act.8 レイガルド帝都の城門をくぐり抜け、エルウィンは感嘆の息を吐き出す。 「凄いな…」 噂に聞こえし大陸の霸者の、整然とした都は活気に満ち満ちている。 こんなにも大きな街など生まれてこの方見たことが無くて、エルウィンの瞳がキラキラと輝く。 「エルウィンは帝都に来たことが無かったのか?」 傍らに在るレオンの声に、照れたようにエルウィンは頭を掻いた。 「ああ…未だ一度も…」 各地を旅する冒険者だった者としては、少し情けないけどな。 エルウィンの応えにレオンは目を細める。 「そうか…」 そっとエルウィンの背に手を添え、その肩を引き寄せるとレオンは耳元に囁いた。 「だが、これからはここがお前の故郷となるのだ」 その言葉に、エルウィンの面が忽ち朱に染まる。 これからはここが故郷。 この美しい都で、レオンと共にずっと。 考えただけで、エルウィンの鼓動が早くなる。 「う、うん…そうだな…」 真っ赤になったエルウィンが愛しい。 胸が熱くなるほど、嬉しい。 レオンの口許に、自然微笑みが象る。 それはとても幸福気で。 二人の直ぐ近くに居た面々の方が、恥ずかしくなる程であった。 「ったく…恥ずかし気も無く、良く遣るよ…」 ボソリと零すロウガの目許が赤い。 首筋が痒くなるようなエルウィンとレオンの雰囲気が、彼はどうやら苦手なようだ。 「まぁ確かそうだけどさ。でも、そんなに見てるのが恥ずかしいとか、当てられるのが嫌だとか言うなら、ロウガも相手を見付けちゃえば良いじゃない?」 のほほんと応えるヘインに、ロウガはボリボリと頭を掻き毟る。 「…んな奴が居るんだったら苦労はねえよ。第一、俺の理想は半端じゃないからな」 「へえ…それじゃよっぽど理想高いんだ?」 「おうよ」 驚いたように尋ねるヘインに、ロウガはニヤリと笑った。 「さっきも言ったが、半端なのはいらねえよ。とびっきり理想が高くて何が悪いって訳で無し」 「それもそうだね。で、どんな人が理想なんだい?」 ニコニコと笑みを浮かべ、ヘインはロウガを促した。 「小柄で細身で色白が基本だな。髪はプラチナか金茶。出るとこはしっかり出ていて、誰でも振り返るくらいに艶やかな美人。性格はおとなしく柔順で、ちょっとくらい気が強いくらいの感じが良い」 出るは出るは。 世の男性の描く理想そのものをベラベラとロウガは連ね捲る。 「そりゃ凄い…」 お陰でヘインはすっかり呆れた。 全部揃えたそんな人が居るのなら、ヘインだって是非お目に掛かりたいものである。 今ロウガが述べた内のどれか、ひとつやふたつくらい当て填まる者なら多々在る。 況してロウガは歴戦の傭兵で、強く、稼ぎも有るから言い寄って来る者も多いだろう。 だけど、幾らなんでも全部となると、そうそう見付かるとは思えない。 無茶な理想そのものと、ヘインが内心断定した時。 「でも、きっと見付かるよ」 不意にエルウィンが会話に飛び込んで来た。 「そうかなぁ…」 エルウィンには悪いけど、到底無理な話だと思えてならないヘインが、疑心暗鬼そのままに呟いた。 けれどエルウィンは生真面目に頷いた。 「きっと何時かは出会えるよ」 穏やかな微笑みさえ浮かべて応えを返す。 自分だって見付けられたのだから。 生涯の孤独を癒してくれる存在と巡り会う事が出来たのだ。 だからきっと大丈夫。 エルウィンはすぐ傍らに在る、己の唯一の存在を見つめる。 「そう思うだろう? レオン…」 「…そうだな」 唐突に問われたレオンは、苦笑で応えるしかない。 だが。 唯一の存在と出会える瞬間など、実際にはそう在るものでは無いだろう事を、彼は熟知していた。 そして、仮に運命の出会いを果たせたとしても、想いが繋がる確立は希少であろう。 だとしたなら。 