝撃に意識が白濁する。
前のめりに倒れ込もうとするエルウィンは、だが、その寸前にレオンの腕によって辛うじて支えられるのだった。
「エルウィンッ!」
絶叫のようなレオンの声に、ハッと意識を取り戻したエルウィンがゆっくりと顔を上げる。
「レオン…」
ゆるゆると差し出されるのは光輝の聖剣。
それは、先程までの激しいとさえ取れる輝きが失せ、淡やかに澄んだ光に包まれていた。
「良くやった」
レオンの労いの声にエルウィンは嬉しそうに笑みを零す。
その様を、僅かに離れた場所から口惜しげに見つめていたシェリーが全軍撤退の命令を下して踵を返したのは、それから直ぐのことだった。



ついにラングリッサーを手に入れると言う念願叶った帝国軍は、レイガルド帝都への帰路を辿る。
なれど道の果ては、未だ遠く険しい。
希望とは裏腹の、ラングリッサーより齎された古えより連綿と続く光輝と闇の戦いの全てを識らされたエルウィンは、他の者のように純粋に喜ぶことがどうしても出来なかった。
「…俺の生命が脅かされ続けていたのは…この為だったんだな…」
真実の聖剣の担い手として、悪しきものと戦うべく生まれた運命の英雄。
それがエルウィンという存在そのもの。
だから、切ない。
とても苦しい。
帝都に戻る前の、ささやかな祝いの宴の席から外れたエルウィンは、人気のないバルディア城の正門だったのだろう場所に立ち、己の腕を自ら抱き微かに身を震わす。
が、その直後。
エルウィンの身体は背後から不意に抱き締められた。
その主が誰であるのか、声を聞かなくても解っている。
「…いるから…」
切なさに苛まれていた意識に、低く、けれどとても優しい声が流れ込む。
この声が、エルウィンは大好きだ。
ずっと呼んで欲しい。
己の名を、何度でも。
億劫気に瞼を開ければ、そこには誰よりも強くて凛然とした彼の人の、紫に燃ゆる瞳が在る。
「どんな時でもお前の側には…私がいるから…」
「うん…」
至福の想いに身も心も包まれ、エルウィンは破顔する。
「私がいる」
もう一度同じ言葉を囁かれ、エルウィンは自らレオンの唇に己のそれを重ねる。
「ずっと…?」
「ずっとだ」
掠れた声音で繰り出せば、あっさり返る真摯の応え。
「絶対?」
「剣と誇りと生命に賭けて」
これ以上の言葉が在ろうか。
エルウィンの両の腕がレオンに伸ばされ縋り着く。
「レオン…俺の全ては…お前のだよ…」
本心からのエルウィンの告白に、今度はレオンが破顔する番だった。
「…嬉しいよ、私の…エルウィン…」
囁きと共に口づけが降りて来るのを、エルウィンは心待ちするのだった。

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■中書き

簡単に説明すると、ラングリッサー入手に関する、エルウィンの悲喜交々…な、お話ですなぁ(笑)
エルウィンが闇との戦いをはっきりと自覚するのはこの辺りから、って感じです。
それまで(特にレオンに出会うまで)は単に流されていたって事かな?(笑)
何にしても、レオンとめさめさラブラブ展開だっ(笑)
次回はうんちゃら〜って言ってたのに、これは何?
とか言わないでね。
何故なら元々「洛陽・外伝」て形で発表したもんなので(爆)
本を持っている人は少ないだろうなぁ…聖戦で唯一のコピー本だったんだもん(こら)
っちう訳で、次が問題…な、レオンを巡ったライバル登場だっ。
本だと話の前に「あらすじ」っとか言って、エルウィンたちに色々と説明させたりしてたんだけど、その掛け合いとかも好評だったんすよね…。
今度、それも公表しようかな?
なんちて。

■洛陽 act.7
初出/聖戦・4(1997.12.29)