act.9

ベルンハルト皇帝との謁見も無事に済み、威厳に満ちた彼の存在にラングリッサーを献上して、一先ずの任務を終了させたエルウィンは、その直後。
大陸統一の為、進軍を決意したベルンハルトの勅命により帝国軍総指揮官に任じられるに至った。
揚げ句に献上したラングリッサーを改めて賜ってしまう事になるのだから、因縁と言うのは何処までも着いて廻るものだと今更ながらに痛感するのだった。
「レオン!」
謁見を終えて出撃準備が整うまでの間を過ごす部屋に向かう途中、エルウィンはレオンを呼び止めた。
「どうしたのだ、エルウィン」
思い悩んだ様子のエルウィンの表情を和らげようと、レオンは努めて穏やかに微笑む。
「これを…お前に使って欲しいんだ…」
そう言って、エルウィンはラングリッサーを差し出した。
一瞬レオンの瞳が見開かれる。
だが。
レオンは手を伸ばしはしなかった。
「ラングリッサーの担い手には、お前こそが相応しい…」
それは誰もが識っている真実である。
真摯の眼差しで応えるレオンに、エルウィンの唇が微かに戦慄く。
「それは…解っているよ…でも…俺の気持ちは解っているだろう?」
それに、お前だって光輝の末裔なのだから。
視線を床に落とすエルウィンの頬に手を添えた後。
レオンは身を屈み込ませるとエルウィンの唇に己のそれをそっと重ねた。
「エルウィン…お前の気持ちは解る。けれど、今はそれを堪えてくれないか?」
触れるか否かの口づけの後、レオンはエルウィンの耳元に囁いた。
「レオン…」
エルウィンのアイスブルーの瞳が揺れる。
ラングリッサーがエルウィンにとって忌まわしい存在である事は、聞き及んでいた。
聖剣と称されるラングリッサーの担い手として、古の王家の最後の末裔として生を受けたエルウィンは、これ迄の間ずっと生命を脅かされ続けて来たのだという事を。
どれ程に悲痛な思いで生きて来たのかと想像するだけでレオンの胸は痛んだ。
だが、それでも敢えてレオンは言わねばならなかった。
「解ってくれ、エルウィン。今お前がラングリッサーを掲る事には意味があるのだと言うことを」
大陸統一を成し遂げるのは確かにベルンハルトでありレイガルド帝国である。
その中核を担うものとして光輝の末裔エルウィンがラングリッサーを掲げるならば、レイガルドは欲望のみにて大陸を欲するのでは無いのだと公言する事を意味する。
エルウィンを利用するようで心苦しいのは否めないが、聖剣は選ばれし者にしか担えない伝承が伝わっている以上この手段が適切であるのは事実だろう。
「それに…お前がラングリッサーを手にしていれば、士気も高まる。今は辛いだろうが、そこを何とか堪えて欲しいのだ…」
レオンの偽らざる本心に、エルウィンの唇が戦慄く。
「解っている…それは十分に解っているよ…」
だけど、辛い。
とても辛い。
ギュッとラングリッサーを握る掌に力を込め、エルウィンが深い嘆きを露にする。
「側に居る…私が、ずっとお前の側に居る。お前の支えになる」
それでも、辛いか?
堪え切れないか?
レオンの訴えに俯き気味だったエルウィンの面が跳ね上がる。
「私では力に成れないか?」
頼りにならないか?
「そんな事無い…ッ」
レオンの腕に縋り付き、エルウィンは大きく首を振った。
「ごめん…お前だって、辛いのに。俺は自分の事しか考えて無くて…」
「そんな事、気にするまでも無かろう?」
エルウィンの一番好きなレオンの綺麗な微笑みが、エルウィンのみに向けられる。
絡み合う視線。
抱き会い、自然に再び唇が重ねられ、貪るような激しい口づけが交わされる。
そして自然に二人は身を離した。
目許を赤く染めたエルウィンの頬に今度は軽く触れるような口づけを与え、
「大丈夫だな?」
レオンの囁きにコクリと頷く。
「ならば、部屋まで送ろう」
「い、いいよ…お前だって都合が有るだろう? 女子供でもあるまいし、一人で行けるよ」
照れを隠すようにエルウィンはわざと大袈裟に言った。
「分かった。では後で個人的に部屋に伺うとしよう」
レオンの意味深な言葉に、ますます赤らむ目許を軽く擦りエルウィンは頷いた。
「ん…待ってる…」
応えて駆け出すエルウィンの後ろ姿を見送るレオンの瞳が和む。
さっさと用事を済ませて行かねば拗ねそうだと、今にも零れそうな程嬉し気に口許を綻ばせ、レオンは踵を返してその場を後にした。

人気の無くなった回廊の植え込みの小枝がパキリと折れる音が響き、人影が現れる。
その存在は憎悪の眼差しをエルウィンが立ち去った方向に向けると、足音も無く歩み出した。
自分たちの様子を終始見ていた者が居た事に、レオンもエルウィンも全く気が付いてはいなかった。