自分はかなり幸運だったのだと、今更ながらレオンは痛感する。 一瞬の邂逅。 互いに見つめ合ったのは、偶然。 誰もが脅威としてしか映してくれなかった己を、真っすぐな眼差しで見てくれたのは、唯一人。 その瞬間、鮮やかな笑顔は忽ち心に刻み込まれた。 あれ程に無垢な眼差しと笑顔に出会った事なんて、唯の一度とて無かった7年前の、あの瞬間。 進軍途中に在って、もしも敵の出現を知らされなかったとしなら、自分はどうしていただろう。 名前くらいは尋ねていたかもしれない。 時間さえ許されていたら、食事など申し出ていたかもしれない。 無論、当時の自分にそれだけの度胸が在ったとは、到底思えないなど棚に上げて、そんな事を考える。 けれど、レオンは配下の者が持って来た報告により進軍速度を上げねば成らず、後ろ髪を引かれる思いで決別しなければならなかった。 名も知らぬ存在との、永遠に再会出来ぬだろう哀しみに胸を焦がしていたなど誰が知るだろう。 戦いを終えての帰還途中、もう一度出会えたならと微かな期待を心の片隅に隠しつつ出会った町に彼の存在、エルウィンの幼い姿を探し求めた。 しかし、エルウィンの姿は町の何処にも無く。 実を言えば、当時はかなり項垂れたものだった。 秘めた己の想い故。 誰にも探索を命じられぬまま、それから永いこと自らの感情を押し殺して大陸平定の為に身を捧げ―心が苦悶故に血を流す事も構わず―レオンは戦い続けた。 あの時のエルウィンの笑顔だけを糧に。 だから、忘れようとしても忘れられる筈が無かった。 もう一度逢いたいと、切に願って眠れぬ夜も過ごした。 耐え切れず、ベルンハルト皇帝に胸の内を話したことも在った。 それでも、エルウィンを捜し出そうとはしなかったし出来なかった。 先日、エルウィンにだけは明かしたが、レオンは他人とは明かに違う特異な存在だ。 エルウィンに拒まれる恐怖を堪え、晒した奇異な自身の左右非対称の瞳。 その時は、エルウィンはそれを美しいと言ってレオンを狂喜させてくれたが、彼の右の瞳は魔物と見紛う黄金の色を醸し出しているのだ。 幼少より疎まれた体験しか無いレオンにとっては、禁忌そのものでしかないそれが在ったからこそ、彼は積極的にエルウィンを捜し出そうとはしなかったのである。 7年を経てさえ、忌まわしい者として見られはしないかと言う恐怖と戦わなければならない、弱い自分自身の心。 何より愛しい存在であるエルウィンと想いが繋がった現在でさえ、疎ましさは否めないでいる。 本当に自分などで良いのだろうか。 エルウィンに自身は相応しいのだろうか。 等と繰り返してしまう思考に果ては無い。 「レオン…?」 思考に没頭していたレオンは己を呼ぶ声に我に返ると、訝しむように顔を覗き込んでいるエルウィンの、アイスブルーの瞳と視線が絡んだ。 「どうしたんだ?」 疲れているのか? エルウィンの問いかけに、レオンは緩く首を振ってから愛しき者の真紅の髪に指を差し入れて微笑んだ。 「済まぬ、少し考え事をしていた」 だから心配はいらない。 レオンの応えに、エルウィンは僅かに眉を顰めるに止める。 「それなら良いんだけど…」 お前は思い込みが激しいから、少し心配なんだよな。 想いが強くて。 激しいほどに強くて。 だから逆に心配なのだと、けれどエルウィンには言えなかった。 何故なら、約束したから。 何か言いたいことが在るならば、それをちゃんと言ってくれると。 それをエルウィンは信じている。 何より誰より、レオンを想っているから。 そうしているうちに。 レイガルド城の重圧な城門が、目前に迫るのだった。 |
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