用意された室内に入るなり想像を絶する豪奢な部屋に面食らったエルウィンだったが、レイガルド帝国の強大さを思えばそれも道理なのだろうと自分を納得させる事にする。
「本当に凄いよな…」
身を包んでいた甲冑を脱ぎ、各部屋に設えてある浴室で湯浴みをしたエルウィンが乾いた布で汗を拭いながら改めて室内を見回し感嘆の言葉を零す。
帝都に入った時と同じ言葉を何度繰り返したか、なんて、もう忘れた。
大きな宿だって室内に浴室が有ると聞いたことも無いのに、この城の部屋にはちゃんと設えてあるのだから、それだけでも驚きが隠せない。
バスローブ姿でウロウロと室内を歩き回るのは、多分部屋が広すぎて落ち着かないからだろう。
幾ら進攻軍総指揮官に任じられたとは言っても、まさか貴賓室など宛てがわれる訳が無いから、この部屋は指揮官クラスの者程度が入れる部屋だと察するにしても。
少し大きめの宿屋が兼ねる酒場程も有る広さの居間に寝室が別に備えられていて、その寝室にあるのが天蓋付の大きな寝台だったりするものだから凄すぎる。
ひとりきりで眠るにはあまりに広めのそこは、慣れの無い事も手伝って居心地が悪そうだった。
「…早くレオン、来ないかな…」
寝室の扉を困ったように見つめてエルウィンが呟きを漏らした時だった。
「レオンとは随分と親しいようね」
突然応えが返ったのは。
寸前まで人の気配など無かった筈の室内の、しかも背後からのその声に驚愕したエルウィンが振り返る。
「誰だ…?」
そこに居たのは、一人の女。
しかも、エルウィンの良く識る少女と全く同じ顔をした存在だった。
「リ、リアナ…?」
驚き覚めやらぬ表情で名を呼ぶと、女は眉を顰め吐き捨てるように言い放つ。
「私はダークプリンセス。そんな名では無い」
つかつかと歩み寄り一定の距離にまで接近したダークプリンセスと名乗る女は、頭から爪先までジロジロと値踏みするようにエルウィンを見渡してから、鼻で笑った。
「フン…まあまあ、と言ったところね」
酷く気分を害する言われ方に、エルウィンがムッと表情を歪める。
「何が言いたい」
「レオンが戯れに相手にするには、丁度良いくらいだと言えば納得するかしら?」
あからさまな侮蔑の言葉に、エルウィンはカッと怒りに面を赤くする。
「馬鹿にするな!」
ダークプリンセスの言葉はエルウィンを侮辱するだけで無く、レオンをも侮辱している。
エルウィンはそれが許せなかった。
「レオンが戯れに相手などするものか!」
「では、光輝の王の末裔である、お前に利用価値があるからって言った方が良いのかしらね?」
軽く腕を組み、小馬鹿にした笑いを零すダークプリンセスに血が逆流しそうになる。
「なん、だと…」
「そうでなければ、お前如きがレオンと行動を共に出来る訳が無いわ。そうでしょう、ラングリッサーの真実の担い手であられる、エルウィン様?」
くつくつと嘲笑するダークプリンセスの言葉に、寸前まで頭に昇っていた血が見る見る引いて行く。
そんな様に勝ち誇ったようなダークプリンセスが、更にエルウィンを追い詰める。
「そうでもなければ同じ性別の者をレオンが相手になんてする筈が無いわ。だってレオンは識っていたのよ、お前が光輝の末裔である事を。だから手を差し伸べたのよ、分かる?」
女の冷たい眼差しに、エルウィンはフルフルと首を振った。
力無く。
「あの人はね、帝国のためならどんな事だって出来る人よ」
自分の事より民のことを最優先に考える人。
勿論、そんな事はお前だって識っているでしょうけど。
ダークプリンセスに言われるまでも無く、そんな事は言われるまでも無く識り尽くしている。
過ぎるほどにレオンは生真面目な男だ。
何時も自分の生命より、力の無い民人の生命を優先してしまう。
その為に致命傷を負った事だって有った程に。
「そんなレオンにとって、大陸統一を最も早く成し遂げる手段としてお前を利用する事など、造作も無い事。繋ぎ止める為に組み敷く事だって容易いでしょうね」
嘲笑を含んだダークプリンセスの冷酷な言葉を投げ付けられたエルウィンは、反論しようとして出来ず唯、唇を噛み締める。
レオンに限って、自分を利用するためだけに接近して来たなんて不実が、有る筈がない。
そんな叫びが出かかっているのに、エルウィンの喉はひりついていた。
それでも必死に、唯一言を絞り出す。
「…嘘だ…」
だって俺とレオンは、それ以前に出会っている。
未だ、光輝の末裔だとかバルディア王家の者だとか知らぬ頃に。
その真実が、エルウィンを辛うじて立ち直らせる。
「…レオンはそんな男じゃ無い」
絶対に。
エルウィンの、やっとの反論を涼しい顔で受け流し、ダークプリンセスは踵を返した。
「ならば、尋ねると良いわ。レオン本人に、ね?」
きっと本当のことを言ってくれるに違いないから。
言い捨てるとダークプリンセスは笑いながら揺らぐように空間に溶け込み、消え去った。
テレポートの魔法で部屋から出て行ったのだと、ぼんやりと思いながら寝室へ連なる扉に背を凭れ掛けさせた直後。
エルウィンはズルズルと床にへたり込んだ。
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